忍者ブログ
Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2024.04.27,Sat
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted by 中 相作 - 2010.12.10,Fri
 
昭和3年●1928 Entry
 
昭和10年●1935 Entry
PR
Posted by 中 相作 - 2010.12.04,Sat
昭和三年(1928)
 
一月下旬
下谷黒門町の高橋耳鼻咽喉科病院に入院、両扁桃腺の摘出手術を受けた。[探偵小説四十年──昭和三年度の主な出来事/昭和27年11月]
 
二月一日(水曜)
「新青年」二月号(第九巻第二号)の発行日。耽綺社の合作「飛機睥睨」第一回が掲載された。連載は九月まで。耽綺社のほかの作品は筆記者が書いたが、「飛機睥睨」だけは乱歩が執筆し、病気で書けないときは岩田準一が担当した。[探偵小説四十年──合作組合「耽綺社」/昭和27年7月・8月]
 
二月十四日(火曜)
高橋耳鼻咽喉科病院を退院。[探偵小説四十年──昭和三年度の主な出来事/昭和27年11月]
 
三月
戸塚町下戸塚の筑陽館を売却し、次の下宿屋を見つけるまで戸塚町下諏訪町一一五の借家に転居した。[探偵小説四十年──昭和三年度の主な出来事/昭和27年11月]
 
四月
戸塚町源兵衛一七九にあった福助足袋の寮が売りに出ていたため、福助足袋の本社まで出向いて話を進め、多くの競争者を排して入手、転居した。二階建てで、二十一室あったが、田舎から親戚の大工を呼び、改造した。別棟として小さな二階屋を新築し、一階を客用の玄関、二階を自分の部屋とした。隣家の二階から見られることが心配で、ほとんど窓のない設計にし、昼でも電灯をつけて読み書きした。現代大衆文学全集の印税一万五、六千円は家屋の買い入れと改造で大部分をつかってしまった。家族は、きく、隆、玉子、隆太郎。ほかに女中が二、三人、田舎から呼んだ書生がいた。昭和八年四月までここに住んだ。[探偵小説四十年──第二の下宿屋開業/昭和27年11月
 
五月
下宿屋を開業。緑館と名づけた。石版刷りのポスターを印刷させ、床屋、喫茶店、風呂屋などに貼った。下宿に関することはすべて隆に任せ、できるだけ下宿人と顔を合わさないようにして生活した。[探偵小説四十年──第二の下宿屋開業/昭和27年11月]
 
五月五日(土曜)
「新青年」六月臨時増大号(第九巻第七号)が発売された。横溝正史が坂井三郎名義で訳したファーガス・ヒューム「二輪馬車の秘密」が掲載された。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/昭和50年7月]
 
五月六日(日曜)
横溝正史、乱歩からの手紙を受信、「二輪馬車の秘密」の訳文について長文の批評が書かれていた。横溝は乱歩がふたたび書く気になったと思った。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/昭和50年7月]
 
五月七日(月曜日
この日か八日、横溝正史が乱歩を訪問、増刊号へ百枚程度の小説を依頼した。当時、乱歩の原稿料は一枚四円だったが、横溝は倍額の八円を提示した。八百円支払うことが可能だと説明すると、乱歩は納得したものの、確たる返事はしなかった。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/昭和50年7月]
「陰獣」は「改造」の佐藤績から依頼されて執筆したが、百枚以内という意向に沿えなかったため、「新青年」へ廻すことにして、横溝正史にその旨を伝えた。[探偵小説四十年──「陰獣」回顧/昭和27年12月]
横溝正史によれば、「陰獣」はほかの雑誌社に渡してあったが、原稿を取り返して意に満たないところに手を入れていた。横溝から原稿の依頼があったため、「新青年」増刊に掲載されることになった。最初は「恐ろしき復讐」というタイトルだった。[横溝正史:陰獣縁起/昭和3年11月]
 
