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Posted by 中 相作 - 2016.03.30,Wed
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東京新聞 TOKYO Web
 平成28・2016年3月28日 東京新聞社(中日新聞東京本社)

さよなら豊島公会堂 昭和の文化見守り63年 来月解体
 皆川剛
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さよなら豊島公会堂 昭和の文化見守り63年 来月解体

2016年3月28日 夕刊



今月で63年の歴史に幕を閉じる豊島公会堂(五十嵐文人撮影)

 歌舞伎や演奏会などが開かれ、「城北の文化の殿堂」として親しまれた豊島公会堂(東京都豊島区東池袋一)が今月、六十三年の歴史に幕を閉じる。戦争の焼け跡がまだ目立つ一九五二年、三千人以上の区民の寄付で建てられたが老朽化が激しく、仮想アイドルの専用劇場などに建て替えられる。撤去作業の進む中、ゆかりの人たちは別れを惜しんでいる。 (皆川剛)

 「戦後復興の思いが詰まっていたのでしょうね」

 仁平直行館長(55)が感慨深げに見上げる銅板に、計千二百万円を寄せた区民らの名前が刻まれている。中には、当時池袋に住んでいた作家の江戸川乱歩の本名「平井太郎」の文字も。マイナスドライバーを木枠に差し込んで取り外され、保管のため丁寧に梱包(こんぽう)された。
 区域の七割が戦争で焦土と化す中、文化施設は復興の象徴として人々を高揚させた。日本が主権を回復した半年後の五二年十月に落成し、当時としては先進的な鉄筋コンクリート三階建て。こけら落としは、十七代目中村勘三郎の歌舞伎だった。都はるみショー、ザ・ブルーハーツのライブなど時代を代表するイベントが多く行われた。

 七八年にサンシャイン劇場、九〇年に東京芸術劇場が近くにオープン。それでも八百二席を備えた本格的で身近なホールとして、区民からの人気は衰えず、ここ数年に開かれた催しは年平均で七百回を数える。

 他方、老朽化も目立っていた。今年一月の降雪の際には、屋根に積もった雪が解け、舞台天井で水漏れが発生。職員が屋上に上って雪をかいた。舞台の床は木材の劣化や色落ちが目立ち、修復を求める声も上がったが、予算がなく手つかずだった。

 「私が参加する合唱団のコンサートも、長女と長男の成人式も公会堂でした」

 豊島区に五十年暮らし、かつて区教育委員会で公会堂の催事運営に関わった加瀬みのりさん(72)も別れを惜しむ一人だ。壁や天井に音の反射板がなく、客席にハーモニーが聞こえづらい。二階の客席に座ると暖房が直撃し、真冬でも長袖を着ていられない。ホールとして「優等生」ではなかったが、「思い出と結びついたかけがえのない場所」だ。

 公会堂は四月にも解体が始まり、二〇一九年、コンピューターで制作した仮想アイドルが歌い踊る常設劇場などを備えたホール(千三百席)に生まれ変わる。

 「区民が気軽に使える施設ではなくなってしまうでしょうね」。加瀬さんは名残惜しげに、昭和の記憶の詰まった建物を見上げた。



◆都内建て替え続々

 都内では、大正~昭和期に建てられた公会堂の改修や建て替えが相次ぐ。

 一九二六年に完成し東京大空襲でも焼け残った両国公会堂(墨田区)は、耐震補強の予算が捻出できず、日本美術刀剣保存協会が運営する「刀剣博物館」(二〇一七年開館予定)に建て替えられる。

 一九二九年完成で、社会党の浅沼稲次郎委員長が演説中に刺殺される事件などで昭和史に刻まれる日比谷公会堂(千代田区)は、耐震化の改修工事のため四月から休館する。工事完了時期は未定。

 六四年完成で東京五輪の重量挙げやコンサートの舞台となった渋谷公会堂(渋谷区)も、隣接する区庁舎が耐震基準を満たさないことが分かり、併せて建て替えに。二〇一八年度中の再開をめざす。
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