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Posted by - 2024.05.06,Mon
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Posted by 中 相作 - 2011.12.20,Tue

 集英社の月刊青年漫画雑誌「グランドジャンプPREMIUM」はあす創刊です。「ビジネスジャンプ」に連載されていた山口譲司さんの「江戸川乱歩異人館」はこの雑誌で連載が継続されます。

 

 ▼集英社:グランドジャンプPREMIUM

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Posted by 中 相作 - 2011.12.19,Mon

 紀田順一郎さんの『乱歩彷徨』をめぐる「週刊読書人」11月18日号の鼎談が春風社の公式サイトで読めるようになりました。

 

 ▼春風社:鼎談 『乱歩彷徨』刊行に寄せて

Posted by 中 相作 - 2011.12.15,Thu

 DVD「乱歩の恋文」の購入方法を教えてくれ、とのご依頼をいただきましたので、このページをお知らせしました。

 

 ▼演劇ユニット てがみ座 News:●『乱歩の恋文』DVD販売開始(2011年4月30日)

 

 その返信で、CD-ROM「孤島の鬼」のことを教えていただきました。「長田ノオトのマンガ『孤島の鬼』は、雑誌の版元の倒産で単行本にはなりませんでしたが、CD-ROM化されています」とのことです。検索したら長田ノオトさんの公式サイトにこんなページが。

 

 ▼謎の暗闇探偵社:【義眼商会】通販、営業中。(2011年8月11日)

 

 いやー、まったく知りませんでした。掲載誌のデータはこちら。

 

 ▼古書ビビビ:■(平成版)オール怪談 蒼馬社

 

 データを転載しておきます。

 

オール怪談4

1998/7/6

・長田ノオト「江戸川乱歩の孤島の鬼1 異様なる恋」

 

オール怪談5

1998/8/9

・長田ノオト「江戸川乱歩の孤島の鬼2 いまわしき活体解剖」

 

オール怪談6

1998/11/9

・長田ノオト「江戸川乱歩の孤島の鬼3 魔法の壺」

 

オール怪談7

1998/12/31

・長田ノオト「江戸川乱歩の孤島の鬼4 人外境便り」

 

オール怪談8

1999/3/4

・長田ノオト「江戸川乱歩の孤島の鬼5 悪魔の正体」

 

オール怪談9

1999/5/6

〔記載なし──引用者注〕

 

オール怪談10

1999/7/2

・長田ノオト「江戸川乱歩の孤島の鬼7 神と仏」

 

オール怪談12 

1999/11/4

・長田ノオト「江戸川乱歩の孤島の鬼9 最終回 大団円」

 

 2004年3月4日発行の「オール怪談」十四号には長田ノオトさんの「江戸川乱歩の影男」も掲載されたみたいです。版元の蒼馬社、いまはなし。

Posted by 中 相作 - 2011.12.09,Fri

 はーっはっはっは。はーっはっはっは。ついでだからもっともっと滞ってやれ、などと考えているわけでは決してないのですが、本日はこんな感じで。

 

■20111209h.jpg

 

 写真上に見えます読売新聞は12月5日付大阪本社版ですが、近畿地方の地域版で「『関西ミステリー』を歩く」という連載がスタートしました。たぶん芦屋市谷崎潤一郎記念館の特別展「妖しの世界への誘い──谷崎・乱歩・横溝」の連動企画で、この日の第一回には「探偵小説の巨星 育む/乱歩と谷崎 神戸で意気投合」といった見出しが躍っています。関西地区にお住まいのミステリファンはぜひご一読を。

 

 その下、平松洋子さんの『野蛮な読書』は書店で見かけたとき手に取り、巻末の「この本に登場する書籍や作品」をぱらぱら眺めたところ乱歩の名は見当たりませんでしたので文庫落ちを待ってスルー、ということにしたのですが、新聞の書評二本に乱歩の名前が出てきました。

 

 2011年12月9日:【書評】『野蛮な読書』平松洋子著

 2011年12月9日:今週の本棚・新刊:『野蛮な読書』=平松洋子・著

 

 こは何ならんと思って購入してきたところ、それぞれの書評で「学校の図書館から借りた乱歩全集を布団の中でむさぼり読んだ記憶」「布団に潜り込んで読んだ江戸川乱歩」と記されているとおり、開巻劈頭まもないあたりに「あれは小学四年だったかしら、図書館で借りてくる江戸川乱歩全集を布団のなかで読破した」という文章があって、この本には索引がありませんから実際に読んでみないとほんとのところはわからないのですが、おそらく乱歩の名前が登場するのはここだけだろうと思われます。そのたったひとつの乱歩の名前が短い書評二本でともどもに言及されているという寸法で、これはやはり子供時代に乱歩作品を読む、とくに少年ものを読むというのが結構普遍的な体験であり、読んだ作品が何であれ著者の体験に評者の体験が懐かしく共鳴したということでしょうか。乱歩の名前そのものの普遍性ということもあるでしょうし。

