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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2010.12.28,Tue
 横溝正史と江戸川乱歩(6)
 
 師走も28日となりました。ということは、きょうは正史の命日です。逝去は1981年ですから、来年が歿後三十年。ついでにいえば再来年が生誕百十年ということになるはずです。正史が死んだのはついこのあいだのことのような気もするのですが、光陰はまさしく矢のごとし。
 
 さて、乱歩の「双生児」が発表されたのは「新青年」の大正13年10月号、正史の「双生児」は同じく「新青年」の昭和4年2月増刊号に掲載されました。あいだには四年四か月もの歳月が横たわっています。正史が乱歩の「双生児」を批判するために続篇と明示した同題作品を執筆したのであったとしても、どうしてまた四年以上もたってからそれを発表するようなことになったのか。
 
 何が正史に「双生児」を書かせたのか。たぶん「陰獣」ではなかったかと思われます。昭和3年の「新青年」10月号で完結した乱歩のカムバック第一作が、正史をして乱歩の「双生児」を批判する短篇を書かせたのであると愚考される次第です。
 
 乱歩が「陰獣」で華々しくカムバックした昭和3年は、いったいどんな年であったのか。
 
 昭和3年「陰獣」年表(2010年10月30日)
 
 めでたしめでたし、という年だったはずです。乱歩は見事に再起を果たし、再起第一作「陰獣」は「新青年」誌上で未曾有のといっていいほどの大当たり、乱歩ファンや探偵小説ファンはおおいに渇を癒され、むろん版元の博文館も大喜び、「新青年」編集者として正史の株もぐっとあがったはずですから、読者も含めた「陰獣」の関係者全員がめでたしめでたしで笑顔のうちに暮れたのが昭和3年という年であった、と、一応は見受けられます。
 
 しかし、ほんとにそうであったのか。じつはこんなことではなかったのかしら、ということはすでにこのエントリに記しました。
 
 正史はかちんと来なかったのか(2010年10月31日)
 
 つづく。
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