六月二十五日(月曜)
「陰獣」を脱稿。[陰獣/昭和3年10月]
横溝正史は六月末、乱歩に手紙で原稿を催促し、ほかの雑誌に書いている作品を「新青年」に廻してもいいとの返事が来たため訪問すると、乱歩は五、六十枚の原稿を見せ、この三倍、二百枚近く書きたいといったという。六月末というのは正史の記憶違いか。[横溝正史:「パノラマ島奇譚」と「陰獣」が出来る話/昭和50年7月
 
七月二十一日(火曜)
「新青年」夏期増刊号(第九巻第十号)が発売された。七月二十四日には売り切れになっていた。[横溝正史:編輯局より/昭和3年9月]
八月五日(日曜)
「新青年」夏期増刊号(第九巻第十号)の奥付発行日。
 
九月一日(土曜)
「新青年」九月号(第九巻第十一号)の奥付発行日。「陰獣」第二回を掲載。横溝正史と渡辺温による編集はこの号まで。十月号からは延原謙と水谷準が編集を担当した。
 
九月三日(月曜)
「新青年」十月増大号(第九巻第十二号)が発売された。「陰獣」第三回が掲載され、完結。たちまち売り切れとなり、再版、三版と増刷された。乱歩は『探偵小説四十年』で八月増刊号が増刷されたと誤認している。
 
九月八日(土曜
「新青年」十月増大号(第九巻第十二号)の再版が発売された。[新聞広告]
 
十月一日(月曜)
「新青年」十月増大号(第九巻第十二号)の奥付発行日。
 
十月二日(火曜)
小酒井不木が乱歩に葉書、森下雨村から乱歩の長篇執筆が決定したとの通知があったことを伝え、激励。[子不語の夢──一四二 不木書簡 十月二日]
「孤島の鬼」の連載第一回を書くため、三重県の南のほうの温暖な漁村へ旅行し、鳥羽の岩田準一を招いて日を過ごした。岩田が持参した鴎外全集の一冊を読み、中国の片輪者製造の話を面白く感じたので、東京に戻ってから『虞初新誌』や西洋の不具者に関する書物を求めた。[探偵小説四十年──「孤島の鬼」/昭和28年4月・5月]
漁村滞在中、森下雨村から借りていった『The Canary Murder Case』と『The Greene Murder Case』を読み、ヴァン・ダインを知った。二冊に感想をつけて返送し、『The Benson Murder Case』を送ってもらった。[探偵小説四十年──ヴァン・ダインの出現/昭和28年5月・6月]
 
十一月四日(日曜)
小酒井不木が乱歩に手紙、乱歩書簡への返信、「サンデー毎日」から原稿料を受け取ったが、乱歩と岩田準一に連絡できなくて困っていたと伝えた。[子不語の夢──一四三 不木書簡 十一月四日
Posted by 中 相作 - 2010.10.22,Fri
昭和十年(1935)
 
一月一日(火曜)
「ぷろふいる」一月号(第三巻第一号)の奥付発行日。甲賀三郎「探偵小説講話」第一回を掲載、十二月号(第三巻第十二号)で完結。《これは甲賀君年来の持論である本格探偵小説擁護の評論ともいうべきものであったが、その論調やや偏狭に失し、「本格作家以外のものは探偵小説壇から退場せよ」というような口吻さえ感じられたので、探偵文壇全体としては、同感よりは寧ろ反感を感じたものの方が多かったのだと思うが、同感にもせよ反撥にもせよ、この「講話」が探偵小説愛好者の間に一つの情熱をまき起したことは確かであった[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その一)/昭和14年2月]
 
一月二十日(日曜)
平凡社「乱歩傑作選集」第一巻『黄金仮面』の奥付発行日。昭和六年から七年にかけて出版された全集の紙型をつかい、翻訳の巻を省いて十二巻とした。完結は十二月。《赤本ノ感ジニテ不快デハアッタガ印税収入ホシサニ我慢シタ[貼雑年譜]
 
一月二十六日(土曜)
午後六時からレインボー・グリルで開かれた夢野久作『ドグラ・マグラ』出版記念会に出席。[探偵小説四十年──「ドグラ・マグラ」出版記念会/昭和29年9月]
 
