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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2017.06.25,Sun
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朝日新聞デジタル
 平成29・2017年6月22日 朝日新聞社

乱歩、恥じらいの生前整理? 同性愛研究など焼却か
 荻野好弘
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乱歩、恥じらいの生前整理? 同性愛研究など焼却か

2017年6月22日07時53分



江戸川乱歩が1940年に本名・平井太郎名で出した手紙=岩田準子さん所有

 作家の江戸川乱歩(1894~1965)が、妻や親交のあった人への手紙を大量に焼いていたことがわかった。友人だった三重県鳥羽市の風俗研究家岩田準一(1900~45)に宛てた40年の手紙2通にそうした記述があった。乱歩はこの時期に心臓を患っており、「生前整理」だったとみられる。

 岩田の孫で、乱歩を研究する鳥羽市の文筆家岩田準子さん(49)が19日発表した。自宅に乱歩の書簡類87通が残っており、東京の自宅から岩田に送った手紙を調べるうちに記述を見つけた。

 「青年時代よりのいろいろの相手の手紙(主として議論の)夥(おびただ)しく保存しあり、これらも次に整理して行かうと思ひます。家内との文通が巻物にして保存してあるのですが、これも子供に見られたら恥しく、焼却します」(10月8日付)

 「この用心は、この頃の不健康から万一の場合をおそれてですが、若(も)し僕にインテリの息子がなかったら、これほど用心しなかったかも知れません」(同)

 乱歩は作家デビュー前の17年から1年余、鳥羽に滞在。後に妻となる隆(りゅう)や、岩田と出会った。

 岩田とは後年、同性愛の文献を研究し、書簡で互いに紹介していたという。10月25日付の手紙には、岩田から返されたとみられる手紙を含め、二尺(約60センチ)の厚みの束を焼いた、との記述がある。準子さんは「同性愛の研究について、世間に好奇の目で見られ、息子の将来に影響するといけないと思ったのかもしれない」とみる。

 鳥羽市では、乱歩が隆にあてた手紙にあったとされる「志摩はよし/鳥羽はなおよし/白百合の/真珠がごとき/君のすむ島」との一文にちなんで、市民グループが昨年、恋文を募集した。ただ、手紙自体は見つかっていない。準子さんは「この手紙も焼却されてしまった可能性がある」と話す。(荻野好弘)
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Posted by 中 相作 - 2017.06.24,Sat

 録画であれ、録音であれ、あるいは活字に起こしたものであれ、自分が喋ったことを突きつけられるのは、なんともいやな感じのものです。

 小学館の江戸川乱歩電子全集に附録としてぜひ私のインタビューを収録したい、なんてことになって、今年1月にこのお店で取材していただきました。

 cafe*mjuk:Home

 で、おととい、テープを、というかレコーダーを起こした原稿をメールで届けていただいたんですけど、なんかもう無茶苦茶です。

 ほんとにいやになります。

 どんな感じかというと、こんな感じ。

――名張図書館の歴史は、そのまま「名張図書館・乱歩文庫」の歴史ですね。
中 そうですね。ただね、お役人というのは、現場のことがわかってないんです。(名張あたりで図書館のお役人やってるような人というのはほんまにアホなんです(笑)。お役人というのはまあレベル低いんですね。この辺のレベルで言うと、まあ給与は高いんですけども、おつむのレベルは低いんです。特に図書館の館長とかいうと、お役所の出世コースとは完全に縁のない存在なんですね。つまりあそこはどうでもええから、図書館の館長でもやらしとけという人がね。お役人言うたかて、)。お役人の中で出世コースを爆進して、位人臣を極めましたというような人でも、世間ではそれはただのアホですからね(笑)。あんな役に立たんのはないですよ、ほんとに。もう腹立ってきます(笑)。とにかく本読まん人が図書館長になったんですね。だから乱歩関連資料を収集しましょうという場合に、どうしても陳列とか展示のレベルでしか考えられないんです。本を読んでそれで何かをするというのがない。図書館の役割とかいうのもようわかってないんです、要するに無償貸出でいいんじゃないかというぐらいの認識しかないんですね。ですから古本屋の目録で乱歩の本を適当にたくさん買い集めるんですけれども、そのリストを作ることさえ気がつかないんですね。買うて来るでしょう。一番裏の見返しに、どこどこ書店で何ぼで買うたって書いて、で、ぱっと棚に入れて終わりなんですね。書誌データを記録していくとか、あるいは乱歩がどんな本を出してるかを調べるとか、そういうことはまったく考えていないんですね。ただ本を並べて、ちょっと平井隆太郎先生のところに行って乱歩の文机を借りてくるとか、マントをお借りするとかして、おしまい。どちらも、平井家から図書館に無償永久貸与というかたちでお借りしているんですが、それで小さな、小さなコーナーを作って、「一丁あがり!」。これでは、市民の税金使って本買ってるのに、怒られますよ。