 

 その左は来年1月に催される「シアタートラム ネクスト・ジェネレーション vol.4」のチラシで、この公演のことはすでにお知らせいたしました。

 

 2011年11月24日:乱歩の恋文

 

 お知らせしたあと関係者の方からチラシをお送りいただきましたので、チラシをスキャンしてあらためてご案内をしなければ、とは思いつついや滞りました滞りましたすっかり滞りましたはーっはっはっは。はーっはっはっは。しかしほんと、この案内だけでもすみやかに投稿しておかねばなとは思います。

Posted by 中 相作 - 2011.12.07,Wed

 こんなことばっかいっておってはいかんのではないかとも、いっそずーっと滞ったままにしておいてやろうかとも思いつつ、いまだブログにデータを反映できていない最近の乱歩関連資料を写真でお知らせするだけの人気企画。いやどうもすいません。

 

■20111207b.jpg

 

 「奇譚クラブ」のコピーは先日、神戸でお会いした方から頂戴したもので、その筋の乱歩文献二点が掲載されているのですが、こういうものはやはり名張市立図書館がお教えいただいてデータベースを充実させてゆくのが本来であると何度いったらわかるのか。何度いってもわかんないのか。わかんないのだ。

 

 その左の分厚い本は日本比較文学会編の『越境する言の葉──世界と出会う日本文学』。今年6月に出た本ですが、気づかずにいたところメールでご教示くださった方がありましたので、ぎゃーッ、ろッ、六千円もするのかッ、と叫びつつ本屋さんに取り寄せてもらいました。内容はこんなんです。

 

 ▼彩流社:越境する言の葉

 

 乱歩関連では間瀬玲子さんの「フランスにおける江戸川乱歩と横溝正史の受容」が収録されているのですが、この本のことを教えていただいたメールには「なおこの論文ではデータの参照元として『名張人外境』も挙がっています」とありましたのでさっそく見てみたところ、論文末尾の「注」にこんなふうに書いていただいてありました。

 

(1)本稿執筆に際して江戸川乱歩と横溝正史の作品のフランス語訳を可能な限り入手した。またフランス国立図書館(パリ)、ポンピドゥーセンターの公共情報図書館(パリ)、日仏会館図書室(東京)、国際交流基金JFICライブラリー(東京)、国文学研究資料館などのウエブサイトで検索を行った。フランスのインターネット書店も参考にした。乱歩に関しては「名張人外境」のウエブサイトで調査した。

 

 なんとも光栄な話で、頬を赭らめつつ間瀬玲子さんにお礼を申しあげる次第です。しかし、なんか、日仏両国の図書館や図書室、ライブラリー、資料館のウェブサイトが列記されたあと、最後になって怪しげなウェブサイトの名前がぬっと出てくると、なんじゃこりゃ、という感じになってしまいます。むろん本来であればとっくの昔に、乱歩のことは名張市立図書館のウェブサイトで調べる、ということになっていなければおかしいのですが、いくらその旨の提案をしてもそのたびに名張市役所の腐れ公務員さまのみなさんがリジェクトしてくださいましたものですから、いやはや申しわけ次第もありゃしません。しかし、そろそろです。いよいよです。どうかご期待ください。はーっはっはっは。はーっはっはっは。

Posted by 中 相作 - 2011.12.05,Mon

 名張、神戸、芦屋の三都市を結んで講演会の話題をお届けした12月2日付エントリのつづきですが、11月26日に芦屋市谷崎潤一郎記念館の特別展「妖しの世界への誘い──谷崎・乱歩・横溝」を拝見してきました。展示品のなかでもっとも興味を惹かれたのは何かというと正史の書簡でした。ガラスケースのなかに陳列されていましたからつぶさに読むことはできなかったのですが、こういうのを垣間見てしまうと正史と乱歩の書簡集を読みたくなってしまいます。そういえば戦後まもないころの乱歩の書簡の写しが見つかったことがあって、ちょっと検索してみたらこんな記事が。

 

 ▼名張人外境:貼雑記録 朝日新聞 > 乱歩が探偵小説論 横溝正史らに(2001年9月5日)

 ▼名張人外境:貼雑記録 毎日新聞 > 乱歩の手紙発見(2001年9月6日)

 

