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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2024.05.18,Sat
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Posted by 中 相作 - 2014.09.02,Tue
猟奇 9月号 妖異集
 昭和4・1929年9月1日 第2年第9輯 猟奇社
 A5判 64ページ 20銭

関連
れふき
 p32-33

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p329-333) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年


 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和4年●1929
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Posted by 中 相作 - 2014.09.02,Tue
猟奇 8月号 微笑掌篇集
 昭和4・1929年8月1日 第2年第8輯 猟奇社
 A5判 64ページ 20銭

関連
れふき
 p33

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p327-328) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年


 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和4年●1929
Posted by 中 相作 - 2014.09.02,Tue
猟奇 7月号 海外傑作号
 昭和4・1929年7月1日 第2年第7輯 猟奇社
 A5判 64ページ 20銭

関連
れふき
 p24-25

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p322-326) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年

私の不木先生(二)
 本田緒生
 p36-40

私の不木先生(二)

本田緒生  

 〔略〕
 夜平井兄から廿四日朝の特急で訪ねるとの報がありました。あなたの方へも通知は行つたでせうが、何とか三十分か一時間都合出来ませぬか。おなたの都合で得月あたりで晩餐をとることにしてもよろしい。さういふことにすればあなたから一寸得月へ電話をかけて頂きたいと思ひます。(七月廿日)
 〔略〕
 〔略〕先日も江戸川乱歩氏が訪ねて来てくれまして正午から夜分まで語り合ひました。若しあなたの宿所がわかつて居たならば早速通知して来て頂いたものをと今更残念に思ひます。〔略〕
(大正十四、三、五)
 〔略〕
 御手紙有難う御座いました。江戸川君は大へん残念がつて居りました。私の家で八時迄話し、それから松村君と二人で國枝氏をたづね、同夜十一時過ぎに帰られたさうです。〔略〕
(不明)
 〔略〕
 拝啓、其後毎日御執筆と思ひます。今日平井兄からの書信に十二日夜毎日新聞社で「探偵趣味の会」を開いたといつて来ました。いづれあなたの方へも御通知があつたことでせうが、こんどはあなたにも是非出席して貰ひたいといつて居ります。〔略〕
(一四、四、一四)
 〔略〕
 〔略〕私の書くものが多少でも読まれるのは私が「科学者」であるがためで、物珍らしいから読まうといふ程度のものです。だから犯罪探偵事件を書くのです。芸術としては何の価値もありません。
 ところがあなたや江戸川君に人々の望む所のものは、芸術としての匂ひ高い探偵小説なのです。あなたの天分は質に於てルブランと全く同じだと思ふのです。〔略〕
(十四、五、一〇)

 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和4年●1929
Posted by 中 相作 - 2014.08.31,Sun
猟奇 6月号 小酒井不木追悼号
 昭和4・1929年6月1日 第2年第6輯 猟奇社
 A5判 66ページ 20銭

関連
私の不木先生(一)[小酒井不木追憶記]
 本田緒生
 p4-8
小酒井先生を偲ぶ[小酒井不木追憶記]
 春日野緑
 p17-19
私の手を握つて[小酒井不木追憶記]
 山下利三郎
 p21-22
二つの中の一つ[小酒井不木追憶記]
 八重野潮路
 p23-24
噫々・不木[小酒井不木追憶記]
 滋岡透
 p27-29
れふき
 p30-31

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p203-206) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年


私の不木先生(一)[小酒井不木追憶記]
本田緒生  

 悪い癖で誰から頂いた手紙でも其の儘何処かへ放り込んでしまう。そんなわけで今血眼になつて探して見ても先生から戴いた数多い御手紙の何割かが失はれてしまつたと云ふ事は何度思つても残念である。今更に悔ひられる。漸く探し出した御便りをせめての思ひ出に此処に書き止めて置きたい。
 〔略〕
 入会者がありました由愉快です。一度集つて見たいと思ひます。何しろあなたが少しヒマにならなければいけません。早くその日が来させたいと思ひます。平井兄も御親父の病気が重いので大へん心を痛めて居らるゝ様子、心痛の至りです。
(一四、七、一九)