一月末
名古屋の井上良夫から初めて来信があり、長い手紙のやりとりが始まる。井上からフィルポッツ『赤毛のレドメイン一家』を借覧し、《この一篇によって、私はもう一度探偵小説が好きになった[探偵小説愛読記/昭和10年5月]》、《「赤毛のレドメイン一家」がひどく私を喜ばせた。アア、まだこんな面白い探偵小説を読み残していたのかと、夜を徹して読み終ったあと、私の中の「鬼」がムクムクと頭をもたげ始めたのである[「赤毛のレドメイン一家」/昭和10年9月]》、《井上良夫君がフィルポッツの「赤毛のレドメイン一家」を送ってくれ、それを一読してから、私の中の本格探偵小説への情熱のようなものが勃然として湧き起った[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]》。ひきつづき井上、石川一郎、延原謙からフィルポッツの著作を借りて読み、ほかにヘキスト、ブッシュ、バンクロフト、クリスティ、マクドナルド、セイヤーズと読みあさった。[探偵小説愛読記/昭和10年5月]
 
三月七日(木曜)
探偵文学社「探偵文学」創刊号の奥付発行日。
 
四月三日(水曜)
「探偵文学」五月号(第一巻第二号)の奥付発行日。「江戸川乱歩号」とし、大下宇陀児「乱歩氏のこと」、水谷準「わが乱歩に望む」、海野十三「乱歩氏の懐し味」、小栗虫太郎「禿山の一夜」、木々高太郎「江戸川乱歩論」、中島親「江戸川乱歩論──Profile of Rampo」などを掲載。《たとえ同人雑誌にもせよ、江戸川乱歩号というものを出してくれたのは、初めてのことなので、この号は私を大いに喜ばせたものである[探偵小説四十年──「探偵文学」江戸川乱歩号/昭和29年9月]
 
五月三日(金曜)
新潮社「新作探偵小説全集」第一巻『蠢く触手』の奥付発行日。
 
五月
蓄膿症手術で入院する少し前、来訪した大下宇陀児にヴァン・ダイン『世界探偵小説傑作集』とセイヤーズ『探偵、怪奇、恐怖小説集』を示して「日本にもこんな傑作集が出てもいい頃じゃないかなあ」といったことがきっかけとなり、宇陀児の仲介で春秋社から乱歩の編纂による日本人作家のアンソロジーを出版する企画がまとまった。まず十五人の収録作家を決め、各自三作ほど自選してもらったなかから一篇を選んだ。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
 
五月二十一日(火曜
神田駿河台の小野耳鼻科病院に入院し、左右上顎の蓄膿症手術を受けた。昭和三年に扁桃腺を摘出、昭和八年に鼻茸を切除したが、蓄膿症の手術を受けていなかったため鼻茸が成長して鼻で呼吸することができなくなった。春、ある会合で会った奥村五十嵐と平野嶺夫に鼻の不快を訴えたところ、名医として小野医師を教えられた。その後、両人に同行してもらって診察を受け、手術を勧められたため意を決して入院、左右とも一時間ずつの手術だった。[探偵小説四十年──蓄膿症を手術/昭和29年12月]
 
六月十五日(土曜)
小野耳鼻科病院を退院。患部の洗滌のために通院した。[探偵小説四十年──蓄膿症を手術/昭和29年12月]
退院後一か月ほどは春秋社『日本探偵小説傑作集』に収める評論のための読書と執筆に費やした。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
 
海野十三と連れ立って木々高太郎が初めて来訪。土蔵のなかで話したが、木々は前年の「石榴」を「あれは非常に面白く読みました」と褒めてくれた。このころから「石榴」が《少くとも一部の読者には、そんなに不評でもなかったことが少しずつ私に分って来たのである》。[探偵小説十五年──「石榴」回顧/昭和14年1月]
 
七月二十一日(日曜)
隆太郎が小野耳鼻科病院に入院し、父親と同じ蓄膿症手術を受けた。八月十一日に退院。[中島河太郎:江戸川乱歩年譜/平成元年5月]
 