 いやー、もう十年も前のことになるのか。ちょっと驚いてしまいましたけど、これらの書簡はいずれ東京創元社から出版されると聞き及んでいた記憶があるものの、いまだに実現していません。東京創元社でじっくり熟成しているものと思われますが、そんなことはともかく、谷崎、乱歩、正史という三作家を結んだたぶん初めての企画展、規模の大きいものではありませんが充実した内容で、とくに三作家のファンのみなさんにお勧めしておきます。名張市立図書館蔵の乱歩宛献呈署名入りなれど乱歩の序文を欠く正史の著書『真珠郎』も展示されておりますし。

 

 名張市立図書館といえば、12月2日付エントリに記した件、やはり名張市の公式見解が必要だろうなと判断いたしました。名張市立図書館が寄贈を受けたまま死蔵しているミステリ関連図書のことです。それはまあ、名張市立図書館のみなさんは知らん顔してればいいのかもしれません。乱歩のことで図書館にお客さんがあったとしても、お客さんのお相手を私に押しつけてしまえばそれで済むかもしれません。しかしお相手を務める私としては、地下書庫の寄贈図書、このまま眠らせてちゃだめだよね、とお客さんからお言葉を頂戴しても返答に窮するばかりなわけです。名張市立図書館には寄贈図書の活用についてどんな方針も構想もなく、もう十数年ほど問題をただ漫然と先送りしているだけだということは察しがつきますが、だからといってこれから先もずーっと眠らせたままにしておきますとお客さんにお伝えするわけにもいかんでしょう。

 

 先日のエントリにも記したとおり、これは相手のある話です。しかも「市立図書館の乱歩関係の蔵書約千冊を移し、寄贈も受け付け」て、「古今東西の推理小説を一堂に集め『ミステリー文庫』を設置する方針を明らかにした」と朝日新聞のコラムで報じられた話でもあります。名張市立図書館に図書を寄贈してくださったミステリファンのみなさんからおおいに期待をお寄せいただいた話であったことはいうまでもなく、それにこれは名張市議会の定例会で表明された方針でしたから言葉としてはきわめて重いものであるというしかありません。やはり先日記しましたとおり、いったん表明された方針がなぜ変更されたのか、そのあたりの経緯の説明が必要ですし、長く死蔵しているミステリ関連の寄贈図書をどうするのか、新たな方針を表明することもぜひとも望まれます。じつに悩ましい問題ですが、やはり名張市の公式見解を求めるべきだろうなとの結論に至った次第です。

 

 お役所のみなさんにはほんとに困ったものですが、毎度まいど申しておりますとおり、これは乱歩がどうのミステリがこうのという話ではなく、あくまでもものの道理の問題です。お役所のみなさんのおつむは自分たちの都合だけでいっばいになってますから、ひとのことなんてまったく顧慮しません。ひとの恩義に報いるということができない。純然たる厚意から図書を寄贈してくださったみなさんに対して、ちゃんと考えて、ちゃんと決めて、ちゃんと説明するという当然のことをさえいっさいしようとしない。しかし、だからといって、名張市立図書館が寄贈図書を長きにわたって死蔵しつづけ、活用策をいっさい考えようとしていないことに関してどうして私がお叱りを頂戴しなければならぬのか。ほんと、お役所のみなさんには困ったものです。

 

 さらにまた名張市立図書館といえば、こんなページがあります。

 

 ▼アジアミステリリーグ:江戸川乱歩の韓国での受容

 ▼アジアミステリリーグ:江戸川乱歩の台湾での受容

 

 どちらのページでも名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』をご紹介いただき、同書の不備をご指摘いただいたうえ、「このページは、いつの日か行われるであろうその改訂の際の一助となるべく作成した」とまことにありがたいお言葉までいただいているわけで、要するにこれらのページは名張市立図書館のために作成していただいたものだということになるのですが、肝心の名張市立図書館はご存じのとおりの状態ですからこうしたご高配やご期待にいっさいお応えできないと思います。考えてみればばかみたいな話で、名張市立図書館が乱歩関連資料を収集しているオンリーワンの図書館として何をすればいいか、そんなことはとくに考えなくてもわかることであって、だからこそこうやって名張市立図書館の至らないところをフォローするためのページをつくってくださる方までいらっしゃるのですが、しかし当の名張市立図書館と来た日には……

 

 いやいや、こんなぼやきに百万言を費やしても意味はありません。お役所では来年度予算の編成も始まったみたいですし、そろそろ市長判断をお願いして、なんとかお助けいただかないことには。

Posted by 中 相作 - 2011.12.02,Fri

 まず名張市の話題です。先日来そこはかとなく言及してきましたが、名張市が日本推理作家協会のご協力をいただいて開催しているミステリ講演会「なぞがたりなばり」は、やはり今年度は開催されないとのことです。ただし名張市の公式サイトでは何の告知もなされておりません。

