お盆を控えて、ちょっとだけ忙しかった。
しかも、ロンドン五輪その他がからんで、なにかとあれであった。
しかし、なんとか乗り切った。
きょうはこれから、拙宅で、ささやかながらお盆の宴会を開くことになっておる。
雨もあがったようだ。
では、頼んでおいた鶏の唐揚げを受け取りに、瑞福祥アピタ名張店へ行ってこようっと。
ではまたあした。
どうぞよいお盆を。
きょうもきょうとて、乱歩のことのみ、つづるなり。
と申しあげたいところなのですが、きょう7月28日はロンドン五輪開会式の日です。
開会式は日本時間の本日午前5時にスタートし、すでにつつがなく終了いたしましたが、おかげさまで、まことにおかげさまで、遠縁の娘が日本選手団の旗手という大役を、おかげさまでなんとか無事にあいつとめることができたようです。
MSN産経ニュースから無断転載。
記事はこちらでございます。
▼MSN産経ニュース:ロンドン五輪特集 > さっそうと旗手を務めた吉田沙保里(2012.7.28 07:53)
どうもありがとうございました。
開会式のライブをテレビ画面でぼーっとみておったのですが、参加各国、女性旗手にはそこそこなきれいどころをとりそろえてきておるらしいなと気がつき、そこでふとわれに返って、いやこ、これはちょ、ちょっと、と一抹の不安をおぼえはじめた次第ではあったのですが、なんのなんの、遠縁の娘も結構本気でつくりあげてはきており、いささか緊張気味の表情ながら、華やかな雰囲気を全身にまとったような印象も好ましくて、なかなか立派な旗手ぶりではなかったか、と手前味噌ながら思いました。
ご支援、ご声援、どうもありがとうございました。
ちなみに遠縁の娘、競技本番は8月9日となっております。
ひきつづきまして今後とも、どうぞよろしくお願い申しあげます。
ではでは、乱歩の話題でございます。
「陰獣」をめぐる憤りと伝説
ロンドン五輪の2012年から、「陰獣」の1928年まで、八十四年を一気にさかのぼっていただきますが、なにをいくらどう考えても、「新青年」の編集者だった横溝正史が、休筆中の乱歩から、復帰第一作は「改造」に発表するんだもんね、と聞かされて、眼もくらむほどの憤りをおぼえなかったはずはありません。
しかし、正史はなにしろ編集者です。
その憤りをまんま口にしたり、ましてや乱歩に食ってかかったり、そんなことはとてもできません。
いくら業腹でもすべては腹に収め、乱歩に傑作を書かせることを最優先させました。
乱歩歿後の1975年になって、つまり、「陰獣」から四十七年が経過したときに、正史は「『パノラマ島奇譚』と『陰獣』が出来る話」を発表し、「新青年」に「陰獣」を獲得したときの舞台裏を回想していますが、そこには乱歩に抱いた憤りのことなど毛筋ほども記されていません。
五十年近い昔のことなど、すっかり忘れていた、ということなのかもしれませんし、あるいは、おぼえてはいたけれど、あえて蒸し返すことでもないと判断し、乱歩がかつて記したところを追認することで、「陰獣」をめぐる伝説を当事者のひとりとして補完した、ということなのかもしれません。
いずれにせよ、正史が憤らなかった、とは考えられないわけですが、乱歩や正史が述懐したところをそのまま鵜呑みにするだけでは、百年たっても正史の心中を忖度することは不可能でしょう。
だいたいが、探偵小説の愛読者というのは、猜疑心のかたまりみたいな人間ではないか、と思われます。
ひとのいうことをなんでも真に受けて、疑うことを知らない、なんてことでは、いくら探偵小説を読んだところで、作者にいいようにだまされてばかり、ということになるしかないでしょう。
乱歩の定義はほんとにおかしい
猜疑と穿鑿の亡者となって小説の行文にねちねちと粘着する、というのが、探偵小説の読者としてあらまほしき態度だといえると思うのですが、それがやれ自伝だ随筆だ、ということになると、猜疑も穿鑿もどこへやら、書かれてあることをそのまんま信じて疑わない、などというナイーブな読者になりはててしまうのは、ても面妖なことじゃのう、と思います。
そうした面妖さの頂点にあるのが、いくたびもしつこく指摘しますけど、乱歩による探偵小説の定義でしょう。
探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。
これです。
なにをいくらどう考えても、乱歩によるこの定義はおかしい。
難解な秘密、というフレーズが、死ぬほどおかしい。
一般的には、こんなところに、秘密、ということばは使用しないでしょう。
秘密と論理、が探偵小説の二大要素である、みたいなことは、ほかにはだれひとりとして主張していないはずです。
早い話、乱歩自身、「探偵小説に現われたる犯罪心理」の冒頭で、と、だしぬけにこの作品が出てくるのは、つい最近、さるアンソロジーに収録されたせいで、その出だしを記憶していたからなのですが、ついでですから、そのアンソロジーのことを録したこのエントリで、「探偵小説に現われたる犯罪心理」の冒頭をお読みいただきましょうか。
▼2012年7月19日:悪のしくみ 中学生までに読んでおきたい哲学2
ごらんのとおり、乱歩は「探偵小説はその本来の目的が複雑な謎を解く論理の興味に在る」と明記しています。
これならよくわかります。
謎と論理。
それが探偵小説の二大要素である。
これなら、なんの支障もありません。
だというのに、乱歩はなぜか、かんじんかなめの定義において、「難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く」と不用意に書きつけてしまったわけであり、さらにまたなぜか、探偵小説の愛読者は、猜疑も穿鑿もどこへやら、乱歩の定義を鵜呑みにして、疑いを差し挟むことなどいっさいせず、得々として引用したりもしながらこんにちにいたった、というありさまで、そうしたナイーブさはやはり、ても面妖なことじゃのう、とおおいに驚かれるものだというしかありません。
猜疑と穿鑿の化身として
とはいうものの、かくいう私とて、上に述べたようなことに思いいたったのはまだ最近のことですから、大きなことは申せません。
それに私は、探偵小説の愛読者、というわけではまったくありませんから、じつは探偵小説の定義なんてどうでもよろしく、もしかしたらもしかして、探偵小説の愛読者にとっても、ただただ良質の探偵小説が存在していてくれればそれでよろしく、定義なんてじつはどうだっていいんだよ、みたいなことであるのかもしれなくて、だからこそ、探偵小説の愛読者は、乱歩の定義をまともに読もうとせず、ゆえに、その定義の面妖さにも気づくことがなかった、ということではないのか、と、いま急に思われてきた次第なのですが、とにもかくにも、今後とも猜疑と穿鑿の化身として、『探偵小説四十年』をはじめとした乱歩作品に接してゆきたいな、とは思います。
むろん、近年、『探偵小説四十年』を唯一絶対の正史にして聖典とみることへの疑義が呈されるようにもなってはきていて、たとえば先月、作品者から刊行された『岡本綺堂探偵小説全集』第一巻で、編者の末國善己さんは巻末の「編者解説」にこんなふうにお書きです。
