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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2016.03.29,Tue

 伊勢志摩サミットを5月に控えて、ということか、何かと伊勢志摩鳥羽方面のニュースが報じられます。

 朝日新聞デジタル:三重)鳥羽の3世代海女にキャンペーンガール委嘱(2016年3月29日)
 朝日新聞デジタル:三重)答志島の料理人ら、バーベキューメニュー考案(2016年3月29日)
 YOMIURI ONLINE:3世代海女に観光キャンペーンガール委嘱(2016年3月29日)
 中日新聞 CHUNICHI Web:鳥羽の三世代海女、世界へ視線 観光キャンペーンガール続投(2016年3月29日)
 伊勢新聞:首相夫人〝お忍び〟で志摩に サミット記念の桜植樹(2016年3月28日)

 新聞に写真入りで報道されて、いったいどこがお忍びだ? という気もいたしますが、首相夫人のご主人は記念すべき日を迎えてさぞやご満悦のことと推測されます。

 ところで、伊勢志摩サミットは安倍晋三首相が鈴木英敬三重県知事を使嗾して開催が決定した、ということは三重県内でもほとんど話題にされていませんので、まだ生きていたウェブニュースをリンクしておきましょう。

 朝日新聞デジタル:なぜ伊勢志摩が選ばれた? きっかけは正月のある会話(2015年6月6日)

 世間ではこういうのをたなぼたと称するわけですが、当地まではたなぼたサミット効果、まったく波及しないものと思われます。

 しかし当地から鳥羽へ、乱歩に関する正確な情報を届けることは可能です。

 ということで、鳥羽造船所の「日和」は大正7年11月15日に第一号、12月15日に第二号が出たあと、乱歩が退職して上京してしまいましたから、第三号はかなり遅れて大正8年5月12日に発行され、それで廃刊となりました、という話題のつづきです。

 『貼雑年譜』には第三号に掲載された乱歩のインタビュー記事、つまり乱歩が取材を担当した記事のことですが、それが三本掲載されていて、インタビューイは三重県の知事と内務部長、それから鳥羽町立技芸学校長。

 「日和」は鳥羽造船所に勤務するニューカマーと鳥羽町のネイティブとの融和交流を目的にしたメディアでしたが、第二号が出た時点で乱歩は退職を決意していたようですから、第三号の記事では鳥羽の因循姑息な土地柄を真っ向から批判しているのが面白い。

 たとえば技芸学校の校長先生を取材したときには、造船所の若いのと学校の娘さんとで合コンやりませんか、と先生に持ちかけ、先生がとんでもないと否定すると、記事の結びに、この校長先生は偉い人なんだけどなにしろ年寄りだからなあ、などと平気で書きつけてますから、融和も交流もありゃしません。

 ではここで、名張から鳥羽へ正確な乱歩情報を届けるべく、本にするまで公開するつもりはなかった乱歩執筆のインタビュー記事、特別に披露しておきたいと思います。

 まず「日和」の当該記事が収録された『貼雑年譜』のページを写真撮影して、その画像をパソコン画面に呼び出し──


 それを判読して活字に起こしてゆくと、こんなふうになります。


 鳥羽の地域史研究にも大きく資するはずの『乱歩東海随筆』、出版の見込みはまったく立っておりません。
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