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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2013.07.01,Mon

 乱歩と正史の書簡集、という話題からややそれてしまいますが、乱歩が昭和3年6月、「改造」編集部の佐藤績に出した書簡、というのがあったことを思い出しました。

 むろん、私がその手紙を所蔵しているのではなく、所有者のかたが文面を入出力したブリントを頂戴してある、ということなのですが、昭和3年6月といえば、いうまでもなく乱歩が「陰獣」を書いていたころで、改造社の佐藤績に宛てられた「三日」と日付の入った書簡はこんな内容でした。


前略
原稿おくれてすみません
筋立てはとつくに出来てゐても、それが
熟して感興の湧くのが手間どつてゐ
て、本当に着手したのは実は一昨日ですが、
執筆を絶って以来一年半ぶりで
どうやら感興が湧いて来たらしく
只今までに半ば書き上げました。
この調子ならあと二日間御猶予下
されば間違ひなく出来上がります。再々
御猶予を願つて申訳ありません
が、どうか御諒承下さい。
作は書上げて見ないと分りませんが、私
のものとしては相当上出来だらうと思
ひます。只今湧起つてゐる感興の
度合によつて、かく申上げても大した
間違ひはないかと思ひます。
右取急ぎお願ひ申上げます。
佐藤績様

 はっきりいって、これは非常に重要な書簡です。

 もうひとつはっきりいえば、私はこうした重要な資料の写しを頂戴していたことをすっかり失念していて、先日、ちょっとした片づけものをしていたときにふと発見し、じぇじぇじぇ、と思った次第でした。

 これによって、「陰獣」は昭和3年6月1日に起筆された、ということが確定した、といっていいのではないかと思います。

 作成中の「江戸川乱歩年譜集成」の昭和3年によれば──

五月五日(土)
□雑誌□「新青年」六月臨時増大号(第九巻第七号)が発売された。ファーガス・ヒューム「二輪馬車の秘密」が横溝正史の訳で掲載された。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/1975年7月]

五月六日(日)
□書簡□横溝正史への手紙が着信、「二輪馬車の秘密」の訳文について長文の批評が書かれていた。横溝は乱歩がふたたび書く気になったと思った。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/1975年7月]

五月七日(月)
この日か翌八日、横溝正史が乱歩を訪問、「新青年」増刊号に百枚程度の小説を依頼した。当時、乱歩の原稿料は一枚四円だったが、横溝は倍額の八円を提示した。八百円支払うことが可能だと説明すると、乱歩は納得したものの、確たる返事はなかった。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/1975年7月]
「陰獣」は「改造」の佐藤績から依頼されて執筆したが、百枚以内という意向に沿えなかったため、「新青年」へ回すことにして、横溝正史にその旨を伝えた。[探偵小説四十年 「陰獣」回顧/昭和27年12月、28年1月]
「陰獣」の原稿料は一枚七円にするよう申し出て、横溝正史に呑んでもらった。[探偵小説四十年 初めての講談社もの/昭和28年6月]
横溝正史によれば、「陰獣」はいったんほかの雑誌社に渡してあったが、原稿を取り返して手を入れていたところで、横溝の原稿依頼に応じて乱歩が「新青年」に回した。最初は「恐ろしき復讐」というタイトルだった。[横溝正史:陰獣縁起/昭和3年11月]

六月二十五日(月)
「陰獣」を脱稿。[初出末尾]