 

 名張市:なぞがたりなばり

 

 こうなると、どうなるか。名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用してこんなことをお訊きいたしました。

 

「なぞがたりなばり」について

 

名張市が主催するミステリ講演会「なぞがたりなばり」についてお訊きします。

 

(1)今年度の「なぞがたりなばり」は中止されたと聞き及びましたが、中止となった理由をお教えください。

 

(2)来年度以降、「なぞがたりなばり」が再開されるのかどうか、その見通しをお知らせください。

 

(3)今年度の「なぞがたりなばり」が中止されると決定したのはいつのことでしょうか。もしも昨年11月25日以降に決定されたのであれば、なぜ名張市の乱歩関連事業アドバイザーである私にご相談いただけなかったのでしょうか。

 

以上です。よろしくお願いいたします。

 

2011/12/02

 

 いやー、名張市のやることは相変わらずようわかりません。名張市の乱歩関連事業といえば市立図書館における乱歩関連資料の収集とこのミステリ講演会「なぞがたりなばり」だけのはずなのですが、そのひとつを中止するにあたってえへん、恐れ多くも名張市長からご任命いただいた乱歩関連事業アドバイザーにひとことの連絡もないとはどういうことか。いまだ仔細が不明ですからなんともいえませんが、必要とされてないのであればアドバイザーなんて辞めるしかないということになりそうです。やれやれ。

 

 つづきまして神戸市の話題。11月26日に行った講演「続・横溝正史と江戸川乱歩」の件ですが、神戸に着くまで電車のなかで紀田順一郎さんの『乱歩彷徨』を熟読し、乱歩の自伝と評論集をワンセットにして考えるといったあたり、講演でさっそく受け売りした箇所があることをここにお断りしておきます。『乱歩彷徨』はすでにあちこちで話題になっていて、たとえばきょうこのブログに無断転載した有栖川有栖さんのレビューがこちら。

 

 ▼2011年12月2日:乱歩彷徨 紀田順一郎著 作家人生を貫く壮大なトリック

 

 乱歩の評伝としては画期的なもので、紀田さんが「あとがき」に述べていらっしゃるとおり文化論や都市論、情報論などの方向に傾斜しがちな近年の乱歩論のなかではむしろ異色とさえ映りますが、ひとことでいえば乱歩の戦略性を正面から見据えた出色の一巻。ぜひお読みください。

 

 ところで、有栖川さんが最後に触れていらっしゃる「怪人二十面相」休載の隠された事情は『乱歩彷徨』の白眉とも呼ぶべき箇所であり、大胆にして緻密な考察が鋭くくりひろげられているのですが、ちょっとどうかな、という気がしないでもありません。といいますのも、たしかに昭和11年の「少年倶楽部」7月号は「怪人二十面相」が休載となっているのですが、乱歩が手がけていたもうひとつの連載「緑衣の鬼」もやはり「講談倶楽部」7月号が休載となっていますから、そのあたりを考えるとちょっとどうかなという気がする次第ではあるのですが、それはともかくとして、「少年倶楽部」の初出と単行本を比較してテキストの異同から乱歩と時代の関わりを摘出してゆくブロセスはきわめてスリリングで、いうまでもなく労の多い作業でもあり、そういった作業のための資料を地道に収集するのはもちろん図書館の仕事であるとはいえ、日本でただひとつ乱歩関連資料を専門的に集めている名張市立図書館はどうかといいますと、なんだかもう。

 

 名張市立図書館といえば、11月26日に神戸でお会いした方から、名張の図書館、ミステリの寄贈を受け付けてくれなくなっちゃったよね、とのお言葉をいただいたことは先日も記しましたが、さっきふと気になったのは、それがいったいいつのことだったのか、もしかしたら私がえへん、恐れ多くも名張市長から乱歩関連事業アドバイザーにご任命いただいて以降のことではなかったのか、ということで、もしもそうだとしたらそういった決定に私がまったくタッチしておらず、それどころか私の耳にその決定が届いてさえいなかったのはちょっと問題なのではないか。ほんと、必要とされてないんだったら乱歩関連事業アドバイザーなんてやっぱ辞めてしまうしかないだろうな。いやー、名張市のやることは相変わらずようわかりません。

 

 しかしそれにしても、たとえ図書寄贈を打ち切ったとしても、過去の寄贈分をどうするかという問題はあるわけで、先日名張市立図書館にいらっしゃったお客さんからも、地下書庫の寄贈図書、このまま眠らせてちゃだめだよね、みたいなお叱りを頂戴したことはすでに記したとおりですが、いったいどうすればいいのやら。つまりこれ、お役所内部の話ではなく相手のある話であって、しかも名張市はいったんこんなことを表明しているわけです。

