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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2011.11.29,Tue

 昭和10年代、探偵小説を書いたり読んだりできない時代が訪れました。戦争が始まり、正史は岡山県に、乱歩は福島県に疎開して、やがて終戦。時局が一転して探偵小説は復活を遂げます。戦前作品が続々と重版され、探偵作家はしきりに新作を要求されました。しかも求められたのはあくまでも論理や合理を重んじた本格探偵小説であって、といったあたりの事情は配布資料〔*6〕の「探偵小説の方向」でご確認ください。

 

20111128a.jpg

 

 終戦直後に訪れた探偵小説ブームの立役者は、いうまでもなく正史でした。昭和21年4月に「本陣殺人事件」、5月に「蝶々殺人事件」の連載を開始し、翌22年1月に連載を始めた「獄門島」が23年10月に完結するまでの二年七か月はやや大袈裟にいえば奇跡のような時期であって、樋口一葉の奇跡の十四か月に倣って奇跡の三十一か月と呼ぶことも可能だろうと思われます。かつて乱歩から怪奇派に分類された正史は本邦初の本格長篇作家に変身して矢継ぎ早に作品を発表し、探偵小説界を実作でリードしてゆきました。

 

 乱歩の戦後はどうだったか。戦前の指導者層がそうであったように、乱歩もまた反省することから戦後を始めなければなりませんでした。グルーサムやセンジュアリティを売りものにした探偵小説を書いたのは非常にいけなかった、もうくり返さない、といった自省の弁は配布資料〔*5〕の「グルーサムとセンジュアリティ」でご確認ください。昭和10年前後、欧米探偵小説界の大勢を知って本格長篇こそが探偵小説の王道を行くものだと認めながらも、日本の探偵小説の多様性を鷹揚に肯定していた乱歩は終戦を境に本格至上主義者に変貌し、そうした価値観によって探偵文壇を唱導することを試みました。

 

 しかし乱歩には実作ができませんでした。正史や新人の高木彬光らが堂々たる本格長篇を発表するかたわらで、探偵小説の第一人者なのに探偵小説が書けないという苦悩を味わうばかりでした。そこで乱歩は第一人者の地位をキープするために、まず自伝の執筆に着手しました。昭和24年のことです。ついで評論集を編みました。昭和26年のことです。自伝では自分が一貫して探偵小説の第一人者であったことを可能なかぎり客観的に証明し、評論では自分が内外の探偵小説に自在に評価を与えられる特権的立場にあることを周知させました。おかげで乱歩は戦後も王様でありつづけることができました。乱歩は探偵文壇の頂点にある玉座に坐り、本格探偵小説の実作における第一人者であるというお墨付きを正史に与えました。

 

 やがて本格探偵小説ブームは去ってしまいます。配布資料〔*7〕の「探偵小説あれこれ」に見える乱歩の余裕綽々たる王様ぶりはどうでしょうか。終戦直後には殊勝な反省の弁とともに本格至上主義の旗色を鮮明にしていたというのに、それから十年とたたない昭和28年には「理屈や筋で読むのが日本では少いのだ。本格ものは発展しないよ」と断言するに至っています。敗戦のショックでごく短い期間だけ本格一辺倒の主張を展開してみたものの、乱歩はやっぱり乱歩でした。というか、日本人はやはり日本人でした。本格ものは発展しないよ、という乱歩の言葉がこの講演のオチとなります。

 

 ざっと書き殴ってみましたが、こんな感じで海外探偵小説の受容を軸として正史と乱歩を日本の探偵小説史に位置づけようと思ったら、一時間や二時間で語り尽くせるものではありません。喋るべきことが十あるとしたらそのうちの一かせいぜい二を喋るだけで思いきりすっ飛ばし、飛び石を飛ぶようにしてとにかくゴールまで辿り着くことを最優先させましたので、お聴きいただいたみなさんには何が何やらさっぱりおわかりいただけないほどにとりとめのない内容になったものと思われます。まことに拙い講演となってしまいました。関係各位に心からお詫びを申しあげる次第です。

 

 オチのあとで講演のテーマを確認しておきました。テーマは昨年からひきつづいて、正史は正しく、乱歩は乱れる、といったことなのですが、ふたりが探偵小説をそれぞれどう定義していたのか、それを見ておくことで正と乱を対比した次第でした。とはいえ正史は正面切って探偵小説を定義するようなことはしていませんから、とりあえず色紙に書かれたフレーズを定義と見做して話を進めました。色紙の画像はこのエントリでご覧いただけます。

 

 ▼2011年10月21日:ウェブニュース:谷崎・乱歩・横溝…ミステリーな交流を紹介

 

 謎の骨格に論理の肉附けをして浪漫の衣を着せましょう

 

 これが正史の定義です。浪漫の衣を着せるというのは正史個人の小説作法を示したもので、どんな衣を着せるかは作家によってさまざまですが、どんな探偵小説も衣の下の身体そのものには変わりがありません。謎と論理。それが構成要素です。謎と論理の探偵小説という言葉はよく眼にするもので、正史の定義はどこにもおかしなところがなく、つまりは正しいものだといえます。

 

 乱歩の定義はどうか。『幻影城』の冒頭に置かれた「探偵小説の定義と類別」にこう記されています。

 

 探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。

 

 乱歩はやはり乱れています。どうも腑に落ちない。違和感を覚える。どっか変である。そんな感じがします。どこが変なのか。秘密という言葉です。乱歩は謎ではなくて秘密という言葉を使用して探偵小説を定義しています。それが乱れの原因です。難解な秘密。そんなものがはたして存在するのでしょうか。それは厳密にいえば、難解な謎によって隠された秘密と表現すべきものなのではないか。つまり乱歩は謎の解明と秘密の発見を混同していたわけです。謎という言葉を秘密という言葉に読み替えてしまっていたといってもいいでしょう。どうしてこんなことになったのでしょうか。

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