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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2014.08.31,Sun
猟奇 6月号 小酒井不木追悼号
 昭和4・1929年6月1日 第2年第6輯 猟奇社
 A5判 66ページ 20銭

関連
私の不木先生(一)[小酒井不木追憶記]
 本田緒生
 p4-8
小酒井先生を偲ぶ[小酒井不木追憶記]
 春日野緑
 p17-19
私の手を握つて[小酒井不木追憶記]
 山下利三郎
 p21-22
二つの中の一つ[小酒井不木追憶記]
 八重野潮路
 p23-24
噫々・不木[小酒井不木追憶記]
 滋岡透
 p27-29
れふき
 p30-31

再録:「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6(p203-206) ミステリー文学資料館編 光文社文庫 平成13・2001年


私の不木先生(一)[小酒井不木追憶記]
本田緒生  

 悪い癖で誰から頂いた手紙でも其の儘何処かへ放り込んでしまう。そんなわけで今血眼になつて探して見ても先生から戴いた数多い御手紙の何割かが失はれてしまつたと云ふ事は何度思つても残念である。今更に悔ひられる。漸く探し出した御便りをせめての思ひ出に此処に書き止めて置きたい。
 〔略〕
 入会者がありました由愉快です。一度集つて見たいと思ひます。何しろあなたが少しヒマにならなければいけません。早くその日が来させたいと思ひます。平井兄も御親父の病気が重いので大へん心を痛めて居らるゝ様子、心痛の至りです。
(一四、七、一九)

 入会者と云ふのは此の頃名古屋で探偵趣味の会を思ひ立つて運動を初めた事についての事である。文中平井兄とあるのは勿論江戸川乱歩氏の事でたしか此れから間もなくに江戸川氏の御尊父が無くなつた様に覚えてゐる。

 御ハガキ二枚頂きました。得月を選んだのは若しあなたが遠い所(私の家)まで出がたい場合せめて十分なりとも来て頂いたらと云ふ考へで申し上げた事で私の家へ来て頂けるならば、晩餐のことは皆さんと集つてからの相談にしたいと思ひます。
 では廿四日午後御待ちして居ます。酒井さんにも是非来てもらつて下さい。九分九厘迄とはいはず、必ず来て下さい。若し来れぬやうだつたら、こちらから得月迄出かけます。川口さんは確実ではありませんが、若し来られるなら是非逢つて置かれる必要があります。
(十四、七、廿一)

 此の時は江戸川氏と川口松太郎氏とか一緒に来名された時である。川口氏は当時雑誌「苦楽」の編輯者であつた。だから私にも是非逢つて置く様にと先生はおつしやるのである。今更にいつに変らぬ先生の御親切さがしみじみと思ひ出される。私の様な若輩不才の男をも機会あれば引き立て様として雑誌の編輯者等にはいつも定まつて御紹介下さつた。それにしても今だにかうしてぶらぶらしてゐて先生の御情けに報ひる事の出来ないでゐる私と云ふ者は何と云ふ腑甲斐ないものか!
 此の時、私は先生の御家迄出かけて行つた。その夜は名古屋ホテルで御馳走になつたが、その名古屋ホテルへ川口氏が国枝史郎氏を同伴された。国枝氏には先生初め江戸川氏、勿論私も初対面であつた。記念写真を其の晩撮つたが、それを今此の原稿紙の向ふに拡げて私はあの時の出来事をまざまざと思ひ出してゐる。

 〔略〕
 御ハガキ忝く拝読しました。色々私も御話しし度いことがあります。近日御目にかゝる機会があると思ひますからその節に委細を申上ます。
 江戸川氏が今名古屋に滞在中なのです。
(二、一二、二)

 此れは黒部峡谷、猿飛奇勝の絵ハガキに書いてある。

 〔略〕

小酒井先生を偲ぶ[小酒井不木追憶記]

春日野緑  

 〔略〕
 考へてみればもう大分前の事だ、僕が大阪で、江戸川君と逢つて二人で何か雑誌をこしらへやう、いやその前に同好者が集まろうといふ事から、『探偵趣味の会』を組織し、間もなく雑誌『探偵趣味』を発行した。その当時小酒井先生には真つ先に同人になつてもらひ原稿もどしどし送つていたゞいたが、この会を毎月開いてゆく内に、ぜひとも小酒井さんにも大阪へ来てもらはう、といふので、私は一度名古屋へ行つた折に先生をお訪ねしたことがあつた。その時、先生は、さすが医者だけに、自分の健康をよく知つて居られて、まだ一年位は旅行もできないいふ事であつた。
 〔略〕

私の手を握つて[小酒井不木追憶記]

山下利三郎  

 「お勝はま、小酒井さんところへお客さんぞいも」
 植込みの間を私の先導に立つた女中は、障子越しに座敷へ声をかけた。
 昭和二年十一月、大観兵式の前日、街々は進軍喇叭と靴音と歓呼に騒がしい、名古屋市中の雑踏をよそに、料亭寸楽を訪れたときのことである。
 〔略〕
 「みな揃つてゐますよ、そうれ」
 成程座敷には江戸川乱歩、横溝正史国枝史郎、長谷川伸、等の諸氏が、笑顔で並んでゐた。それぞれ挨拶がすんで私の席が定まると、小酒井氏はつくづくと私の顔を眺めて。
 〔略〕
 その宴果てた夜更け、寸楽の門前で一同は別れ、ホテルへ引上げたのが、長谷川、江戸川、横溝の三氏と私だつた。
 〔略〕

二つの中の一つ[小酒井不木追憶記]

八重野潮路  

 〔略〕
 文章の味とか何とか云ふ段になると確かに小酒井不木氏のものは砂を噛むやうなものだつた。乱歩、横溝、夢野の諸氏と非常な段違ひである。しかし探偵小説的の面白さのもつ力とか、研究室的の智識から来る魅力とか云ふものに、すつかり酔はされるのには私も面喰はざるを得なかつた。すつかり参らされてしまはずには居られない。
 〔略〕
 小酒井氏の死によつて、江戸川乱歩よ。しつかりしてくれ、と云ひたくなる。そして小酒井氏のあとには、甲賀三郎、大下宇陀児氏等あれば大丈夫だが。乱歩なき後はと思ふと、誰もそれにかわるものがないのだから心細い。夢野久作ありと乱歩は云ふだらうが、それは親馬鹿ちやんりんだ。だから乱歩よ自重してくれ。
 〔略〕

噫々・不木[小酒井不木追憶記]

滋岡透  

 〔略〕
   先   生。
 医学博士の肩書と、当時は江戸川乱歩氏などみんなが先生と呼んでゐたのでオドオドし乍らお伺ひしたのだつたが、大変やさしく話して下さるので、ボクは又いゝ気になつてすぐさまさん呼ばはりをしてしまつた。けれども氏はその方を喜ばれるやうに云はれたのだつた。(確か本田緒生氏は先生と呼ばれてゐたと思ふ)
   予   言。
 やはり、其時、不木氏が云はれたことがあつた。
 ──アナタも乱歩ですね。
 ボクはその意味が判らなくて、訊ねたのだが、当初ゴシツブ種としてやかましかつた江戸川乱歩氏のテカテカ頭のことを云はれたのだつた。ボクは禿のないのを自慢にしてゐた位なので、内心いさゝか不満だつたが、事実あのころから見れば、額なんかズツト抜け上つて来てゐる。恐ろしく、悲しくも的中した予言であつた。氏がやはり医学者だつたといふことをしみじみと痛感する。
 〔略〕
 
 名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和4年●1929
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