 

 ▽推理小説の生みの親、江戸川乱歩の生誕地である三重県名張市は5日、古今東西の推理小説を一堂に集めた「ミステリー文庫」を設置する方針を明らかにした。

 

 ▽同市は、乱歩に関する街おこし事業が盛ん。08年までに完成させる予定で、市立図書館の乱歩関係の蔵書約千冊を移し、寄贈も受け付けるという。

 

 ▽「全国の推理小説ファンの集まる場に」と同市。しかし、具体的な運営方法や設置場所は未定だ。行政側の思惑通りにいくか、それもまた「ミステリー」。

 

 この方針があとになって変更されたのは仕方ないとしても、それこそ寄贈者のみなさんという相手のある話であり、直接の相手ではなくてもこの方針に期待を寄せてくださっていたミステリファンも存在するわけですから、なぜ方針が変更されたのか経緯の説明が必要でしょうし、すでにある寄贈図書をどうするのか、そのあたりの新たな方針を明らかにすることも必要になってくるのではないか。というか、そのあたりの方針を明確にするようアドバイザーたる私から名張市立図書館に求めたほうがいいかもしれません。そもそも名張市立図書館が何もしようとしないせいで私がお叱りを頂戴してしまうというのは考えてみればずいぶんおかしな話であって、頂戴したお叱りはそのまま名張市立図書館に伝えるべきだとは思うわけですが、いくら伝えてもどうにもならんか。

 

 なんか暗澹たる気分になってきましたが、つづいては芦屋市の話題。神戸の講演会に東京からおいでくださった横溝亮一さんがその翌日の11月27日、芦屋市谷崎潤一郎記念館で秋の特別展「妖しの世界への誘い──谷崎・乱歩・横溝」のイベントとして「父・横溝正史の思い出」と題した講演をなさいました。私はお邪魔できなかったのですが、ありがたいことに会場で聴講された方から講演要旨のメモをお送りいただきましたので、そのうち乱歩に関するパートを無断転載しておきます。

 

・父と乱歩さんの交友は愛憎半ばするものがあった。父は乱歩さんの「幻影城」のような仕事を認めず、どうして創作しないのか、と嘆き続けていた。夜は、寝床にウイスキーを入れた小さなグラス5つ並べ、それを飲みながら、ラジオで野球中継を聞いたり、小説の筋を練っていたり、うつらうつらするのだが、ある時、がばっと跳ね起きると、窓を開け、大音声で「乱歩のバカヤロー」と叫んだりしていた。「あんたが書かんでどうなる」と言って、ぼろぼろ泣いたりしていた。当時の我が家は成城でしたが、2000坪以上ある敷地にうちが一軒あるだけ。深夜わめいても問題なかったんですね。

 

・乱歩さんは優しくて、よくわたしも膝の上に載せられたりしたもです。「亮ちゃん、欲しいものあれば、なんでも買ってあげる」と言われて、八の字型のレールの上を走る電気仕掛けの機関車モデルが欲しいといったら、「そういうのは銀座の松屋にある。買ってあげよう」と乱歩さん。そして一週間後くらいにそれが届いたのにはびっくり。当時でも相当値段の張るものだったでしょう。その贈り物に「亮一君へ」とあって「きくゎんしゃ」とあったのを今でも覚えている。

 

・乱歩さんが死んだとき、わたしは東京新聞文化部でした。上司から乱歩が死んだ、君は知遇があるんだよねと言われて、すぐに社旗をたてた車で池袋に向かいました。もう水谷先生が来られていました。まだ乱歩さんの体が生温かったです。30分ほどして父が来ました。来るなり、わーっと覆い被さるようにして、号泣です。「なんで死んだんだ~」30分くらい続いたと思います。水谷先生が「ぼくたちだって、先が長いわけじゃない。すぐに向こうで会えるさ」という慰めで、やっと泣きやみました。父は、ほとんど毎日、乱歩さんの名前を口にしてました。恩師であり、よきライバル、そして乗り越えるべき壁、それが父にとっての乱歩さんの存在だったようです。

 

 以上、名張市、神戸市、芦屋市、と大小はあれどみっつの都市を結んで講演会の話題をお届けしました。

Posted by 中 相作 - 2011.11.30,Wed

 どうしてこんなことになったのでしょうか、というところからのつづきですが、乱歩がそういう人だったから、というしかありません。謎の解明よりは秘密の発見に心を惹かれる人であった。たとえば肘掛椅子を見て、あ、このなかに人間が隠れている、と誰も気づかない秘密を発見してしまう人であった。ところが秘密の発見と謎の解明とはよく似ていますから、あるいは、提示された謎を解明して隠されていた秘密を発見するのが探偵小説の醍醐味であり一連のプロセスであるわけですから、というべきなのかもしれませんが、とにかく謎と秘密を混同してしまい、十数年がかりで練りあげた探偵小説の定義に謎ではなく秘密という言葉を使用する仕儀となってしまいました。