 活字に起こしてくれた編集スタッフのかたが、このあたりは削ったほうがいいのではないか、とアドバイスしてくださってるんですけど、なんのなんの、一歩も引かぬぞ。

 ただまあ、意味の汲みにくいところやテンポのよくないところには手を入れて、一篇のウェルメイドな話芸として仕上げたいとは思います。

 たとえば、

 「お役人というのは、現場のことがわかってないんです」

 というのはいったいどういうことか、どういう事態を念頭に置いてこんなことを口走ったのか、いまとなっては私にもわかりません。

 そもそもお役人のみなさんと来たら、現場のことだけでなく何もかもわかっておらんわけですが、とにかくちょっと手直しをする必要があると思われます。

 はたまた、

 「お役人の中で出世コースを爆進して、位人臣を極めましたというような人でも、世間ではそれはただのアホですからね(笑)」

 とありますところ、意味は汲めますけどテンポがいけない。

 ですから、

 「入庁以来お役所の出世コースをしゃかりきで驀進し、恥ずかしながら位人臣を極めてしまいましたゆうよなお役人でも世間へ出したらただのあほですからねあんなもん。はははは」

 みたいにすればいいんじゃないかと思います。

 あるいは、乱歩の「虫」みたいに、悪口雑言罵詈讒謗を伏せ字だらけにしてしまうのも一興ではないか。

 うーん。

 いろいろと悩ましいなあ。

 けけけ。
Posted by 中 相作 - 2017.06.24,Sat
書籍

もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら
 神田桂一、菊池良
 平成29・2017年6月21日第一刷 宝島社
 B6判 カバー 190ページ 本体980円

江戸川乱歩 二銭焼きそば
 p56─57

 宝島CHANNEL:もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら
Posted by 中 相作 - 2017.06.23,Fri
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朝日新聞デジタル
 平成29・2017年6月20日 朝日新聞社

幼少の乱歩 育んだ名古屋
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2017年06月20日

+Cスペシャル

幼少の乱歩 育んだ名古屋



江戸川乱歩が名古屋で初めて住んだとされる住居のあった錦通。三田村博史さんと歩いた=名古屋市中区



江戸川乱歩=1955年



 怪人二十面相や明智小五郎の生みの親で知られる江戸川乱歩。40歳までに46回も引っ越していますが、15年間は名古屋市内で暮らしました。名古屋からどんな影響を受け、人気作家の地位を築いたのでしょうか? ゆかりの地を歩きました。

●作家の原点 13歳で小説雑誌

 東海地方の文学に詳しい中部ペンクラブ会長、三田村博史さん(80)と一緒に、乱歩の暮らした市中心部を歩いた。

 地下鉄伏見駅の1番出口から錦通を栄方面に進むと、左手にりそな銀行名古屋支店が見えてくる。一家が名古屋で最初に住んだとされる旧園井町=地図〈1〉=の跡地付近だ。当時、近辺は全国一の蔵書を誇った貸本屋「大野屋惣八」など多くの書店や出版業でにぎわった。三田村さんは「出版物が豊富な繁華街で暮らし、幼いころから本に慣れ親しんでいたことが後の作家人生につながった」と言う。