 入会者と云ふのは此の頃名古屋で探偵趣味の会を思ひ立つて運動を初めた事についての事である。文中平井兄とあるのは勿論江戸川乱歩氏の事でたしか此れから間もなくに江戸川氏の御尊父が無くなつた様に覚えてゐる。

 御ハガキ二枚頂きました。得月を選んだのは若しあなたが遠い所(私の家)まで出がたい場合せめて十分なりとも来て頂いたらと云ふ考へで申し上げた事で私の家へ来て頂けるならば、晩餐のことは皆さんと集つてからの相談にしたいと思ひます。
 では廿四日午後御待ちして居ます。酒井さんにも是非来てもらつて下さい。九分九厘迄とはいはず、必ず来て下さい。若し来れぬやうだつたら、こちらから得月迄出かけます。川口さんは確実ではありませんが、若し来られるなら是非逢つて置かれる必要があります。
(十四、七、廿一)

 此の時は江戸川氏と川口松太郎氏とか一緒に来名された時である。川口氏は当時雑誌「苦楽」の編輯者であつた。だから私にも是非逢つて置く様にと先生はおつしやるのである。今更にいつに変らぬ先生の御親切さがしみじみと思ひ出される。私の様な若輩不才の男をも機会あれば引き立て様として雑誌の編輯者等にはいつも定まつて御紹介下さつた。それにしても今だにかうしてぶらぶらしてゐて先生の御情けに報ひる事の出来ないでゐる私と云ふ者は何と云ふ腑甲斐ないものか!
 此の時、私は先生の御家迄出かけて行つた。その夜は名古屋ホテルで御馳走になつたが、その名古屋ホテルへ川口氏が国枝史郎氏を同伴された。国枝氏には先生初め江戸川氏、勿論私も初対面であつた。記念写真を其の晩撮つたが、それを今此の原稿紙の向ふに拡げて私はあの時の出来事をまざまざと思ひ出してゐる。

 〔略〕
 御ハガキ忝く拝読しました。色々私も御話しし度いことがあります。近日御目にかゝる機会があると思ひますからその節に委細を申上ます。
 江戸川氏が今名古屋に滞在中なのです。
(二、一二、二)

 此れは黒部峡谷、猿飛奇勝の絵ハガキに書いてある。

 〔略〕

小酒井先生を偲ぶ[小酒井不木追憶記]

春日野緑  

 〔略〕
 考へてみればもう大分前の事だ、僕が大阪で、江戸川君と逢つて二人で何か雑誌をこしらへやう、いやその前に同好者が集まろうといふ事から、『探偵趣味の会』を組織し、間もなく雑誌『探偵趣味』を発行した。その当時小酒井先生には真つ先に同人になつてもらひ原稿もどしどし送つていたゞいたが、この会を毎月開いてゆく内に、ぜひとも小酒井さんにも大阪へ来てもらはう、といふので、私は一度名古屋へ行つた折に先生をお訪ねしたことがあつた。その時、先生は、さすが医者だけに、自分の健康をよく知つて居られて、まだ一年位は旅行もできないいふ事であつた。
 〔略〕

私の手を握つて[小酒井不木追憶記]

山下利三郎  

 「お勝はま、小酒井さんところへお客さんぞいも」
 植込みの間を私の先導に立つた女中は、障子越しに座敷へ声をかけた。
 昭和二年十一月、大観兵式の前日、街々は進軍喇叭と靴音と歓呼に騒がしい、名古屋市中の雑踏をよそに、料亭寸楽を訪れたときのことである。
 〔略〕
 「みな揃つてゐますよ、そうれ」
 成程座敷には江戸川乱歩、横溝正史国枝史郎、長谷川伸、等の諸氏が、笑顔で並んでゐた。それぞれ挨拶がすんで私の席が定まると、小酒井氏はつくづくと私の顔を眺めて。
 〔略〕
 その宴果てた夜更け、寸楽の門前で一同は別れ、ホテルへ引上げたのが、長谷川、江戸川、横溝の三氏と私だつた。
 〔略〕

二つの中の一つ[小酒井不木追憶記]