 

 海外から輸入された探偵小説が日本という土壌で独自かつ多様な発達を遂げたとするならば、その換骨奪胎の過程で進められたのがたとえば謎を秘密と読み替えてしまう作業だったということになるでしょうか。乱歩の定義は日本において探偵小説が奇怪な亜種に進化し、いってみればガラパゴス化が進行したことを端的に物語る具体例なのかもしれません。このあたりのことはごくかいつまんで喋っただけでしたから、やはり会場のみなさんにはうまくお伝えできなかったものと思われます。

 

 それから、これは講演していて気がついたことなのですが、『幻影城』の刊行は昭和26年、西暦でいえば1951年ですからちょうど六十年前ということになります。にもかかわらず乱歩の生前はもちろん歿後にも、論理や合理にもとづいて考えれば乱歩の定義は変であると表立って指摘する人はいなかったみたいですから、「理屈や筋で読むのが日本では少いのだ。本格ものは発展しないよ」という乱歩の言はそうした事実によっても裏づけられているのかもしれません。

 

 そんなこんなで、正史は正しく、乱歩は乱れる、とのテーマにもとづいた講演は結構ぼろぼろになりながらもなんとか終了いたしました。いやはやもうさんざんな出来となり、もう一度勉強し直してまいりますと申しあげたい気分ではあったのですが、久しぶりにお目にかかれた人もあり、なかには乱歩関連資料をご教示くださった方もあって、たとえばこんなコピーを頂戴いたしました。

 

■20111202a.jpg

 

 明治42年4月18日に名古屋商業会議所が発行した『名古屋商工人名録』に掲載された平井商店の広告です。父親が明治40年ごろ設立した平井商店はこの年あたりには順風満帆だったはずですから、愛知県立第五中学の三年生だった乱歩は年末に「中央少年」の創刊号を発行するなど何不自由のないお坊ちゃん生活を送っていたものと思われます。それにしてもこんな資料はそんじょそこらに転がっているものではなく、たぶん乱歩だって所蔵していなかったはずですからコピーを頂戴できたのはまことにありがたいことではあったのですが、いつもいってることながら、こういう資料は名張市立図書館に集まってくるようになっているべきだと思われます。

 

 名張市立図書館といえば、やはり講演会に足を運んでくださった方から、名張の図書館、ミステリの寄贈を受け付けてくれなくなっちゃったよね、とのお言葉をいただき、そんなこととはつゆ知らぬ私はおおいに驚いた次第でした。つまり名張市立図書館は関係各位から乱歩関連資料としてミステリ関係の図書なんかを寄贈していただいていたのですが、それがはいおしまいということになってしまったとのことです。そういえば先日、名張市立図書館にお客さんがあった日、久方ぶりで地下書庫に入ったところ蔵書がいっぱいいっぱいになっていたということはこのブログでもお知らせしたとおりですが、だからといって寄贈ノーサンキュとあっさり表明してしまうのはいかがなものか。ノーサンキュという結論に至るまでにいったいどれだけの知恵を絞り、どれだけの工夫を重ねたのか、みたいなことをいってみたってどうしようもないか。

 

 お役所のみなさんに何をいってみたところでせんかたないか、とは思うもののやはり講演会においでいただいた方から、名張市のミステリ講演会はほんとになくなったのか、とのお尋ねをいただいたりもしましたので、依然として名張市役所の担当セクションに実際のところを確認しておりませんゆえ確たるご返事はできなかったのですが、それにしても名張市ってどうよ、とはつくづく思います。どうよ。ほんっとにどうよ。前にも書いたけど、なんかもう、正直、ぼろぼろじゃね?