綺堂の探偵小説は、(捕物帳の『半七捕物帳』を除けば)探偵小説史に記録されることはなかった。しかも『半七捕物帳』は、乱歩のお眼鏡にはかなわなかったようで、『探偵小説四十年』には「綺堂の捕物帳は出ていたけれども、これでは物足りない。もっとトリックと論理のある探偵小説が要望され愛読されなくてはつまらないと思った」とネガティブな評価を下されている。ただ留意しなければならないのは、探偵小説の歴史が『探偵小説四十年』を一種の“聖典”として、戦前なら「新青年」、戦後なら「宝石」に発表されたような「トリックと論理のある」本格ミステリを軸に記述されてきた事実である。そのことは、乱歩が『一寸法師』(「東京日日新聞」一九二六年一二月八日~一九二七年二月二〇日)、『蜘蛛男』(「講談倶楽部」一九二九年八月~一九三〇年六月)、『黒蜥蜴』(「日の出」一九三四年一月~一二月)といった猟奇殺人鬼と名探偵の戦いを描くスリラーを、自作でありながら“通俗長篇”と呼んで一段低く見ていたことからも明らかだろう。だがそれは、新聞に連載された家庭小説風の探偵小説はもちろん、「講談倶楽部」、「キング」など探偵小説専門誌ではないメディアに発表された通俗的な探偵小説も、ジャンルの歴史から抜け落ちていることを意味する。そうであるなら、岡本経一いうところの「一般受け」していた綺堂の探偵小説を知れば、マニアが書き継いだ探偵小説史とは異なる、一般的な読者が好んだ作品でたどるもう一つの探偵小説史が浮かび上がる可能性さえ秘めているのである。
拝読して、深い共感をおぼえた次第です。
ではでは、とりあえず、このへんで。
あぢーなー。
毎日あぢーなー。
死ぬほどあぢーなー。
とかいっててもしゃーないけど、きょうこそはほんと、乱歩の話題だけをつづろう、とぞ思う。
名張のまちで乱歩を語る
どうじゃ。
乱歩の話題じゃろうが。
7月8日、日曜日のことであった。
兵庫県からおいでになったお客さんに名張ゆかりの手みやげを、と名張のまちにあるとある商店へ買いものにおもむいた。
名張のまちは、あいかわらず、眠るがごとく静かであった。
よく晴れた日曜の午後だというのに、しーん、としていた。
さて、その商店で、店のひとから、今年のミステリ講演会はどうなっているのか、とお尋ねを頂戴した。
無理もないお尋ねだ。
名張市恒例のミステリ講演会「なぞがたりなばり」はとっくの昔におしまいになった、ということは、このブログをご覧いただいておる諸兄姉には周知の事実だけど、一般の名張市民には知られていない。
名張市が、なぜか、だんまりを決めこんでいるからだ。
不祥事とかそういうのではないんだから、堂々と発表すればよさそうなものなのに、隠蔽体質が骨肉と化している、ということか、とにかく市民はなにも知らされていない。
もっとも、ミステリ講演会に興味がある市民、なんてのがまず稀少種であって、かりに興味があったとしても、今年の講師はどなたかしら、みたいなレベルにとどまる程度であるはずで、毎回必ず足を運んでます、といった市民はたぶん、ただのひとりもおらんかったはずである。
だから、くだんのお尋ねも、どうしても知りたい、というわけではなくて、こちらにたいするお愛想めいたものではあったのであろうけれど、それはそれとして、事業の終了を名張市が発表しようとしないのは、いうまでもなくまずいことである。
名張市はなぜ、そんなまずいことをするのか。
まずいことばっか、しているのか。
そんなこと、わしゃ知らん。
しかし、こんな隠蔽めいたことばっかやってると、名張市はますます、市民の信、というやつを失ってしまうであろうな。
つか、もう失いつくしたか。
つぎ。
遅々としている
ぼちぼちやっとる。
▼名張まちなかブログ:Top
ご覧いただいたとおり、「江戸川乱歩年譜集成」、一年一エントリを原則として、誕生以前から昭和5年までたどりついた。
あゆみは遅々としている。
記載スタイルをあれこれ試しつつ作業を進めておるゆえ、これから先もスタイルに変更を加えることになるはずだが、ま、パイロット版のようなものだとお思いいただきたい。
へんてこなところがある
年譜作成の必要上、『探偵小説四十年』をぱらぱら読み返すことが多いのだが、事実誤認めいた記述が少なからずあることに、あらためて気づかされる。
たとえば、昭和3年。
甲賀三郎が「新青年」8月号に発表した「探偵小説はどうなったか」から自分への言及を引用し、当時の自分がどんな地点に立っていたのかを、いわばあたうかぎり客観的に紹介しようとしたくだりがある。
一段落だけ、引用する。
江戸川乱歩の沈黙は何と云っても探偵小説界の一大損失だった。今に書くだろうと云われながら、彼の沈黙は案外長く続き、先頃ちょっと復活を思わせたが、結局は駄目であった。〔註、「押絵と旅する男」の前稿を、名古屋の大須ホテルで、横溝君に渡さないで、便所へ捨てた一件を指すのであろう〕
「探偵小説はどうなったか」から引用した文章に、〔 〕を使用して乱歩の註が挿入されているわけだが、この註記がおかしい。
へんてこである。
なにがへんてこか。
まず、「押絵と旅する男」の原型となった作品を大須ホテルの便所に捨てたのは昭和2年のことだが、『探偵小説四十年』でそれが記されるのは昭和4年に入ってからである。
だから、昭和3年のくだりにいきなり、「便所へ捨てた一件」などと記されても、読者としては要領を得ない。
大須ホテルのことは昭和2年の章にくわしく説明されているから、乱歩はそこに便所の一件も記したものだと勘違いして、読者に想起を促すような記述をうっかり採用してしまったのではないかと判断される。
ほかにも、へんてこなことがある。
そっちのほうが、よっぽどへんてこだ。
ますますへんてこだ
甲賀三郎が「先頃ちょっと復活を思わせたが、結局は駄目であった」と書いたところを、乱歩はやはり勘違いしている。
つまり、「ちょっと復活を思わせた」というのは、ふたたび小説を書く気になって作品を仕上げたことであり、「結局は駄目であった」というのはその原稿を便所に捨てたことであった、と乱歩は理解しているのだが、そんなばかなことはないだろう。
たかだか原稿を書いたり、それを便所に捨てたりしたことが、どうして復活への挑戦とその挫折、みたいな文脈で語られなければならないのか。
そもそも、例の便所の一件を、横溝正史が甲賀三郎に打ち明けていたのかどうか、おおいに疑わしい、というか、そんなことを打ち明けていたとはとても思えない。
それ以前に、甲賀三郎はあくまでも、復活うんぬんという乱歩の動向を、当時の探偵小説読者に共有された情報として示しながら、乱歩に言及していたはずである。
たとえ横溝正史から大須ホテルのエピソードを聞かされていたとしても、そんなものはあくまでも業界の裏話であって、周知の事実として探偵小説の読者に共有されていたわけではない。
だったら、甲賀三郎の記述の根拠はなんだったのか。
おそらく、昭和2年3月以来の沈黙を破り、乱歩が「新青年」の昭和3年新年号に「あ・てる・てえる・ふいるむ」を発表したことだと思われる。
これが横溝正史による代作であることは、のちに正史と乱歩それぞれによって証言されることになるが、「探偵小説はどうなったか」が執筆された時点では、乱歩の作品とみなされていたと考えるべきであろうし、しかもそれは、たいした出来ではなかった。
「新青年」の新年号を手にとって、お、乱歩復活か、と喜び勇んで「あ・てる・てえる・ふいるむ」に眼を通したものの、だめだこりゃ、と落胆し、そのあとふたたび沈黙してしまった乱歩に、やっぱだめだなこりゃ、とさらに失望を重ねざるをえなかった甲賀三郎自身の体験が、読者にも共有されたはずのものとして、「先頃ちょっと復活を思わせたが、結局は駄目であった」という文章の背後に横たわっているとみるべきではないか。
しかし乱歩は、原稿を書いて捨てたというきわめてパーソナルな体験を、知人や読者に共有されたものと勘違いしてしまっていたとおぼしい。
どことなく自我肥大を連想させぬでもないこうした勘違いは、しかし乱歩の場合、けっして珍しいものではないように思える。
やっぱりおかしい
朝日新聞出版から、こういうのが出た。
▼朝日新聞出版:週刊 マンガ世界の偉人 26号
