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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2025.10.13,Mon
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Posted by 中 相作 - 2016.06.15,Wed

 「二銭銅貨」を九十九円電書とするため、テキストをちょっとチェックしてみました。

 大正12年の初出をA、昭和6年の平凡社版をB、昭和36年の桃源社版をC、として照合してみます。

 青空文庫は光文社文庫版全集のテキストを採用していますが、その底本はBです。

 青空文庫:二銭銅貨(XHTML版)

 冒頭を引用。

「あの泥坊が羨しい」二人の間にこんな言葉が交される程、其頃は窮迫していた。
 場末の貧弱な下駄屋の二階の、ただ一間しかない六畳に、一閑張りの破れ机を二つ並べて、松村武とこの私とが、変な空想ばかり逞しゅうして、ゴロゴロしていた頃のお話である。
 もう何もかも行詰って了って、動きの取れなかった二人は、丁度その頃世間を騒がせた大泥坊の、巧みなやり口を羨む様な、さもしい心持になっていた。
 その泥坊事件というのが、このお話の本筋に大関係を持っているので、茲にザッとそれをお話して置くことにする。

 なんかおかしいな、と思ったかたもいらっしゃるかもしれません。

 何がおかしいのか。

 改行が多いんです。

 AもCも、冒頭から「さもしい心持になっていた。」までで一段落なんですけど、上に引いたBは段落中二か所で改行がほどこされ、都合三段落になっています。

 大正14年の初刊テキストは手もとにないので確認できないのですが、おそらくは初出テキストどおりの改行で、平凡社版全集に収録するにあたって改行が増やされたものと推測されます。

 なぜか。

 たぶん、少しでも行数を稼ぐためです。

 平凡社版乱歩全集は一巻五百ページの全十二巻で企画されたんですが、青年時代の習作や随筆雑文のたぐい、さらには諸家による自作への批評なんかを収録しても、まだ原稿量が足りませんでした。

 こりゃもう巻数を減らすしかないな、と思った乱歩が平凡社の下中弥三郎に相談すると、

 「下中社長は事もなげに名案を出してくれた。一頁の行数を、見苦しくない程度に出来るだけ少なくして組めばよろしい。一頁で二行か三行減れば、全体では大変な相違になるというのであった」

 というのは『探偵小説四十年』に明かされているところで、乱歩は「実に恥知らずな話であった」とも回顧していますが、むろん「恥を忘れて大いに売ることを考える」という線に走ってしまいました。

 ですから、改行を増やしたのもそうしたページ稼ぎの一環で、つい金に目がくらんでこんな小細工までやっちめーやした、みたいなことだったのではないかと推測されます。

 ほんとにもう乱歩ったら、といったようなことはまあいいとして、九十九円分のおまけは何がいいか、という話になると、乱歩の場合よくあるパターンは、いわゆる自註自解です。

 乱歩は自作を語ることがきわめて多かった作家で、たとえば光文社文庫版全集にも「自作解説」として、自作への言及の抜粋が収録されています。

 しかし、かりに私がそうした言及を集めるとすれば、そりゃもう正気の沙汰ではないようなことになると思われる次第です。

 というか、もうやっちゃってます。

 昔、『江戸川乱歩執筆年譜』をつくったとき、小説の索引で、

 「タイトルのあとに註や解説、自作評などその作品の『自註自解』を発表順に記載した。改題された作品は改題後のタイトルに自註自解を掲げた。自註自解の教科書体は連載の章題であることを表している。『探偵小説三十年/三十五年』には単行本収録にあたって省略された箇所がある」

 とかもう気が触れたような小細工を弄してあって、ここに「二銭銅貨」のそれをスキャンしてお目にかけたいと存じます。


 どうじゃ。

 軽くきちがいみたいじゃろ。
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Posted by 中 相作 - 2016.06.13,Mon