Posted by 中 相作 - 2011.11.29,Tue

 昭和10年代、探偵小説を書いたり読んだりできない時代が訪れました。戦争が始まり、正史は岡山県に、乱歩は福島県に疎開して、やがて終戦。時局が一転して探偵小説は復活を遂げます。戦前作品が続々と重版され、探偵作家はしきりに新作を要求されました。しかも求められたのはあくまでも論理や合理を重んじた本格探偵小説であって、といったあたりの事情は配布資料〔*6〕の「探偵小説の方向」でご確認ください。

 

20111128a.jpg

 

 終戦直後に訪れた探偵小説ブームの立役者は、いうまでもなく正史でした。昭和21年4月に「本陣殺人事件」、5月に「蝶々殺人事件」の連載を開始し、翌22年1月に連載を始めた「獄門島」が23年10月に完結するまでの二年七か月はやや大袈裟にいえば奇跡のような時期であって、樋口一葉の奇跡の十四か月に倣って奇跡の三十一か月と呼ぶことも可能だろうと思われます。かつて乱歩から怪奇派に分類された正史は本邦初の本格長篇作家に変身して矢継ぎ早に作品を発表し、探偵小説界を実作でリードしてゆきました。

 

 乱歩の戦後はどうだったか。戦前の指導者層がそうであったように、乱歩もまた反省することから戦後を始めなければなりませんでした。グルーサムやセンジュアリティを売りものにした探偵小説を書いたのは非常にいけなかった、もうくり返さない、といった自省の弁は配布資料〔*5〕の「グルーサムとセンジュアリティ」でご確認ください。昭和10年前後、欧米探偵小説界の大勢を知って本格長篇こそが探偵小説の王道を行くものだと認めながらも、日本の探偵小説の多様性を鷹揚に肯定していた乱歩は終戦を境に本格至上主義者に変貌し、そうした価値観によって探偵文壇を唱導することを試みました。

 

 しかし乱歩には実作ができませんでした。正史や新人の高木彬光らが堂々たる本格長篇を発表するかたわらで、探偵小説の第一人者なのに探偵小説が書けないという苦悩を味わうばかりでした。そこで乱歩は第一人者の地位をキープするために、まず自伝の執筆に着手しました。昭和24年のことです。ついで評論集を編みました。昭和26年のことです。自伝では自分が一貫して探偵小説の第一人者であったことを可能なかぎり客観的に証明し、評論では自分が内外の探偵小説に自在に評価を与えられる特権的立場にあることを周知させました。おかげで乱歩は戦後も王様でありつづけることができました。乱歩は探偵文壇の頂点にある玉座に坐り、本格探偵小説の実作における第一人者であるというお墨付きを正史に与えました。

 

 やがて本格探偵小説ブームは去ってしまいます。配布資料〔*7〕の「探偵小説あれこれ」に見える乱歩の余裕綽々たる王様ぶりはどうでしょうか。終戦直後には殊勝な反省の弁とともに本格至上主義の旗色を鮮明にしていたというのに、それから十年とたたない昭和28年には「理屈や筋で読むのが日本では少いのだ。本格ものは発展しないよ」と断言するに至っています。敗戦のショックでごく短い期間だけ本格一辺倒の主張を展開してみたものの、乱歩はやっぱり乱歩でした。というか、日本人はやはり日本人でした。本格ものは発展しないよ、という乱歩の言葉がこの講演のオチとなります。

 

 ざっと書き殴ってみましたが、こんな感じで海外探偵小説の受容を軸として正史と乱歩を日本の探偵小説史に位置づけようと思ったら、一時間や二時間で語り尽くせるものではありません。喋るべきことが十あるとしたらそのうちの一かせいぜい二を喋るだけで思いきりすっ飛ばし、飛び石を飛ぶようにしてとにかくゴールまで辿り着くことを最優先させましたので、お聴きいただいたみなさんには何が何やらさっぱりおわかりいただけないほどにとりとめのない内容になったものと思われます。まことに拙い講演となってしまいました。関係各位に心からお詫びを申しあげる次第です。

 

 オチのあとで講演のテーマを確認しておきました。テーマは昨年からひきつづいて、正史は正しく、乱歩は乱れる、といったことなのですが、ふたりが探偵小説をそれぞれどう定義していたのか、それを見ておくことで正と乱を対比した次第でした。とはいえ正史は正面切って探偵小説を定義するようなことはしていませんから、とりあえず色紙に書かれたフレーズを定義と見做して話を進めました。色紙の画像はこのエントリでご覧いただけます。

 

 ▼2011年10月21日:ウェブニュース:谷崎・乱歩・横溝…ミステリーな交流を紹介

 

 謎の骨格に論理の肉附けをして浪漫の衣を着せましょう

 

 これが正史の定義です。浪漫の衣を着せるというのは正史個人の小説作法を示したもので、どんな衣を着せるかは作家によってさまざまですが、どんな探偵小説も衣の下の身体そのものには変わりがありません。謎と論理。それが構成要素です。謎と論理の探偵小説という言葉はよく眼にするもので、正史の定義はどこにもおかしなところがなく、つまりは正しいものだといえます。

 

 乱歩の定義はどうか。『幻影城』の冒頭に置かれた「探偵小説の定義と類別」にこう記されています。

 

 探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。

 