漫画は、みずはらけんじさん。
時代は、昭和2年から3年かけて。
小酒井不木や横溝正史を配して、大須ホテルの便所のエピソードもぬかりなく盛りこみ、おいたちやデビュー以前の回想もまじえながら、休筆を終えて「陰獣」で華々しいカムバックを飾る乱歩の姿が、美しいカラーで描き出されている。
しかし、やっぱ、おかしいな、と思う。
乱歩は「陰獣」を「改造」に発表するつもりだった、ということはこの漫画でもふれられていて、それはまさしく周知の事実ではあるんだけど、カムバック作品を「改造」に書いていた、と知らされて、横溝正史がどんな気分を味わったか、ということに、昭和3年から現代にいたるまで、だれひとりとして思いをいたそうとしなかった、っつーのは、やはり、とても、不可解なことではないのか、とあらためて思った。
つまり、乱歩が自伝や随筆に書いてることをそのまま鵜呑みにして、正史の心中を忖度しようなんて考えてもみなかった、というのでは、なんというか、少なくとも探偵小説の読者としては欠格者ではないのか、という気がしないでもない、と最近、思えてきた。
やっぱ、おかしいじゃろ。
いじめは大津市に、がれきは名張市に、市長不祥事は伊賀市に、どーか安心しておまかせくださいッ。
がはッ、がはッ、がはがはがはッ。
とか、あほなことばっかゆうとるとほんまにあほみたいやから、つか、ほんまにあほなんやけど、この方面のあほさはいささかセーブすることにして、命日が近いことでもあるゆえ、たまには乱歩のことをつづらんとてつづるなり。
死せる乱歩と生ける自殺志願者
おとといのエントリでいじめについて述べたところ、「いじめあるいはパワハラ」なる件名のメールを頂戴した。
職業上のいじめ、あるいはパワハラによって、ぎりぎりのところまで追いつめられ、自死するつもりで旅に出たのだが、といった体験談が記されたメールである。
もとよりブログで公にするべきことではないのだが、拝読していささか心にしみるところがあったので、ごくかいつまんだ概略だけ、ここにご紹介する不作法をあらかじめお詫び申しあげておく次第である。
さて、仕事もほっぽり出して旅に出た時点で、死地と決めていた場所があった。
あちこち泊まって、三日目、その場所に到着した。
だが、そこで自死することは物理的に不可能だ、ということが判明した。
さらに、旅をつづけた。
そのうち、大好きな乱歩のことが心に浮かんできた。
心のなかで、乱歩に語りかけたりもしてみた。
すると、
「そう言えば乱歩に熱中した小・中学時代は、何の心配もなく、自殺なんて考えたことはなかったなぁと思い、再び生きる勇気が沸いて来ました」
といった心境の変化が訪れてきたという。
以上、かなりかいつまんだせいでリアリティを欠く結果になったかもしれないが、拝読して、なんにせよ、よかったな、と思った。
どんな事情であれ、死せる乱歩が生ける自殺志願者を救ったのは、ほんとによかった、と思った。
純粋にうれしい話であった。
ちなみに、重大な危機に直面した人間が、幼少年期を追体験することでその危機を回避し、さらには本来の自己を回復してゆく、みたいなことは、あっても全然ふしぎではない。
おとといのエントリには、
「もちろん、芸能は無力ではない」
「それどころか、ひとをこの苛酷な人生にふたたびみたびと正対させてくれるパワーを秘めている」
「生の賦活にあずかって、大きな力を発揮してくれる」
と書いた次第であるが、これはもちろん、芸能にかぎった話ではない。
文芸にもそうしたパワーや力は秘められていて、「いじめあるいはパワハラ」で追いつめられた人間にたいして、ときとして有効に作用する、というわけだろう。
ただし、としつこく言及するのも意地のわるい話だが、乱歩狂言「押絵と旅する男」にそんなパワーや力があるのかどうか、それはよくわからないものの、少なくとも、宮城県塩竈市で上演して、はたして復興支援になるかどうか、というと、おとといも記したとおり、なりゃせんやろ、とは思われる。
もっといえば、芸能の公演が復興支援として力を発揮するためには、その公演が芸能者の主体的な意思によって支えられていることが必要になるのではないか。
被災地を訪れ、被災者の前に立つことを、芸能者がみずから選びとることによってこそ、芸能は復興支援の祈りを託す器となるのではないか。
なんか、ただの興行というだけでは、いや、いやいや、いやいやいやいや、そんなことはまあ、どうだっていい、ということにしておこう。
旧乱歩邸特別公開
先述のとおり、乱歩の命日が近づいた。
7月28日が乱歩忌である。
7月26日にスタートする第七回新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館の一環として、旧乱歩邸の特別公開が行われ、乱歩忌には特別公開のほか、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの学術調査員によるギャラリートークも楽しめる。
詳細は、というか、あんまり詳細でもないんだけど、このエントリでどうぞ。
▼2012年7月2日:旧江戸川乱歩邸特別公開
こんなのも貼っとこう。
乱歩忌の夏に乱歩の影はなく
いっぽう、乱歩生誕地の名張市はどうかというと、乱歩忌を迎えたからといって、とくになんにもないようである。
乱歩を敬愛する市民が集まり、心をこめて乱歩の生誕地碑をお掃除する、みたいなこともないようである。
なんでこんなことを書いたかというと、あれはいつであったか、徳島県にある海野十三の文学碑を訪ねたところ、ちょうど命日にあたるとあって、地元のひとたちが文学碑の清掃に精を出していらっしゃるシーンに遭遇したことを、ふと思い出したからだ。
ブログにも記したはずだ、と検索してみたら、このエントリに書いてあった。
▼名張まちなかブログ:乱歩のことを考える(に)(2010年3月2日)
引用しとくか。
お役所レベルの構想や事業はべつにして、市民レベルの動きはどうか。名張市に乱歩の生誕地碑が建立されたのは五十五年前、昭和30・1955年のことであるが、それを受けて、市民レベルになにかしらの動きがあったのか。とくになかったようである。なにも伝えられておらず、どんな資料も残されていない。
よその事例はどうか。他都市のことはあまり知るところではないのだが、去年、実際に足を運んだところについて述べておくと、まず神戸市。東川崎町というところに平成16・2004年、横溝正史の生誕地碑が建立された。以来、地元の関係団体が協力して、金属製の生誕地碑をメンテナンスしたり、年にいちど講演会を催したりしている。去年は11月22日に講演会が催され、講師は有栖川有栖さん、主催は東川崎ふれあいのまちづくり協議会と神戸探偵小説愛好會。日本SFの父と称される海野十三は、昨年が没後六十年だった。生まれたのは四国の徳島市で、市内の公園には海野十三文学碑が建てられている。昨年の命日、5月17日に訪れると、海野十三の会のメンバーが文学碑の掃除に精を出していた。そのあと同会主催の講演会があって、講師は野村恒彦さん。神戸も徳島も、たぶん行政の支援などまるでなく、横溝正史や海野十三に崇敬の念を抱く関係者が会費を出し合ったり、おそらく自腹も切ったりして、地域に生まれた偉大な先人の業績をしのんでいる、といったところであった。