 例の「FRIDAY」最新号、つつがなく購入してまいりました。

 7月23日公開の映画「屋根裏の散歩者」には、なんですか、こんなシーンがあるそうです。


 木嶋のりこさんと間宮夕貴さんのダブル主演女優が挑んだ禁断の3Pシーンなんですけど、むろん原作にはこんな場面はありません。

 窪田将治監督のコメントを引いておきます。

 「江戸川乱歩の小説は、必ずしも完璧にできてはいないんです。だからこそ読み手の想像力をかきたて、そうそうたる巨匠たちによって様々な解釈で映像作品がつくられてきました。今回は二人のヒロインによるエロティシズムを通して人間の業を描いています。業の行き着く先はどこなのか──。ぜひ映画館で確かめていただきたいですね」

 では、電子書籍出版のお勉強です。

 アマゾンを利用した電子書籍出版を解説してくれているサイトはいろいろとあるようで、そのひとつにアクセスしてみました。

 セルフパブリッシングを楽しむ方法 個人作家ライフを今すぐスタート!:Home

 さーっと読んでまず、ああ、いろいろ面倒そうだな、とは思いましたけど、キンドル価格九十九円の謎が解けました。

 たとえばこれ、九十九円です。

 Amazon.co.jp:少年探偵団 Kindle版

 で、上記のサイトによれば──

本を書き上げ、Kindleストアに出版準備完了――というところで、意外と迷ってしまうのが「価格設定」です。価格の相場と文章量、クオリティが未知のままスタートしたKDPですから、当然です。未だ、電子書籍市場はカオスで、個人作家のみならず、出版社も手探りで本を販売しています。

個人作家は自らの作品の価格について、迷いがちです。自分の作品を、本当にお金を出して買ってくれる人がいるのだろうか、という不安にも悩まされます。

多くの方は「99円」に設定しており、個人作家の本のクオリティに半信半疑な読者たちも「安いから、ダウンロードして読んでみようか」と気軽に購入されるケースが多いです。

文章量が多く、内容が一定のクオリティをクリアしていると思える場合、「250円」で販売して売れている人も数多くいます。なお、「250円」は「KDPセレクト」で70%ロイヤリティを選択する場合の最低価格のため、定着した価格です。

「99円」で販売すると35%ロイヤリティしか選択できず、「35円」の印税です。「250円」で70%ロイヤリティを適用すると、「175円(通信費考慮に入れず)」の印税がもらえます。

つまり、「99円」を「5冊」販売してようやく175円ですから、割の良さで言えば、「250円」で「1冊」売った方がいいわけです。

管理人の場合、「99円」本の文章量は2万〜3万文字(400字詰め原稿用紙50枚〜75枚)以上。「250円」の本の文章量は5万文字(400字詰め原稿用紙125枚)以上が、妥当ではないかという感触を得ています。文章量が多いほうが読者にとってはお得感があるので、多ければ多いほど歓迎されるでしょう。

 とりあえず九十九円電書を一冊つくることにして、分量は四百字で五十枚から七十五枚、という線を目安に考えを進めたいと思います。

 ところで、乱歩のどの作品を電子書籍化するかというと、これはもう「二銭銅貨」一択で、ちなみに枚数は四十七枚ですからほぼ五十枚だ、と強弁することは可能でしょうけど、困ったことに定価ゼロ円の電子書籍がもう出ているわけです。

 Amazon.co.jp:二銭銅貨 Kindle版

 さっそく、手もとのキンドルにダウンロードしてみました。

 テキストには青空文庫の「二銭銅貨」が使用されており、青空文庫は光文社文庫版全集が、光文社文庫版全集は平凡社版全集が底本です。

 ならば、九十九円電書の「二銭銅貨」はあえて初出テキストを採用することにし、とはいうものの表記は新字新かなにするしかないと思われますから、要するに青空文庫のテキストをほぼそのまま流用できるはずです。