 ありゃりゃ。

 これでは、正史が原稿を催促するために手紙を出し、その返事をもらって乱歩を訪ねた、というエピソードが抜け落ちています。

 そのあたりを、『横溝正史研究4』に載っけてもらった「『陰獣』から『双生児』ができる話──一九三〇年代前夜の正史と乱歩」からの引用で補っておきますと──

 正史の回想も眺めておこう。「『パノラマ島奇譚』と『陰獣』が出来る話」によれば、「新青年」六月臨時増大号にヒュームの「二輪馬車の秘密」を翻訳して掲載したところ、発売の翌日、乱歩から感想を記した手紙が届いた。正史は乱歩が再起する気になったと確信し、乱歩を訪ねて「新青年」八月増刊号に百枚の読み切りを依頼したが、乱歩の返事は煮え切らないものだった。
 しばらくして正史はもう一度、今度は手紙で原稿を催促した。乱歩からは折り返し、ほかの雑誌に書いたものを「新青年」に廻してもいいという返事があった。正史はさっそく乱歩を訪ねる。乱歩は「改造」から依頼されて新作を書き始めたこと、二百枚近く書きたいのだが、編集部からそれでは長すぎて掲載できないといわれていることを打ち明け、その作品を「君のほうへ廻してもいいと思っている」ともちかけた。


 正史が乱歩に催促の手紙を出したのは、正史の言によれば、ということはあんまりあてになりませんけど、ということになりますが、「六月末のこと」で、その手紙を読んだ正史が喜び勇んで乱歩のもとを訪れると、できていた原稿はまだ「五、六十枚」だった、とのことです。

 しかし、佐藤績宛乱歩書簡によれば、「陰獣」は6月1日に起筆されて翌々日の3日には「あと二日間」で脱稿する、みたいなとこまで進んでますから、正史の回想が事実だとすればいろいろ齟齬が生じてくるわけですが、それはまあそれとして、もはやこの世に存在していないはずの「陰獣」をめぐる正史の依頼と乱歩の応諾が綴られた往復書簡をフォローする資料として、この佐藤績宛乱歩書簡みたいなものも視野に入れ、所蔵者のかたの協力を仰ぎながらつくってゆけば、乱歩と正史の往復書簡集はかなり充実したものになるのではないかと思われます。

 それから、きのうのエントリをお読みくださったさる消息筋のかたからのお知らせでは、立教大学にも二松学舎大学にも、乱歩と正史の書簡集にかんする具体的な動きはまだないそうです。


 ちなみに名張市立図書館にも、そんな気配は微塵もないものと思われます。

 名張市立図書館といえば、「伊賀百筆」の漫才、さらに四ページだけ書き継いで、地の文からまた漫才に復帰いたしました。

 いわば後半のスタートで、「あまちゃん」が岩手編から東京編になったようなものだとお思いください。


 漫才を再開したページには名張市立図書館の初代館長さんにご登場いただきましたけど、このパートはたぶん差し替えることになると思います。

 なぜかというと、再開のページにも記しましたけど、こんにちはッ、ではじまるパターンはもうおしまいにしたいな、ということがまずひとつ。

 それから、地の文の最終ページに書きましたとおり、前半みたいな調子で笑いを取りにいってたらずらずらずらずら長くなってしまいそうですから、笑いの要素は抑えるべきだろうな、むしろドキュメンタリータッチにしたほうがいいかもな、と考えているということがひとつ。

 いずれせよ、ネットでお読みいただくのは本日公開分までとして、あとは「伊賀百筆」をご購入いただき、じっくりご笑覧いただきたいと思います。

 それから、乱歩正史往復書簡集の脚注をぜひとも担当していただきたい村上裕徳さんのことですが、むろんお願いすればふたつ返事でお引き受けいただけるはずです。

 じつは平井通の評伝を書くにあたって、『子不語の夢』の脚注に乱歩と通は「兄弟の仲は大変良かったという」とありますことから、その典拠はなんですか、みたいなことを手紙でお尋ねしたところ、平井通についてご存じのところをありったけ、四百字詰め原稿用紙十一枚に万年筆でぎっちり手書きしてお知らせいただきましたので、村上さんの脚注魂は変わることなくマグマのように鬱勃と燃えたぎっていることが察せられた次第です。

 さて、きょうから7月です。

 7月10日には、藍峯舎版『屋根裏の散歩者』の予約受付が開始されます。

 つか、あす7月2日は平井通の命日なんよね。

 一日おとなしくしてよっと。

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