そこへ行くと名張市においては、みたいなことはミステリ講演会が終わってから記すわけであるが、ここで市民レベルのことをいささか述べておくならば、いまさらいうまでもないことではあれど、名張市民だからといって、乱歩作品を読まなければならぬということはない。乱歩という作家に親しまなければならぬ、ということはない。ことはあくまでも個人の問題である。個人の好き嫌い、趣味嗜好の問題である。他人が強制すべきことではまったくない。乱歩を好きになろうが嫌いになろうが、あるいはまったく興味を向けなかろうが、そんなのは名張市民それぞれの勝手である。お役所が音頭を取って、乱歩作品を読みましょうと市民に呼びかける必要も、乱歩のことをよく知りましょうと市民に訴える筋合いも、そんなものはいっさいないのである。市民それぞれ、もう好きにすればいいのである。
結局、おおかたの名張市民にとって、乱歩とはいったいなんであるのか。決して嗜好愛好の対象でもなければ、敬愛崇敬の対象でもない。名張という片田舎を少しでも有名にするための、えがたい素材でしかないのである。乱歩の知名度を利用して、名張をPRしたいというのが、なにかというと乱歩の名前を口にする市民の本音なのである。しかし、残念であったな。官民双方、めいっぱいおつむのおよろしくない連中がいくら頑張ったって、ろくなことはできない。うわっつらのことしかできない。ちまちましたご町内イベントでちゃらちゃらかっこつける程度の話にしかならぬのである。官民双方のめいっぱいおつむのおよろしくない連中が他者を排除してなにを考えてみたところで、ろくなことにはならんのである。
涙目になってる諸君も、その程度のことはわかるよな。だいたいがあれだぞ、おれはこれまでに、身のたけ身のほどをわきまえろ、とはいってきた。名張市には名張市の身のたけ身のほどというものがあるのだから、それに応じて乱歩のことをやればいいのである、とはいってきた。しかし、おまえらのおつむのレベルでやれ、とはいってない。乱歩作品をまともに読んだことがなく、乱歩がどういう作家だったのか、現在どのように受容されているのかを知ろうともしないような人間が、いやいや、こういったことはミステリ講演会が終わってから記すわけなのであるから、まあどうぞお楽しみに。
ま、そういうことであって、乱歩蔵びらきの会とか、いったいどうしておるのであろうな。
乱歩の銅像が建てられるんだってさ
そういえば、名張市内に乱歩の銅像を建てよう、みたいな動きが、水面下で進められているらしい。
そのうち、表沙汰になったら、またあらためて、笑いものにすることになるかもしれん。
しかし、なんか、発想が、どっか、昭和っぽいよね、つか、へたすりゃ北朝鮮っぽい、よね。
ジュリーin徳島
徳島の話題に戻る。
徳島新聞のコラム「ぞめき」のスキャン画像、ふとしたことから入手したので、問答無用の無断転載。
わざわざ被災地に行かなくたって、死者を追悼し、被災者を支援することは、いくらでもできる、ということなわけよね。
徳島新聞オンパレード
ついでだから、こんどは徳島新聞のコラム「鳴潮」。
二連発で行っとこう。
ま、名張市役所のみなさんには、まるっきり縁のないおはなしばっか、だよね。
三重県の知事さんと伊賀市の市長さん
徳島県といえば、震災がれき受け入れ問題でこんな見解を発表しておって、一部でかなり評判がよろしい。
▼徳島県 > ようこそ知事室へ > とくしま 目安箱 > 提言と回答 > 放射線が怖い? いいえ本当に怖いのは無知から来る恐怖(2012年3月15日)
▼徳島県 > ようこそ知事室へ > とくしま 目安箱 > 提言と回答 > 東日本大震災のがれき問題(2012年3月29日)
▼徳島県 > ようこそ知事室へ > とくしま 目安箱 > 提言と回答 > 【監察局よりお礼】目安箱で公表しております「震災瓦礫」に関するご意見について(2012年3月30日)
▼徳島県 > ようこそ知事室へ > とくしま 目安箱 > 提言と回答 > 被災地支援について(2012年5月9日)
▼徳島県 > ようこそ知事室へ > とくしま 目安箱 > 提言と回答 > 至急ご連絡ください。最低でも320万Bqが到達してしまいます。(2012年5月22日)
「徳島県としては、県民の安心・安全を何より重視しなければならないことから、一度、生活環境上に流出すれば、大きな影響のある放射性物質を含むがれきについて、十分な検討もなく受け入れることは難しいと考えております」とか、こういったあたりが、まずまず正直で、県民の理解や納得を得ることのできる見解ではないのか、と思われる。
われらが三重県のぽてちん知事さんも、ま、もうひっこみはつかない、ということなのかもしれんけど、地元住民の強硬な反対にかんがみて、ちっとは柔軟なところをおみせになってはいただけぬものかしら。
▼中日新聞 CHUNICHI Web:鈴木知事が育休取得 「男性の実践例に」(2012年7月23日)
われらがぽてちん知事さんだって、育児休暇問題にかんしては、かつて東京都文京区の区長さんがおとりになったときには、違和感をおぼえる、と公言されていたにもかかわらず、柔軟に態度を変化させて、いまや育児休暇推進派でいらっしゃるではないか。
だから、震災がれき受け入れ問題でも、柔軟な対処、というやつはじゅうぶんに可能だと思われる。
ここはひとつ、お坊ちゃんのかわいい寝顔を心ゆくまでおながめになりながら、震災がれきの受け入れについて、もういちどじっくりお考えいただく、というわけにはまいらんじゃろうかのう。
やっぱ、住民不在にして問答無用なり、の既定路線で、このまま勇往邁進されるのであろうかのう。
しかし、かんじんの地元、伊賀市はどうか、っつーと、はっきりいって、結構やばくね?
伊賀市の市長さんは、伊賀南部環境衛生組合の副管理者でいらっしゃるわけやけど、これから先、震災がれきの安全性を訴える説明会にお出ましになってもじゃな、おーい、おとっつぁん、きょうはコンパニオンつれてねーのかよ、とかいわれたりして、会場内は大爆笑、なにをおはなしになったところで、説得力なんてまったくのゼロ、みたいなことになってしまうのではないか。
震災がれきの安全性についておはなしになろうとなさってもじゃな、会場のそこここから、震災がれきより先にてめーのぽこちんの安全性について説明してみろよおら、とか、みょーなとこでみょーなものまき散らして風評被害ひろげてんじゃねーぞおら、とか、このおッ、このおッ、このこのこのおッ、このすけべおやじがこのこのこのおッ、とか、とっとと在所にひっこんで牛でも飼ってろよおら、とか、牛の乳でも揉んどいたら? とか、心ないやじが飛んできて収拾がつかなくなってしまうのではないかいな。
それにしても、田舎の市長さんが土建屋さんから接待受けて、加賀の温泉でコンパニオンとちょめちょめしました、なんてのは、いまとなっては古きよき時代の日本昔ばなし、みたいな印象があるんだけど、じつはいまだにみられる習俗なわけなのね。
むしろ、あまりにもあたりまえすぎてニュースとしての訴求力がない、ということなのか、2ちゃんねるのスレがまあ伸びないこと伸びないこと。
▼ニュース二軍+:【三重県伊賀市】市長、受注業者と温泉旅行…コンパニオンも同席
▼ニュース速報+:【社会】伊賀市長、土木業者の社長・専務・常務の5人と1泊2日の温泉旅行…宿泊先では女性コンパニオンも同席
▼ニュース二軍+ :【政治】伊賀市長内保博仁(68)、市発注工事受注土木会社の取締役と一緒に一泊二日の温泉旅行…女性コンパニオンのおもてなしを受ける
▼痛いニュース+:【三重】伊賀市長、業者と温泉旅行。女性コンパニオンも同席
はッ。
いかんいかん。
乱歩のことをつづらんとて、伊賀市のことをつづってしもうた。
なんか、さいてー。
えーっとまあ、いろいろだいじなときらしいのに、こげなこつではもうおしまいじゃ、さのよいよい。
▼毎日jp:伊賀市長:市の工事受注業者と温泉旅行 「軽率だった」(2012年7月22日)