七、八月
須藤憲三によれば、講談社の野間清治社長を囲む有力寄稿家の懇親会、交談会が東京会館で開かれ、その席で初めて会った乱歩に須藤は「少年倶楽部」への執筆を依頼した。乱歩は驚きながらも興味を抱いた様子だった。「少年倶楽部」新年号のプランは六月に原案がまとめられ、七月の中会議、八月下旬から九月初旬にかけての大会議を経て決定されることになっていたが、須藤は中会議で了解をとりつけて交談会に臨んでいた。数日後に訪問すると乱歩はすでに書く気になっていて、編集部との話し合いも支障なく進んだ。[須藤憲三:乱歩先生の「少年もの」/昭和44年11月]
 
八月二十五日(日曜)
隆子の母親の葬儀に列席するため、夫婦で三重県志摩郡坂手村の村山家を訪れた。[貼雑年譜]
 
九月一日(日曜)
「ぷろふいる」九月号(第三巻第九号)の奥付発行日。「鬼の言葉」の連載を開始し、翌年五月号まで七回執筆。『赤毛のレドメイン一家』を一読して湧き起こった本格探偵小説への情熱が書かせた。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
 
九月二十二日(日曜)
春秋社『日本探偵小説傑作集』の奥付発行日。横溝正史「面影双紙」、水谷準「司馬家崩壊」、甲賀三郎「体温計殺人事件」、大下宇陀児「情獄」、小酒井不木「恋愛曲線」、城昌幸「シャンプオオル氏事件の顛末」、夢野久作「押絵の奇蹟」、渡辺温「可哀相な姉」、葛山二郎「赤いペンキを買った女」、海野十三「振動魔」、浜尾四郎「彼が殺したか」、渡辺啓助「愛慾埃及学」、小栗虫太郎「完全犯罪」、木々高太郎「網膜脈視症」、江戸川乱歩「心理試験」を収録し、探偵小説と作家とを論じた「日本の探偵小説」を書き下ろした。
 
十月五日(土曜)
春秋社『闘争 小酒井不木傑作集』の奥付発行日。出版社の勧めによって編纂した。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
 
十月二十日(日曜)
森下雨村と共同監修した柳香書院「世界探偵名作全集」第一巻『赤毛のレドメイン一家』の奥付発行日。イードン・フィルポッツ作、井上良夫訳。柳香書院の主人から勧めを受け、《大戦後の目ぼしい長篇探偵小説を、出来るだけ厳選し、優秀な訳者を選んで、権威ある飜訳叢書を出版したいと考えた。その為には私自身も随分原本を読みあさったし、又井上良夫君などの助力をも乞うて、結局三十巻の優秀作品を選び出すことが出来た》が、翌年にかけて五巻を出しただけで中絶した。[探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月]
第一巻につづいて刊行されたのは、第三巻『赤色館の秘密』A・A・ミルン作、妹尾アキ夫訳、十一月三十日、第二巻『十二の刺傷』アガサ・クリスティ作、延原謙訳、十二月三十日、第五巻『矢の家』A・E・W・メースン作、妹尾アキ夫訳、昭和十一年(?)、第四巻『陸橋殺人事件』ロナルド・ノックス作、井上良夫訳、昭和十一年三月十日。[森下祐行:ミスダス
 
十月二十五日(金曜)
柳香書院『石榴』の奥付発行日。「石榴」「陰獣」「心理試験」を収めた。《この三つが私の純探偵小説の代表的なものと考えたからである》[探偵小説四十年──中央公論の「石榴」/昭和29年7月]
 
十二月一日(日曜)
黒白書房「月刊探偵」創刊号の奥付発行日。
 
十二月八日(日曜
午後七時三十分からNHKラジオ第二放送の探偵作家座談会に出席。ほかに甲賀三郎、大下宇陀児、森下雨村、海野十三、水谷準、夢野久作、木々高太郎、延原謙が出演。[貼雑年譜]
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
開設者
 中 相作:Naka Shosaku
ブログ内検索
バーコード
カウンター
Template by mavericyard*
Powered by "Samurai Factory"
忍者ブログ [PR]