 乱歩はやはり乱れています。どうも腑に落ちない。違和感を覚える。どっか変である。そんな感じがします。どこが変なのか。秘密という言葉です。乱歩は謎ではなくて秘密という言葉を使用して探偵小説を定義しています。それが乱れの原因です。難解な秘密。そんなものがはたして存在するのでしょうか。それは厳密にいえば、難解な謎によって隠された秘密と表現すべきものなのではないか。つまり乱歩は謎の解明と秘密の発見を混同していたわけです。謎という言葉を秘密という言葉に読み替えてしまっていたといってもいいでしょう。どうしてこんなことになったのでしょうか。

Posted by 中 相作 - 2011.11.28,Mon

 おとといの講演会の件です。正史の令息でいらっしゃる横溝亮一さんのご臨席をたまわることになったと主催者側から伝えられたとき、あ、こりゃあまりうちつけなことは喋れないなと私は思いました。昨年の講演「横溝正史と江戸川乱歩」では正史と乱歩の確執を微細にわたって浮き彫りにし、どちらかといえば正史のほうが分が悪い感じの内容になったのですが、そのあたりの話柄は控えたほうがいいのではないかと判断して、正史と乱歩を日本探偵小説史に位置づけることに主眼を置いてみました。とくに軸となるのは海外探偵小説の受容史とでも呼ぶべき領域です。

 

 ごく簡略な見取り図を記しておきますと、まず海外作品の翻案という形で探偵小説の輸入が始まり、つづいては翻訳の時代、それから乱歩が先陣を切った創作の時代がスタートします。乱歩のデビューは大正12年ですが、ブロ作家になって以降、乱歩は海外作品をあまり読まなくなったといいます。そのあたりの事情は当日の配布資料に〔*3〕として掲載した「探偵小説四十年」の引用でご確認ください。下の画像をクリックするとPDFファイルが開きますから、その二ページ下段をどうぞ。

 

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 昭和7年、正史は前年創刊された「探偵小説」の編集を担当するようになりますが、廃刊が決まったため何を憚ることもなく自分の好きな海外長篇をたてつづけに掲載しました。それらの長篇を面白がったのが誰あろう乱歩でした。このあたりは配布資料〔*1〕の「私の推理小説雑感」でお読みください。

 

 昭和10年、乱歩は『赤毛のレドメイン家』を原書で、正史は『英海峡の怪奇』を翻訳で読み、海外の本格長篇に対する認識を新たにします。とくに乱歩は本格探偵小説への情熱に突き動かされて『日本探偵小説傑作集』を編纂し、巻頭に「日本の探偵小説」を執筆しました。「ぷろふいる」に「鬼の言葉」の連載を始めたのもこの年のことです。このあたりの流れは配布資料の年表でご確認ください。

 

 昭和10年の乱歩はどんな状態であったか。通俗長篇を量産することに倦み果てて休筆に入り、一年半ほど小説をお休みしたあとの復帰第一作「悪霊」を中絶してしまって正史に思いきり罵倒されたのが前年のこと。明けたこの年は5月に「人間豹」を完結させただけで実作のほうはとんと振るいませんでしたが、アンソロジーを編み、その解説を書くことで探偵小説の第一人者であることを江湖に、といってしまうと大仰かもしれませんが少なくとも探偵文壇にあらためて知らしめました。

 

 「日本の探偵小説」で乱歩は、同時代の探偵小説を論理派と文学派に大別し、さらに細かい分類を与える作業を進めています。前者には理化学的探偵小説あり心理的探偵小説あり、後者には情操派あり怪奇派あり、といったぐあいです。比喩的にいえば、乱歩は探偵小説という王国の国土を分割し、家来たちに領土を与えていったように見えます。つまり、自分は探偵小説王国の王様であるということを、アンソロジーの編纂と解説によって宣言したことになります。

 

 正史には文学派の怪奇派という領土が与えられました。同じ領土には渡辺啓助と妹尾アキ夫が配されました。怪奇派の特徴はエドガー・ポー、谷崎潤一郎、佐藤春夫の影響が感じられることであると乱歩は指摘していますが、乱歩もこの三人から強い影響を受けていますから、この領土には近しいものを感じていたはずです。もっとも、なにしろ王様ですから、自分自身に領土を分配することはしていません。王国全土が王様のものです。

 

 王様は王国内にさまざまな領土があることを嘉していました。海外から輸入された探偵小説が日本という土壌で独自かつ多様な発達を遂げたことを肯定していました。海外作品を読んで本格長篇に開眼しながらも、探偵小説の第一人者としては眼の前にある探偵文壇の多様性を諒とすることが必要でした。本格こそが探偵小説の王者である、とうちつけに主張することはできませんでした。

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