▼Sponichi Annex:伊賀市長、業者と温泉旅行 女性コンパニオンも同席(2012年7月22日)
内保さんなんだかあほさんなんだか、どっちなんだかようわからんけど、それでのうても現在ただいま、震災がれきの受け入れ問題で、水面下のアンダーザテーブルに疑惑の視線が投げかけられておるというのに、あーこれこれ、あーこれこれ、あーこれこれこれこれあほさんや、うっとこはそらもうそこらの業者とずぶずぶなあなあでございますねん、みたいなことが発覚してしもうたら、がれき受け入れ問題にもいやおうなく暗雲が垂れこめてきてしまうぞなもしな、あーこれこれ、さのよいよい。
しかしこれ、今年11月に迫った伊賀市長選挙をにらんで、どっかの筋から報道関係あたりにリークがあった、ゆうことかのう。
さすが、忍びの国じゃ。
わるだくみの国じゃ。
伊賀の人間なんてのはな、なんつったって忍者の末裔なんだからな、年がら年中わるだくみばっかしてんだぞ、絶対に信用なんかしてはなんねえんだぞ、といっていたじっちゃんのことばは、けっしてうそではなかったんだっぺ。
おっそろしかのう。
いじめは大津、がれきは名張、を合言葉に全国発信展開中の三重県名張市から、きょうもささやかにお届けする。
震災がれきをめぐる動向、全国的にはどうなっておるのか。
がれき、で検索したきのうのウェブニュースから、震災がれき処理にかんするものをひろっておく。
▼朝日新聞デジタル:震災がれき受け入れ、安全評価申請へ 大阪湾岸2処分場(2012年7月21日)
▼朝日新聞デジタル:がれきコンクリ 土砂を再利用へ(2012年7月21日)
▼MSN産経ニュース:がれき広域処理 踏み切れぬ関西 「阪神経験したのに…」(2012年7月21日)
▼毎日jp:東日本大震災:がれき問題、掛川市が説明会 空席目立つ /静岡(2012年7月21日)
▼毎日jp:東日本大震災:がれき処分、国の回答ちぐはぐ 青森市、先月20日再質問も /青森(2012年7月21日)
▼毎日jp:東日本大震災:仙台市、石巻ブロックのがれき受け入れ 27日から /宮城(2012年7月21日)
▼毎日jp:東日本大震災:がれき試験焼却灰、セシウム濃度問題なし--由利本荘の施設 /秋田(2012年7月21日)
▼毎日jp:東日本大震災:震災がれき 兵庫・尼崎沖、大阪・泉大津沖で埋め立て 広域連合要請で方針(2012年7月21日)
▼毎日jp:東日本大震災:がれき受け入れ 来月の試験焼却困難 長岡市長「来週にも検討会議」 /新潟(2012年7月21日)
▼毎日jp:東日本大震災:がれき受け入れ、7月中にも協定 北橋・北九州市長と宮城知事会談 /福岡(2012年7月21日)
▼毎日jp:25時:がれきでなく人を /宮崎(2012年7月21日)
▼毎日jp:震災がれき:再利用し作品作り 渋谷ヒカリエ(2012年7月21日)
▼47NEWS:震災がれき、県が焼却場調査を開始(2012年7月21日)
▼47NEWS:復興道路にがれき活用 国交省南三陸国道事務所(2012年7月21日)
▼47NEWS:がれき堤防復旧に活用 盛り土材確保へ 東北整備局、仙台市(2012年7月21日)
がれき処理には直接関係なけれども、遠縁の娘が震災がれき製のメダルを頂戴したので、関係各位に深甚なる謝意を表しつつ。
▼毎日jp:ロンドン五輪:活躍願いがれきメダル…被災地の生徒手渡す(2012年7月21日)
もういっちょ、こちらは本日付。
▼スポーツ報知:被災地の子供からがれきで作ったお守りメダル、五輪選手団にプレゼント(2012年7月22日)
ついで、当地のニュースの落穂ひろい。
▼伊賀タウン情報YOU:震災がれき 住民説明会の結果を報告 伊賀南部環境衛生組合議会(2012年7月20日)
さて、今後の展開はどうか。
昨日付ウェブニュースによれば、伊賀南部環境衛生組合は、焼却施設周辺に位置する五地区を対象に、個別に説明会を開く、としているそうじゃ。
つまり、分断工作じゃな。
7月1日の説明会は、こんな感じであった。
国
↓
三重県
↓
伊賀市+名張市
↓
×
↑
阿保-上津-博要-高尾-矢持-桐ケ丘
参加対象は、伊賀市内旧青山町エリア六地域の代表であった。
7月16日の説明会は、旧青山町エリア内の焼却施設周辺五地区がいわば第一次対象で、それ以外からの入場も二次的、三次的な対象としてOK、みたいな感じで認められた。
こんな感じね。
国
↓
三重県
↓
伊賀市+名張市
↓
×
↑
奥鹿野-福川-伊勢路-柏尾-桐ケ丘
その他
で、二回にわたる説明会において、垂直性の力学は水平性の力学に太刀打ちできない、ということが判明した。
だから、垂直性の力学サイドは、水平性の力学をずたずたにしてしまう分断工作を敢行することになった、ということだ。
つまり、上の図にある「奥鹿野-福川-伊勢路-柏尾-桐ケ丘」という横の連携がなくなり、「その他」も消えてしまって、それぞれの地区が単独で垂直性の力学と対峙する、ということになる。
たとえば、奥鹿野における説明会は、こんな感じになるのかな。
国
↓
三重県
↓
伊賀市+名張市
↓
×
↑
奥鹿野
五つの地区それぞれで、かくのごとき説明会を開催することによって、NOをYESに転じさせることができるのであろうか。
どうなるんだろうね。
どうなるのかはわからんけど、平成伊賀の乱、やっぱ面白いよね。
なんやかんやとあれじゃけど、いったいなんの話をしとったのか、というと、あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや、という話である。
お元気ですか名張市教育委員会のみなさんや、という話である。
ちなみに、現在ただいま、この国において、全然お元気ではない教育委員会の筆頭は、といえば、夏休みがはじまってひと息ついたじゃろ、とはいうものの、いわずと知れた滋賀県大津市の教育委員会じゃろうのう。
大津市の市立皇子山中学校でいじめがあって、去年の10月、いじめられた生徒が自殺しておった、という事実が、ここへ来て明らかになった。
それがマスコミやネットでおおいに喧伝され、あっちでもこっちでも、いじめが、いじめが、いじめが、とかまびすしい。
しかし、いじめなんてのは、珍しいものでもなんでもない。
そこらじゅうにふつうに転がっとるものであるし、それにそもそも、いじめは学校の専売特許だ、といったことでもまったくない。
自死にまでいたる、あるいは、いたらされるいじめが、学校のなかに存在している、ということは、学校以外の場にも、自死に向かうしかないような凄絶ないじめが日常的に存在している、ゆうことにほかならんじゃろう。
個人にいじめられ、組織にいじめられ、社会や国家にいじめられた人間が、絶望のはてに自死を選ぶ。
そんなのがいまや日常的な光景になっとるから、そうした現実の写し鏡として、どこにも逃げ場がないと絶望した中学生が短絡的に死を選んでしまった、ゆうことやないのか。
早い話、大津市の教育委員会や学校といったおとなの世界にも、いじめと呼ぶべき事実はごろごろ転がっとったはずである。
それにしても、この大津事件、いやいや、大津事件、などといってしまうと凶徒津田三蔵の一件みたいだけど、この新しい大津事件、テレビニュースで校長だの教育長だの関係者の映像を眼にするたんびに思うのは、職業としての教育、なんてものに長きにわたって携わり、思いあがった勘違いを一日一日、塗り重ねるようにして生きていると、ひとは往々にして、品性というものを完全に失ってしまうものらしい、ということだ。