八重野潮路  

 〔略〕
 文章の味とか何とか云ふ段になると確かに小酒井不木氏のものは砂を噛むやうなものだつた。乱歩、横溝、夢野の諸氏と非常な段違ひである。しかし探偵小説的の面白さのもつ力とか、研究室的の智識から来る魅力とか云ふものに、すつかり酔はされるのには私も面喰はざるを得なかつた。すつかり参らされてしまはずには居られない。
 〔略〕
 小酒井氏の死によつて、江戸川乱歩よ。しつかりしてくれ、と云ひたくなる。そして小酒井氏のあとには、甲賀三郎、大下宇陀児氏等あれば大丈夫だが。乱歩なき後はと思ふと、誰もそれにかわるものがないのだから心細い。夢野久作ありと乱歩は云ふだらうが、それは親馬鹿ちやんりんだ。だから乱歩よ自重してくれ。
 〔略〕

噫々・不木[小酒井不木追憶記]

滋岡透  

 〔略〕
   先   生。
 医学博士の肩書と、当時は江戸川乱歩氏などみんなが先生と呼んでゐたのでオドオドし乍らお伺ひしたのだつたが、大変やさしく話して下さるので、ボクは又いゝ気になつてすぐさまさん呼ばはりをしてしまつた。けれども氏はその方を喜ばれるやうに云はれたのだつた。(確か本田緒生氏は先生と呼ばれてゐたと思ふ)
   予   言。
 やはり、其時、不木氏が云はれたことがあつた。
 ──アナタも乱歩ですね。
 ボクはその意味が判らなくて、訊ねたのだが、当初ゴシツブ種としてやかましかつた江戸川乱歩氏のテカテカ頭のことを云はれたのだつた。ボクは禿のないのを自慢にしてゐた位なので、内心いさゝか不満だつたが、事実あのころから見れば、額なんかズツト抜け上つて来てゐる。恐ろしく、悲しくも的中した予言であつた。氏がやはり医学者だつたといふことをしみじみと痛感する。
 〔略〕
 
 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和4年●1929
Posted by 中 相作 - 2014.08.31,Sun
猟奇 5月号 一周年記念号
 昭和4・1929年5月1日 第2年第5輯 猟奇社
 A5判 64ページ 20銭

関連
れふき!
 p34-35

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p197-202) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年

Posted by 中 相作 - 2014.08.30,Sat
猟奇 4月号 エイプリル・フール・ナムバア
 昭和4・1929年4月1日 第2年第4輯 猟奇社
 A5判 48ページ 10銭

関連
猟奇漫談
 八重野潮路
 p30-31
れふき!
 p34-35

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p192-196) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年 


猟奇漫談

八重野潮路  

    ◇
 海底映画だとか何んだとか、大袈裟な広告をするものだから、“サブマリン” を見に行つたものゝ、スツカリ失望と立腹とで、明るみへ出た。都会人にとつては、海底の風景と云ふやうなものは、一種のあこがれだ。乱歩氏の傑作 “パノラマ島奇談” にも、海底に硝子張りのトンネルを作つて、海底の光景を、素晴らしく、私達の眼前に見せてくれてゐる。海草の森林、海底の怪物の出現など、胸がワクワクするほどだ。それを現実に行つたのが、硝子底の汽船だらう。カリフオルニア州サンタ、カタリナ島附近の海底の美景を、猟奇趣味の都市人に充分味はしむると云ふ計画の遊覧船だ。船の底を硝子張りとして、その周囲に鉄柵を設け、遊覧客の座席をこしらつてあると云ふことだ。日本にも、この計画があつてもいゝだらうに─。猟奇党如何となす?

 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和4年●1929
Posted by 中 相作 - 2014.08.30,Sat
猟奇 3月号 えろちつく・なむばあ
 昭和4・1929年3月1日 第2年第3輯 猟奇社
 A5判 48ページ 10銭

関連
れふき
 p16-17

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p187-191) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年


 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和4年●1929
Posted by 中 相作 - 2014.08.30,Sat
猟奇 2月号 クラシツク・ナムバア
 昭和4・1929年2月1日 第2年第2輯 猟奇社
 A5判 48ページ 10銭

関連
れふき
 p14-15

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p183-186) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年