 白川公園内の市美術館前の茂みに、乱歩が通った白川尋常小学校=地図〈2〉=の石碑が立つ。三田村さんが乱歩の小学校時代の回想を教えてくれた。

 《夕暮れの路地などを(中略)おとぎ話のような、詩のような、わけのわからぬ独りごとをつぶやきつぶやき、歩いていた》

 学校帰りなのか。石碑に乱歩の説明はなかったが、想像が膨らんだ。「小学生の乱歩が何を考えながら登下校したのか、想像すると楽しいですね」

 愛知県立第五中学(現・瑞陵高)に進んだ13歳の乱歩は小説雑誌を自作した。2年後には活字印刷の道具を使って同級生たちと雑誌「中央少年」を発行するように。三田村さんは「少年時代に文学的素養を培った名古屋は、作家としての原点と言っても過言ではない」と話す。

●見せ物小屋に衝撃

 白川公園の南に、乱歩が小学生のころによく歩いた大須商店街=地図〈3〉=がある。当時は見せ物小屋やお化け屋敷が並び、多くの人を集めた。今も演芸場やライブハウスなどが立ち並び、にぎわいの面影を残す。

 乱歩は随筆で、汽車の踏切事故を人形で再現した見せ物小屋の様子を回想している。

 《首、胴体、手足が切り口から真っ赤な血のりをおびただしく流して、芋か大根のように転がっているのだ》

 著書「乱歩と名古屋」を書いた金城学院大学の小松史生子教授(45)=日本近代文学=は「見せ物小屋など独特の文化が多感な少年期に与えた衝撃は大きかったのでしょう」と話す。

 明治時代の大須は近代化と都市化が進む一方で、見せ物小屋の香具師(こうぐし)や、旧尾張藩士なども流れ込んでいた。小松教授は「猥雑(わい・ざつ)で混沌(こん・とん)とした世界で過ごした少年期は、乱歩のエログロの作風に影響を与えたと言えるでしょう」と指摘する。

●上京後も続いた縁

 17歳の乱歩は1912年、父の会社の倒産で、名古屋を離れた。大学進学のため上京したが、名古屋との縁は続いた。

 作家デビュー後も、作家仲間との交流でよく名古屋を訪れていた。特に親しかったのが、先輩作家で今の愛知県蟹江町出身の小酒井不木(1890~1929)。乱歩の作家専業を後押しし、助言もした。

 名古屋市中区にあった老舗料亭「寸楽園」=地図〈4〉=は、乱歩が不木ら作家仲間と交流を深めた場所だった。その料亭の跡地が残っていると聞き、かつて料亭を営んでいた森茂さん(89)を訪ねた。森さんによると、料亭は100年以上続く老舗だったが、経営難で10年ほど前に廃業した。

 「先代やお客様から、乱歩さんが昔よく来ていたと伝え聞いてはいるんですが、私自身は何も知らないんですわ」。現在、料亭の一部はドライフラワー専門店に改装された。店長の大沢富保さん(39)は「乱歩の行きつけだったとは知りませんでした」と驚いた様子だった。

 寸楽園の跡地に、乱歩の話を聞きに来る人は今も絶えないという。森さんは「乱歩さん含め多くの皆さんに愛していただいた料亭なので、改装して使ってもらえたことはありがたい」とほほ笑んだ。

■江戸川乱歩の年表(「」は作品名、自治体名は現在の呼称)

1894年 三重県名張市で誕生。本名は平井太郎

 95~97年 同県亀山市(0~2歳)

   97年 名古屋市に移住(2歳)

1901年 市立白川尋常小学校(現市立栄小に統合)に入学(6歳)

   05年 市立第三高等小学校に入学(10歳)

   07年 愛知県立第五中学校に入学(12歳)

   12年 大学進学のため東京へ(17歳)

 17~19年 三重県鳥羽市の造船会社に就職(23~24歳)

