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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2011.02.04,Fri
書籍
 
宮原龍雄探偵小説選 論創ミステリ叢書48
 宮原龍雄
 平成23・2011年1月30日初版第一刷 論創社
 A5変型判 カバー 486ページ 本体3200円
 
関連箇所
本格派の文学理論
 評論・随筆篇 > p439ー441
 初出:密室 昭和28・1953年8月号(2巻4号、通巻9号)
新・本格派への待望──芭蕉は一人だけで沢山だ
 評論・随筆篇 > p449ー453
 初出:密室 昭和30・1955年5月号(4巻3号、通巻18号)
乱歩・文学の非文学
 評論・随筆篇 > p464ー466
 初出:幻影城 昭和50・1975年7月増刊号(1巻7号)
 
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本格派の文学理論
 
 これからの探偵小説で問題となるのは『探偵小説は文学であるかどうか』ということだが江戸川、甲賀、木々といった人達のそれぞれの主張にもかかわらず、まだ、われわれの納得のいくような解決がなされていない。そして、これはここ当分、この状態がつづくのではないかと思われる。
 むろん──われわれは乱歩説にも木々説にも、それぞれ共鳴しているし『一人の芭蕉の問題』にも同感である。そして、いままでの文学なり文学精神なりの観点からすれば正しいのであるが、この前提となる『文学とは何であるか』という定義について詳しい説明がなされていないので、ほんとうの意図はどうなのか、われわれには判らない。わからないだけでなく、ここから『文学・非文学』の新しい論争さえ生まれてくる。
 
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新・本格派への待望──芭蕉は一人だけで沢山だ
 
 これからの探偵小説が、どういうものになるか──これは『鬼』にとっても『虫』にとっても心配なものである。
 本格論とか文学論とかの論争が数年にわたって繰返えされるのもそのためで、ほんとうに探偵小説を(そして文学を)愛する作家なり読者なりは無関心ではいられないはずである。なかには『そんな論争など愚劣だ』と笑う人もいるが、笑ってすまされる人は幸福である。それから文学派なり本格派なりに『割り切って』しまっている人がある。この人たちも、神経は単純ながら、まず健全なものであろう。
 
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乱歩・文学の非文学
 
 私のところに乱歩の手紙やハガキなどが二十余通ある。私は東京にいなかったせいで乱歩との交渉はこの程度であるが、それでも知人らは乱歩の筆蹟が珍らしいのか、それを持っていって額縁などに入れている。これは佐賀にも、いまだに乱歩ファンが多いということである。
 もっとも、乱歩のオールド・ファンというのは戦前の大衆文学的な猟奇趣味に魅せられたものが多く、作品に名探偵の明智小五郎はでていても「本格」からははずれていた。むしろ初期の短篇『二銭銅貨』や『心理試験』などに本格味があった。
 
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