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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2024.05.19,Sun
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Posted by 中 相作 - 2015.05.16,Sat

 鬼火コースです。

 「新青年」の昭和10年2月号と3月号で「鬼火」の挿絵を担当したのは、いうまでもなく竹中英太郎です。

 竹中英太郎は横溝正史について、少なくとも二度、筆にし、インタビューで語ったことも一度、ありました。

 いっぽうの正史は、英太郎のことをどこにも記しておりません。

 なんかないかな、と探してみると、鈴木義昭さんの『夢を吐く絵師 竹中英太郎』に──

 弦書房:夢を吐く絵師 竹中英太郎

 藤川治水の「怪奇絵のなかの青春・竹中英太郎推論」に、藤川宛正史書簡が引用されている、とありました。

 「思想の科学」の1974年5月号に掲載された文章です。

 で、ネット古書店から入手しました。

 手っ取り早く、引用が掲載されたページのスキャン画像を貼っつけときます。


 藤川からの問い合わせに答えて、正史は、

 「竹中君は白井喬二氏の紹介状と挿絵の見本を持ってきたのですが、同君持参の絵が非常に気に入り、早速「陰獣」の原稿を渡したのです」

 などと記していますが、これを真に受けるのはちょっと危ないな、という気がしました。

 なぜか、というと、藤川はおそらく、英太郎が残した文章にもとづいて、じつは英太郎は初対面の横溝さんから乱歩の「陰獣」の挿絵を依頼されたと書いてるんですけどー、みたいな予備知識を正史に与えていたと考えられるからで、1974年というのは、正史がはじめて英太郎に会ってから四十六年後なんですから、正史が初対面の日のことを克明に記憶していたとはちょっと考えにくい。

 げんに正史には、乱歩の勘違いをそのまま踏襲して、探偵趣味の会の初会合がおこなわれた大正14年4月11日を乱歩との初対面の日だと思い込んでいた、という前科もあることですし。

 ですから、「怪奇絵のなかの青春・竹中英太郎推論」に引かれた正史書簡は、完全にネグレクトしました。

 とはいえ、たとえ私信ではあっても、正史が英太郎について記した貴重な記録であり、「文芸倶楽部」時代のエピソードは事実だと思われますから、ここにスキャン画像を添えてご紹介申しあげておく次第です。

 この藤川治水宛横溝正史書簡、藤川が死去してからすでに十年以上が経過してますから、いまや所在もわからない、ということになっているのかもしれません。

 2015年3月13日:藤川治水

 で、英太郎が初対面の正史から「陰獣」の挿絵を依頼されたというのは、ちょっと信じられない話だな、と手前は思います。
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