   19年 同市の坂手島出身の村山隆子と結婚

   22年 大阪市へ移住

   23年 小説家デビュー

   25年 「D坂の殺人事件」「人間椅子」

   26年 東京へ移住。「パノラマ島奇談」

   27年 小酒井不木らと名古屋で耽綺社を結成

   36年 「怪人二十面相」

   65年 脳出血で死去(70歳)
Posted by 中 相作 - 2017.06.23,Fri

7月

雑誌
少年マガジンエッジ 7月号

平成29・2017年7月1日(6月17日発売) 第3巻第7号(通巻22号) 講談社

乱歩アナザー 明智小五郎狂詩曲
 薫原好江
Entry
Posted by 中 相作 - 2017.06.23,Fri
雑誌

少年マガジンエッジ 7月号

平成29・2017年7月1日(6月17日発売) 第3巻第7号(通巻22号) 講談社
B5判 633ページ 650円(本体602円)


乱歩アナザー 明智小五郎狂詩曲
 薫原好江
 原作:江戸川乱歩
 協力:平井憲太郎
 第16回〈最終話/第3章 魔術師 VI〉
 p577─612

 少年マガジンエッジ公式サイト:Home
Posted by 中 相作 - 2017.06.22,Thu

 『貼雑乱歩 ① 世に出るまで(仮題、変更予定)』のための引用集、「帝国少年新聞」の「主意書」行っときます。

近時我国に於ける新聞紙の発達は駸々として日に月に著く其種類の如きも重なるものゝみにて二千余を算するに至れり又その内容に至りては遠く千里の他邦に起りし出来事も数時間にして報じ得るの迅速と国民の輿論を励起して一国の政治を左右し得るの勢力とを兼備し吾人が是に受くるの利益実に鮮少ならざるなり然れ共大なる利益の反面には又種々の欠陥あるを免れず社会は新聞紙により莫大なる利益を得ると共に一方尠からざる悪影響を被りつゝあるなり。
現今の新聞紙の欠陥として数ふるものは多々あるべしと雖茲に吾人が謂はんと欲する処は其文章難解にして婦女年少者又は高等の智識を有せざる労働者等の読むに適せざる事なり殊に国家将来の維持発達に与るべき少年は日常社会重要の出来事を知らざるべからざるにも拘らず現今の小学生にして新聞紙の一二面を解し得る者は殆と無きの状態なり又仮に一歩を譲りて是を解し得るものとするも現今の新聞紙には社会の裏面に伏在せるあらゆる罪悪を網羅したる所謂三面記事なるものあり頭脳未だ定まらざる年少者がこれより受くる悪影響は蓋し鮮少ならざるべし即ち現今の新聞紙は思慮分別ある年長者の読むに適せるものにして少年は毫も是より得る処なきのみならず却つて書を受くるものなりと云はざるを得ずかくの如く現今多数の新聞紙皆年長者の独占物なりとせば少年にも又少年の新聞無からざるべからず現今の小学生にして往々文部大臣の姓名をすら知らざるものあるは実に適当なる平易の新聞紙なきに基因する事大なるべきは何人と雖肯首する処なり少年新聞の発行は実に目下の急務なりと云ふべし世に少年新聞と名附くる者既に多くこれ有りとは雖そは唯娯楽一方のものにして少年雑誌の類と何等異る処なく如上の欠陥を補ふには未だ尚足らざるなり茲に於て我等同志は理想的少年新聞を発行し以てこの不足を補ひ聊か国家に微意を致さん事を計り帝国少年新聞と題して一少新聞紙を発行する事となれり。
本新聞は其内容の一半を時事問題の解釈及重大事件の報導に充て他の一半は趣味あり実益ある少年小説御伽噺又は科学的の談話等を満載し以て少年をして娯楽の内に日常の出来事を知らしめ知らず識らずの間に国家的感念を深からしめん事を計らんとす若し少年にして社会百般の出来事を知るを得んか自然世界の地理歴史に通ずべく且又日常新聞紙を購買すれば常識の進歩は実に著しきものなるべきを以て本新聞の発行は又小学教育の一助ともなるべきを信ず聊か主意の存する処を述べて世の教育者及少年の父兄諸君に呈す幸に御賛助を得ば啻に吾等同志の満足のみならず実に国家の為天下少年の為幸甚なり。