 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和4年●1929
Posted by 中 相作 - 2014.08.29,Fri
猟奇 12月号 クリスマス・ナムバア
 昭和3・1928年12月1日 第1年第7輯 猟奇社
 A5判 48ページ 10銭

関連
緒生漫筆
 本田緒生
 p14-17
『陰獣』について
 原辰郎
 p22-23
れふき
 p26-27

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p174-177) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年


緒生漫筆

本田緒生  

 「陰獣」

 一年目か一年半目か、それ共半年目の作なのか私は知らぬ。そんな事、どちらでもいゝ事だけど、それが問題になつた作である。
 一回を読んだ時私は頭を下げた。全くうまい。実にうまい。憎い迄の表現の妙。江戸川氏一流のよさが十二分にまで画き出されてゐる。私は頭を下げた。実にうまい。全くうまい。
 二回目を読んだ時、私の感心はまだ消えなかつた。然し最後の附記を読んだ時私は思はず「はつ」とした。私は初めて夢から醒めた様に呟いた。「此の小説は探偵小説であつたのだ」と。私の感心にひびが入つた。作の魅力が不純になつた。私は知らぬ間に犯人を探してゐた、いつか作の持つ江戸川氏の味を忘れて。
 三回目を読んだ時、私は幻滅の悲哀を感じた。私の感心は後片も無く消えてしまつた。
 後に来た感想を私は今書かうとは思はない、だが私は独言つた。「探偵小説つて云ふものはトリツク無しでは書けないものであるのだらうか」と。

『陰獣』について

原辰郎  

 博文館の宣伝も大いに手伝つてはゐるが、兎に角江戸川氏の「陰獣」に対する評判は意外にも大きかつた。
 この作品は江戸川乱歩氏が、一年半の沈黙──尤もこれは新青年編輯子の宣伝であつて、編輯子は「あ、てる、てる、ひるむ」の存在を忘れたらしいし、新青年十一月号には横溝氏は明かに「あ、てる、てる、ひるむ」を無視、又は暗に江戸川氏の作ならざることを公言してゐる。又江戸川氏は耽綺社同人として幾多の作品に名前を連ね、殊に「飛機睥睨」に於ては同氏が最も重大に地位に立つて居られたとのことだが、こんなことは今の場合どうでもよい。要するに一年半の沈黙の後に発表した作であるとのことで、非常に期待されたらしい。
 私はここに、「陰獣」についての細部的批評を試みやうとは思はない。細部に関する私の感想は平林初之輔氏が新青年十一月号に書いて居られる、「陰獣」評と殆んど一致してゐるからだ。
 実際江戸川氏の「陰獣」に於ける態度はよくないと思ふ。結局、筋のための筋、おとしあなのためのおとしあな、而も、断定的な解決を与ふるべく余りに不合理な点が多いため作者は故意に最後を曖昧にぼかしてゐる。之れは効果を覗つたと云ふよりも寧ろ作者の責任免れの手段としか思はれない。読者としては甚だ迷惑なことである。

 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和3年●1928
Posted by 中 相作 - 2014.08.29,Fri
猟奇 11月号 シネマ・ナムバア
 昭和3・1928年11月1日 第1年第6輯 猟奇社
 A5判 48ページ 10銭

関連
『南方の秘宝』について[CINEMA AVENUE]
 p25
れふき!
 p34-35

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p169-173) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年


『南方の秘宝』について

耽綺社  

 いつぞや御手紙を頂いた時は病中で失礼しました。六月以来の腰痛依然として執筆を不可能ならしめ、今なほ静養中です。「南方の秘宝」の映画もつい見ないでしまひました江戸川兄は見られましたから何卒同兄に御問合せ願ひます。   ──小酒井不木──
・つづいて──
 耽綺社合作で「名古屋新聞」に連載された「南方の秘宝」は小沢プロダクシヨンで映画化されてゐるのですが、未だ一般にも公表されず、小酒井氏、國枝氏、土師氏、長谷川氏などみんな試写も見てゐられないさうで御感想願へませんでした。
 同プロの作品は何れマキノの手で封切されるさうで、何れその上で感想なり、批評なりをお願ひ出来る筈です。
──編輯部── 

 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和3年●1928

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