さらにまた、教育委員会はもちろん、教職員組合とか、あるいは、学校とか、そういうとこにいらっしゃるみなさんは、隠蔽と保身に凝り固まり、自分たちのことしか眼中にないような連中ばっかなんじゃね? とかいったようなことも、大津事件のニュースに接すると、どうしても思われてくるわけなんよね。
ほんと、ろくでもないのは大津市教育委員会だけじゃなくて、われらが名張市教育委員会だって、じゅうぶん立派にろくでもないんだぞ、というのは、まぎれもない事実だ。
あーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや、と一般市民からばかにされとるくらいやから、ま、あほなことはあほなんやけど、それでも隠蔽と保身だけはしっかりしたもんだからな実際。
たとえば、名張市公式サイトにおける著作権問題、っつーのがあってな、いったいどうなってんの? と尋ねたところ、
「掲載されています窪田空穂の文章が著作権継承者の承諾を得ているかどうかのお尋ねですが、記事を作成した担当者ならびに関係書類について不明であり、著作権継承者の承諾を得たかどうかについては確認できておりません」
とか、しれっと答えることができる、ってのが、名張市教育委員会のクオリティなのな。
詳細は、このエントリあたり。
▼2012年2月14日:幻影城プロジェクト始動、か? 財政再建篇
いやいや、そんなことはまあどうでもいいとして、問題はなんであったか、というと、乱歩狂言たらゆうもんが、はたして、被災地の復興支援になるのであろうか、ということなのであった。
結論としては、先日も記したとおり、支援事業の押しつけはやめましょー、ということになる。
とはいうものの、お役所のみなさんってのは、押しつけるのがご専門だからな。
こんにちはッ、県民に腐れきんたまを押しつける男ッ、三重県知事の鈴木えーけーでございますッ、わはわはわはッ、とみずから名乗りをおあげになるわれらがぽてちん知事さんはまだたちのおよろしいほうであって、お役所のみなさんってのは知らん顔してだんまりを決めこんだまま、てめーらの身勝手な都合を地域住民にぐいぐいぐいぐい、押しつけてきやがんだもんなあ。
いやいや、そんなこともまあどうでもいいとして、乱歩狂言「押絵と旅する男」の話題じゃ。
2004年11月14日、日曜日のことであった。
三重県と伊賀地域旧七市町村が血税三億円をどぶに捨てた官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の一環として、乱歩狂言「押絵と旅する男」が名張市青少年センター、いまはネーミングライツが売り飛ばされてADSホール、ということになっとるけど、とにかくそこで初演された。
みたいなことは、しつこいようだが、このエントリにも記した。
▼2012年4月14日:乱歩狂言の思い出
でもって、初演の入りはどうであったか、というと、あんまりおぼえてないんだけど、満員御礼、みたいな感じでは、まったくなかった。
というより、むしろ、客席はがらがらだった、のではないか。
そんな記憶がある、ような気がする。
正確なところは名張市教育委員会に確認するしかないんだけど、確認してみたところで、「担当者ならびに関係書類について不明であり」、さっぱりわかりまへん、みたいな返事が返ってくるだけなのかな。
わはは。
えーあほさんあほさん。
名張市教育委員会のあほのみなさん。
そのへんいったい、どうなんじゃろうな。
わはは。
わはは。
わはは。
ただまあ、さっぱりひとが集まらんかった、というのは、無理からぬ話じゃろうな。
いくら無理やり押しつけても、大量に動員でもかけないかぎり、興味のあるひとしか足を運んでくれないのは、むしろ当然である。
しかも、乱歩または狂言に興味のある名張市民、なんてのがどれくらい存在するのかというと、どちらもほぼゼロといっていいのではないか。
そりゃまあ、名張は乱歩が生まれた土地だから、乱歩とのゆかりはたしかにある。
狂言はどうか。
名張とは無縁である、といえばいえる。
しかし、狂言ってのは能の兄弟みたいなものだから、観阿弥とのゆかりにかんがみるならば、まったく無縁である、とはいえなくなってくる。
げんに、名張子ども狂言の会、なんてのも活動してるくらいだ。
だから、名張は狂言にゆかりのある土地でございます、と主張することは、いくらでも可能だ。
さてそれで、乱歩にも、狂言にも、ともどもに縁があるこの名張という土地で、2004年の11月、乱歩狂言なるものを本邦初演で披露してみたところ、あちゃー、みごとなまでに、こけちゃいましたね、ということになった。
いやいや、関係者のみなさんには、こけた、といった感覚はなかったであろう。
主体性放棄と責任回避のお役人道を生きるみなさんにゃ、入場者の数や赤字の額なんて、どちらもどうでもいいことなのである。
適当な思いつきで乱歩狂言かましてみましたー、客はさっぱり入りませんでしたー、というだけ、それだけで話が終わってしまうんだけど、だったら終わったままにしとけばいいものを、あーこれこれ、あーこれこれ、あーこれこれあほのみなさんや。
名張市教育委員会のあほのみなさんや。
あんたら、乱歩と狂言にゆかりをもつここ名張市において、残念ながら市民から見向きもされなかったような出しものを、あーこれこれ、乱歩にも狂言にもまったく関係のない土地へもっていって、やんややんやの大喝采を受けると思うとらっしゃるのか。
ましてや、それが被災地の復興を支援することにつながる、と思うとらっしゃるのか。
もちろん、芸能は無力ではない。
それどころか、ひとをこの苛酷な人生にふたたびみたびと正対させてくれるパワーを秘めている。
生の賦活にあずかって、大きな力を発揮してくれる。
しかし、ポピュラリティの問題、ってやつがあるだろうがよ。
残念ながら狂言は、ごく一部には熱心な愛好者も存在しているものの、身近な芸能というわけではまったくない。
復興支援の狂言やりまーす、とぶちあげてみたところで、胸を高鳴らせながら本番を心待ちにしてくれるようなひとたちが、いったいどれほど存在するというのか。
ほとんどゼロなのではないか。
名張市教育委員会のみなさんにおかれてはじゃな、自分が宮城県塩竈市の市民であり、もとより乱歩にも狂言にもなんの興味もない人間である、と仮定したうえで、ちょっと考えてみていただきたいんだけど、10月に塩竈で乱歩狂言が上演されまーす、と聞かされて、わーい、わーい、やったー、やったー、と大喜びする?
せんやろ。
まず思うのは、えーっと、それ、なに? ということじゃろう。
乱歩という作家が書いた小説を、狂言という伝統芸能の形式で演じるものです、とか説明されて、それで納得はしたとしても、じゃ、ぜひ、みに行こう、とか思う?
たぶん、思わんと思うぞ。
でもって、さらに問う。
それが支援か?
支援になるか?
なりゃせんと思う。
むしろ、負担になるのではないか。
必要とされていない。
興味の対象にもならない。
そんな出しものをわざわざもっていったところで、支援どころか負担になるだけじゃね? とぞ思う。
むろん、塩竈市サイドも、こういうことになった以上、それなりのPRと動員によって、名張市の顔がなんとか立つようにはしてくれることじゃろうけど、しかし、こういうのは、要するに、押しつけ、なのである。
押しつけ以外のなにものでもないのである。
なにごとであれ、押しつけられる、なんてのは、いやなものであろうが。
名張市教育委員会のみなさんだって、今年3月、三重県教育委員会にたいして、高校統合案なんて勝手に押しつけてきてんじゃねーよ、とお怒りだったのではないか。
押しつけられることには不満をおぼえるけど、押しつけるときには平気で押しつける。
もしかしたらあんたら、そーゆータイプ?
