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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2017.06.13,Tue

 『貼雑乱歩(仮題、変更予定)』はどうせ貼雑なんだから、と開き直り、乱歩以外の書き手による文章もふんだんに貼雑することにいたしました。

 まず、アンドレ・ジイドの『一粒の麦もし死なずば』は堀口大學訳の新潮文庫、まあ新潮文庫はジードではなくてジッドなんですけど、とにかく第一部冒頭をGoogleドライブのOCR機能でテキスト化。

        一
 僕は、一八六九年の十一月二十二日に生れた。当時、僕の両親は、メディシス街の、アパートの五階か六階に住んでいたが、数年後には移転してしまったので、この家は僕の記憶にない。ただ、僕には今でもあの家のバルコニーが目に見える、──いや、むしろバルコニーからながめたもの、つまり上から見たあの広場と泉水の噴水、より正確に言うなら、今でも僕の目には見えるのだ、父が切り抜いてくれる紙の竜が、このバルコニーの上から僕と父の手を離れ、風に運ばれ、広場の噴水池の上を越え、リュクサンブール公園まで飛んでゆき、そこの高いマロニエの枝にとまるのが。
 僕の目にはまたかなり大きなテーブルが一つ見えてくる、たぶんそれは食堂のだろうと思うが、とにかく床にまで引きずりそうなテーブル・クロースにおおわれていた。僕はときどき遊びに来るおない年ぐらいの家番のせがれと一緒に、よくこの下へもぐりこんだものだ。
 「何をなさいますんですか。そんなところへもぐったりなさって?」と、僕つきの女中がよく叫んだものだ。
 「なんでもないさ。ただ遊んでいるだけだよ」こう言いながら僕らは、あらかじめ、見せかけに持ちこんでいたでたらめの玩具おもちやを、騒々しくふって見せるのだったが、じつは、僕らは、ほかのことをして楽しんでいたのだ。二人で寄りそってはいても、さすがにまだてんで別個に、これはずっと後になって知ったことだが、《悪い習慣いたずら》と呼ばれているあれ・・をやっていたのだった。
 僕ら二人のうちの、どちらが、どちらに教えたのやら? また、教えたほうの一人がはじめ誰から教えられたものやら? 僕はまるで知らない。どうやら、子供が、ときとすると、独自ひとりでにそれを発明することもあると承認する必要があるのかもしれない。自分の場合にしても、僕は誰かに、あの慰みを教えられたか、それとも自分でそれを発見したか、明言はできないが、ただ言えるのは、僕の記憶の及ぶかぎり遠い過去にさかのぼってみても、あの慰みが、ちゃんとそこに存在するという事実だ。
 このようなこと、また、これから先に僕が言おうとするようなことを語ることによって、自分がどんな損害を受けるか、もとより僕も承知しているし、僕に対して人々が投げかけるであろう非難の声も、僕にはあらかじめわかっている。ただ、僕のこの物語の存在理由は、それが真実だということ以外にはありえないのだ。いわば、僕は贖罪しよくざいのためにこれを書いているようなものなのだ。
 魂のすみずみまでが、透明さと、やさしさときよらかさ以外の何ものでもないはずだと人々が信じているあの無邪気な年ごろの自分のうちに、僕は今日こんにち思い出して、かげと、醜悪さと、陰険さ以外の何物も見いださない。

 乱歩の「彼」をやっつけるにあたって、誰が乱歩を使嗾したのか、と考えてみると、やっぱジードはかなり重要な位置を占めていたと断ぜざるを得ません。
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