 これ書いたとき、乱歩は満十八歳でした。

 当時の十八歳って、なんかもう老成してたりなんかしたんでしょうか。
Posted by 中 相作 - 2017.06.22,Thu
書籍

第16回家の光読書エッセイ入選作品集
 平成29・2017年3月31日 家の光協会

母と江戸川乱歩
 後藤喜朗
 p39─43

 家の光ネット:Home > 文化活動 > 読書エッセイ > 第16回 家の光読書エッセイ入選作品 > 記事
Posted by 中 相作 - 2017.06.21,Wed

 「帝国少年新聞の内容!! 内容!!!」のつづき、おしまいまで引いておきます。

 文中「〳〵」は縦に組めばくの字点になります。

△其他▽
『おり〳〵草』は主筆の諷刺漫筆で睡むけ覚しに妙『記者読者談話欄』は興味深々尚毎号作文考物絵画其他珍奇なる大懸賞が山の如くにある。

  △体裁
○普通新聞紙の半分大で四頁
○一頁六段四十行十六字詰総字数一万五千字余
  △発行
○毎月三回一日十一日二十一日発行
○第一号の発行は……………
 五月一日
  △本社
東京牛込区喜久井町五番地
  帝国少年新聞社
支部申込は右の所へ
  △定価
○一個月五銭一部二銭
 送料二銭
  △広告
直接本社へご照会を乞ふ

 新聞を発行して少年時代から好きだったお伽噺や小説を書きまくるんだ、みたいなことをくわだて、こんなに細部まで詰めたビジネスとして絵図を描くことができたんですから、乱歩はやはり芸を愛した母親だけではなく事業家として立った父親の血も確実に引いていたと思われます。
Posted by 中 相作 - 2017.06.21,Wed
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サライ
 平成29・2017年6月15日 小学館

「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」(江戸川乱歩)【漱石と明治人のことば166】
 矢島裕紀彦
 Home > 趣味教養 > 記事

「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」(江戸川乱歩)【漱石と明治人のことば166】

2017年06月15日



今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」
--江戸川乱歩

作家の江戸川乱歩は、掲出のような、妖しく危うげなことばを好んで色紙などに記した。明智小五郎や怪人二十面相といったキャラクターを生み出して、日本の探偵小説の基盤を築く一方で、天井裏からの覗き見や蜃気楼、陰惨な性愛など、猟奇的、幻想的なテーマを取り上げた乱歩には、お似合いのことばだった。

あえて噛み砕くなら、人が現実と思い込んでいるのは夢であり、夜にみる夢の方が本物かもしれない、というほどの意味。だが、そう解釈した途端に、ちょっと現実に付き過ぎてしまう感覚が残る。

乱歩自身の履歴にも、ある種の怪しさはつきまとう。明治27年(1894)、三重県の生まれ。早大政経科卒業後、30種に余る職業を遍歴しつつ、46回もの転居を繰り返した。作家としても、真っ暗な土蔵にひとりでこもり、蝋燭(ろうそく)のあかりだけで原稿用紙に向かう、という伝説を自らつくり上げていた。

だが、この土蔵の逸話に象徴されるような乱歩の人間嫌いの傾向は、若い時分までのこと。太平洋戦争中、隣組町会の副会長を引き受けたことが転機となって、戦後は自ら陣頭に立ってミステリーの復興に尽力し、若手作家を可愛がってよく面倒を見て、飲みに連れ歩いたりもしていた。

山田風太郎も、江戸川乱歩に可愛がってもらった弟子のひとり。乱歩は風太郎のデビューのきっかけとなった懸賞小説の審査員でもあり、風太郎の才能を高く評価していた。

何かの会合の帰り道、乱歩はわざわざ仲間の一群を離れて風太郎のそばに歩み寄り、「君には才能がある。僕はそういう眼で見ているからね」と声をかけてくれた。このとき風太郎は、夏目漱石にその才を賞揚された芥川龍之介に、自らの浮き立つ気持ちを重ねたという。

乱歩は実際、風太郎の眼には漱石の如き存在に見えていた。随筆『風眼抄』に風太郎はこう綴っている。

「乱歩さんは天性の教育者であったと思う。その点、漱石に似ている。結果としてその数多い弟子たちに敬慕されたことにおいても」

門弟たちを導く師としての乱歩の姿は、あやうい夢などでなく、どっしりした存在感に満ちていただろう。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。
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