それも当然かもしれないね。
さっきも記したごとく、お役人さまってのは、てめーらの身勝手な都合を地域住民に押しつけるのがお仕事だからな。
だからまあ、なにをいってみたところで、馬の耳に念仏、蛙のつらにしょんべん、ぴかぴかぱんつにうんこ、みたいなことになるしかないんだけど、相手の立場に立って考える、とか、他人の身になって考える、とか、そんなあたりまえのこともできないようなみなさんには、教育たらゆうものにかかわるお仕事なんて、とても無理無理、向いてないと思うぞ。
とにかく、被災者をだしにし、復興支援にかこつけて、小つまらぬ自己顕示欲を満足させてへらへら喜んでんじゃねーよばーか、と思われたってしかたないのが、乱歩狂言塩竈公演だと思う。
それにな、復興支援がどうのこうの、とか偉そうなことをいうのであれば、費用は全額、名張市で面倒をみてやれよ。
被災地のみなさんにほんとに喜ばれ、名張市の名を高からしめる事業なら、名張市民も全額負担することを快く了解してくれると思うぞ。
とにかく、まあ、結論としては、ゆうとるとおり、支援事業の押しつけはやめましょー、ということだ。
しかも、へたするとこれ、支援事業の押し売りはやめましょー、ということにもなりかねないんだぞ。
みたいなことは、先日も打ち明けたとおり、みてみぬふりをしといてやろう、とか思ってたんだけど、GUSTAVさんからお寄せいただいたコメントにインスパイアされて、いささかを記した次第である。
ついでだから、PRにもつとめておこうか。
▼名張市:創作乱歩狂言「押し絵と旅する男2012」に来てだあこ![平成24年6月27日掲載]
「『乱歩のふるさと名張』を全国発信します」とのことじゃけど、ま、とても無理じゃろうな。
そんなことより、いまやわれらが名張市、例の震災がれき問題でずいぶん全国発信していただいているようだぞ。
まず、本日のウェブニュース。
▼朝日新聞デジタル:周辺5地区説明へ(2012年7月21日)
▼中日新聞 CHUNICHI Web:がれき処理へ協定変更求める名張市長(2012年7月21日)
なんなんだろうないったい。
なんでここまで強硬なんだうな。
震災がれきを焼却する施設の地元から、これまで二回にわたる説明会において、これ以上ないほどはっきりと、強く強くNOをつきつけられてしまったにもかかわらず、このうえまーだ、しょうこりもなく地区別の説明会を開こうってんだからな。
のみならず、行政の手駒を総動員、みたいな雲行きにもなってきた。
▼MSN産経ニュース:震災がれき受け入れ問題 名張市議と住民が懇談会 三重(2012年7月21日)
名張市議会の定例会において、アドバンテージだかアドバルーンだか知らんけど、とにかく柳生大輔先生が震災がれき受け入れに大賛成された、とは先日報じられたところじゃが、この懇談会の記事から判断するならば、福田博行先生、永岡禎先生、吉住美智子先生が賛成派、三原淳子先生が反対派、ということになるようじゃ。
市議会と地域づくり組織による究極のツートップ攻撃、首尾よく奏功して震災がれきの受け入れが実現するかどうか、にこにこしながら見守りたいものである。
でもって、全国発信の件であるが、きのう開かれた伊賀南部環境衛生組合の組合議会全員協議会のもようは、このブログでひろく発信していただいておる。
▼伊賀・水と緑の会 http://blog.goo.ne.jp/mtomiga?:「区長発言」が無視された 伊賀南部環境衛生組合・議会(2012年7月21日)
現在ただいま、この名張市を全国発信しようと思ったら、震災がれき問題をテーマにしない手はないと思う。
いじめは大津、がれきは名張、みたいな感じで、がんがんがんがん、全国発信するのがいいある思うよ。
ところで、きょうはこんなウェブニュースもあった。
▼伊勢新聞:「いじめ許さない」 知事、緊急アピール表明(2012年7月21日)
震災がれきの押しつけってのは、知事さんによる地域住民いじめである、みたいな気さえするんだけど、まさかそのぽてちん知事さんの口から、
「いじめ許さない」
みたいなおことばが飛び出そうとは、夢にも思わなんだなあ。
いじめる知事さん。
いじめられる住民。
そのあいだに立つ自治体の首長さんは、本来どちらにおつきになるべきなんだろうね。
7月16日に開催された説明会のウェブニュース、落穂ひろいをしておくなり。
▼朝日新聞デジタル:震災がれき 反対の声続出(2012年7月17日)
▼毎日jp:東日本大震災:がれき、住民反対強く 「地区外ごみ」協定抵触--伊賀の施設周辺説明会 /三重(2012年7月17日)
プログ関係では、こんな報告も。
▼安心して暮らしたい 三重:伊賀・名張 住民説明会(2012年7月17日)
一部、引用しておく。
説明会は例によって市長の挨拶、環境省中部の林、名古屋大学大学院准教授森泉、
あと三重県の担当者が資料を説明していく展開。
学校の校庭にがれきが山と積まれた画像のパンフレットを配布されますが、
南三陸町戸倉小学校は既に移転し、廃校となった場所であることは
一言の説明もありません。数字も古い、あるいは過大であると、各所で批判を受けた数値を
そのまま使っています。
説明後に拍手もおこらず、むしろ、「御用学者!」の声が飛ぶほど。
市民はいろいろと勉強しているのです。
質疑応答となりましたが、まず立地地区の方からと進行役が質問者を区切ります。
しかし、まるで市や県が既成事実を作ろうとしたかのように新聞報道が先行し、
一方、区にはまったく説明がなかったことに区の方は怒り心頭で、
事前に行った区の集会の結果、お断りだと次々に市長に告げます。
市長は「受け入れを判断するのではなく、県のガイドラインの説明会」と繰り返しますが、
住民は納得もせず、怒りを収める気配もありません。
そもそも、外部からの焼却物を入れることは建築時の協約に抵触するのです。
国や、県や、市から通達すれば協約などどうとでもなると考えていた節がありますが、
住民は騙されません。
予定の時間を過ぎても質問は途切れず、ついに立地地区の方の質問さえ全部終わらないまま
会は終了しました。
名張市長や環境省、県の担当者、名古屋大学大学院准教授森泉らの説得力の無さ、
資料の偏り、住民をバカにしたような説明会そのものへの批判が目立った会となりました。
最後に伊賀市長は「協約が改定できないなら受け入れはできない」と発言していましたが、
まさにそのとおりなので、これ以上無駄な税金を投じて説明会を繰り返すのではなく、
「受け入れできません」と県に伝えて欲しいと思います。
なんか、ほんとに、ぼろぼろだったみたいだね。
しつこくもくり返すけど、つか、伊賀地域に住むと住まざるとを問わず、この問題に関心を抱いているひとの衆目が一致するところだと思うんだけど、いやいや、なかには名張市議会議員の柳生大輔先生のように、震災がれき受け入れ大賛成ッ、とおっしゃるかたもあるわけだから、衆目が完全に一致するわけでもないけれど、それでも多くのひとは、伊賀南部環境衛生組合が選ぶべき最善の道は、震災がれきの受け入れを断念いたします、とわれらがぽてちん知事さんにお伝えすることである、と思っているのではないかしら。
さて、きょうも暑くなりそうだ。
みんな、熱中症には、くれぐれも気をつけてね。
あほのみなさんもね。
朝だ。
きょうも暑くなりそうだ。
きのうもまた暑い一日であったけれど、第二次平成伊賀の乱、三重県と伊賀市ならびに名張市の連合軍は、炎熱のなかをふたたび敗走する仕儀とはなったみたいだね。
お疲れさまであった。
きのうのウェブニュース。
▼伊賀タウン情報:がれき受け入れ巡り、青山で住民説明会 反対意見相次ぐ(2012年7月16日)
きのうのニュースには、こんなんもあった。
▼毎日jp:東日本大震災:知事と伊賀市長、政策協議 がれき処理問題に言及せず /三重(2012年7月16日)
わるだくみしとるとこにしかみえんかった三重県知事さんと伊賀市長さんの例の対談、「東日本大震災によるがれきの広域処理問題には双方とも言及しなかった。鈴木知事は13日、市内の産廃業者にがれきの焼却灰受け入れ要請をしたばかりで、この問題に関心を持って傍聴した市民からは不満が漏れた」とのことやけど、地域社会が直面する喫緊の最重要課題をあっさりスルーしてどないするねんこのあほ、というのが、一般市民の正直な気持ち、ゆうやつやろうね。
ま、こんな対談なんて、うわっつら飾り立ててかっこつけるだけのパフォーマンスにすぎない。
重要なことや本質的なことは公開の場では俎上に載せず、すべて水面下のアンダーザテーブルでわるだくみいたします、というのが、お役所のみなさんの常套なのである。
さてそれで、三重県と伊賀市と名張市と三重中央開発が水面下のアンダーザテーブルでわるだくみして準備万端とどこおりなく整えたというのに、そこらのくず市民どもが反対意見ばっかぶちあげるからまーあとどこおることとどこおること、いっぺんごみ収集やめてしもたろかこらこのくず市民ども、とばかり、わるだくみ連合のみなさんは腹の底からお怒りになりつついまやほとんど涙目でいらっしゃるのではないか、みたいな感じの第二次平成伊賀の乱、本日のウェブニュースはこんなんじゃ。
▼MSN産経ニュース:がれき受け入れ 一般住民からも反対続出 組合説明会に320人 三重(2012年7月17日)
▼中日新聞 CHUNICHI Web:がれき「行政は受け入れありき」 住民から批判(2012年7月17日)
▼伊勢新聞:がれき広域処理 「受け入れ反対」が大勢 伊賀南部環境衛生組合(2012年7月17日)
えーっとまあ、いまさらとくに、申しあげることはない。
第二次平成伊賀の乱の帰結については、かつて、「へたすると7月1日の二の舞、どころか、さらに徹底的に、ぼっこぼこに、めっためたに、ぎったぎたに、垂直性の力学が水平性の力学に完膚なきまでに粉砕されてしまって、三重県と伊賀市ならびに名張市はひたすら敗走するしかなくなってしまうんじゃね? とか予想されたりもするわけなんだけど」と記したとおりであって、予測したとおりの展開とはなった。
ではでは、これから先の展開はどうよ、といったあたりを考察してみるに、ふつうであれば、地元住民の考えというやつがここまで明らかになったわけなんだから、震災がれきの受け入れなんてとてもできません、という結論にいたらざるをえないはずだと思われるのであるが、伊賀南部環境衛生組合は、というか、伊賀市と名張市は、いったいどのような判断を示すことになるのか、しかとはわからぬ。
だが、はっきりわかっているのは、いくたびもくり返すとおり、つか、最初からゆうとるとおり、いくら説明会を重ねても、百万言を費やしても、地域住民が震災がれきは安全なものだという理解や認識に到達することは絶対にない、ということだ。
となると、水面下のアンダーザテーブルでしっかりがっちり交わした握手を無にするのは忍びなかろうけど、そろそろこうするしかないと思うぞ。
国
↓
三重県
↓
×
↑
伊賀市+名張市
もうええじゃろ。
伊賀市も名張市も、ぽてちん知事さんのお顔はじゅうぶんにお立て申したはずじゃ。
だから、もうええじゃろ。
伊賀市も名張市も、ぽてちん知事さんのご意向を最大限尊重し、知事さんのご命令によって策定されたガイドラインに沿いながら、誠心誠意ことを進めてきたのではあったが、地域住民からあまりにも強硬な反対意見が出されたため、震災がれきの受け入れは断念せざるをえませんでしたばい、と、ぽてちん知事さんにご報告申しあげれば済む話ではないか。
もしも、ぽてちん知事さんが、どんなことをしても地域住民を説得してこい、とおっしゃるのであれば、そんなことゆうんならおめーが説得してこいやこのかす、こそこそこそこそ逃げ隠ればっかかましてんじゃねーよこのたこ、どうしてもかっこつけたいんだったらおめーが矢面に立って県民と直接対話してみろっつってんだよこのうんこたれがよー、とご忠言申しあげればいいのである。
とにかくもうな、おしまいにしてしまえばいいではないか。
いくらつづけても、三重県と伊賀市ならびに名張市の連合軍には、勝ち目なんてまったくないぞ。
さりとて、地域住民の意向を完全に無視してしまい、規定方針どおり震災がれきを受け入れる、なんて芸当は、それなりに勇気や度胸や肝っ玉の必要なことではあるから、伊賀市にも名張市にも、とてもできゃせんはずである。
もともとが、ぽてちん知事さんの思いつきに発したことではないか。
伊賀市も名張市も、深いことはなにも考えず、伊賀市議会議員の桃井隆子先生が賢くもご指摘になられたとおり、市独自の考えなんてまったくないままに、国や県のいいなりになってきただけの話ではないか。
地域住民の反対がここまで明確になったのじゃから、しょうこりもなく国や県のいいなりになりつづけるのは、伊賀市にとっても、名張市にとっても、けっして得策ではない。
プラスにはならない。
これ以上、伊賀市も名張市も国や県の手先でございまして、地域住民のことなんかこれっぽっちも考えておりません、みたいな真似をつづけるのは、ほんとにまずいと思うぞ。
これまた以前からゆうとるとおり、震災がれきは受け入れません、と表明してしまえば、伊賀地域の住民のみならず、三重県民からも、いやいや、三重県外からもこの伊賀市と名張市に、熱い共感と高らかな拍手喝采がともどもに寄せられてくるはずである。
げんに、三重県外からきのうの説明会に参加したひとのツイート、なんてのもあったから、またちょっと埋めこんでみる。
伊賀より帰還。青山ホールに四百人ほどが詰めかけ、地元の区長さんも、ほぼ反対。市側が押し切る雰囲気がかなり薄まりました。その後のミーティングにも八十人程度が参加。地元の母親、長年産廃問題で闘っているおばあさん、県内や近畿、愛知から、ツイートをみて参じた人々多数。有意義な会合でした。
— 木下黄太さん (@KinositaKouta) 7月 16, 2012
伊賀南部環境衛生組合の、つか、伊賀市と名張市の判断に、三重県外からも熱い視線がそそがれている、ゆうわけやね。
なおかつ、「市側が押し切る雰囲気がかなり薄まりました」とのことでもあるみたいね。
ツイートは、まだあった。
伊賀は住民説明会に四百人、さらにその後の反対住民のミーティングに百人近く集まってガレキ拒否。三重は活発。熊野市でも反対の動きが始まっています。尾鷲は焼却炉故障でほぼ受け入れない情勢。後は多紀町をどうするのかが焦点。地元対応が急がれます。鈴木えいけい知事の傲慢を許すな。命の問題。
— 木下黄太さん (@KinositaKouta) 7月 16, 2012
えーっとまあ、「伊賀は住民説明会に四百人」とのことだけど、新聞報道によれば三百二十人、だから八掛け、という線で考えてみると、説明会のあとのミーテイングに「百人近く」とあるのは七十数人といったところか、てゆーか、「八十人程度」が「百人近く」に増えてるあたり、ちょっとあれだよね、みたいなことにはなるわけだけど、受け入れ反対派、そこそこ燃えあがってはおるのかしら。
さてさて、さーあ、どうする。
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