 しかし、ただこれだけでは、とてもゼロ円電書に太刀打ちできません。

 なので、いやはや、おれもとうとうなのでなどという軽薄な順接の接続詞を使用するようになってしまったか、みたいなことはまあいいとして、少なくとも九十九円分のおまけをつける必要があります。

 初出テキストで行くことにしたんだから、ってんで、「二銭銅貨」にあわせて掲載された小酒井不木の「『二銭銅貨』を読む」を収録してもいいわけですし、これまた「青空文庫」で公開されてますから楽なものです。

 青空文庫:「二銭銅貨」を読む(XHTML版)

 底本は創元推理文庫の『江戸川乱歩集』なんですけど、ダウンロードして目を通してみたところ、東京創元社も青空文庫も大丈夫かよ、と思わざるをえないミスがあって、最後の段落に、

 「暗号を中心とした推理小説といえば」

 とあるのはむろん、

 「暗号を中心とした探偵小説といえば」

 とするのが正しく、これは東京創元社のミスでした。

 また、四つ目の段落に、

 「どれもこれも題材ががよく似ておって」

 とあるのは青空文庫の入力ミスですけど、とにかくこの青空文庫のテキストに手を入れて初出テキストに改めればいいわけですから、ほんとに楽な作業です。

 ついでですから、これは中島河太郎先生もよく引用していらっしゃいましたけど、森下雨村が書いた予告や編集後記のたぐいを「新青年」から拾い出しておくという手もありだと思います。

 とはいえ、そんなテキストは青空文庫には転がっておりません。

 なので、いささか面倒なことながら、いちいちキーボードを叩いて入力しなければなりません。

 それでもまだ、九十九円分にはあまりにも遠いか。
Posted by 中 相作 - 2016.06.11,Sat

 なんですかもう、くり返しくり返し乱歩が束になって押し寄せてくる醒めない悪夢のなかにいるようなきのうきょうですが、きょうもきょうとてこんなお知らせが。


 いっぽう、こちらの散歩は無事に終了した模様。




 そういえば、こちらの朗読にも「屋根裏の散歩者」が登場して、やはり好評のうちに幕を閉じたとのことです。


 映画の話題に戻りますと、「FRIDAY」買ってこなきゃ。


 そういえば、これもまだ買ってませんし。


 今年は「孤島の鬼」の当たり年か。


 あーしんど。

 乱歩乱歩であーしんど、みたいなこといってるあいだにもう6月、いつのまにか伊勢志摩サミットも終わってしまいましたけど、鋭意準備中の『乱歩東海随筆』は、もしかしたら伊勢志摩サミットのタイアップ企画として構想したものではなかったかしら、と醒めない悪夢のなかでとても重要なことを思い出そうとして思い出せないときのような気分で思い出している次第ですが、先日も記しましたとおり、東海地方とはなんの関係もなさそうな「日本探偵小説の系譜」にも名古屋ゆかりのエピソードが記されておりますし、東海地方出身の人物まで拾うとなると、大阪圭吉あたりはもちろんのこと池袋の町会長さんまで視野に入ってきます。

 で、そういうものまで含めてざーっと計算してみますと、東海地方ゆかりの乱歩の随筆、四百字詰め原稿用紙で七百枚とか八百枚とか、そのあたりになりそうな雲行きなのでちょっとびっくりしてしまい、また、電子書籍のお勉強がその後ほったらかしになっていることにも内心忸怩たるものをおぼえてしまいます。

 ですから、試みにごく短い乱歩作品の電子書籍を一冊つくり、アマゾンで販売するところまでこぎつけてみようか、と考えるに至った次第なのですが、とりあえず近所のコンビニで「FRIDAY」を買ってくることにしたいと思います。
Posted by 中 相作 - 2016.06.10,Fri

 お暑うございます、という挨拶がふさわしい一日になりましたが、お元気でいらっしゃいますか。

 青空文庫はあいかわらず快調です。


 それから、三重県鳥羽市では例の恋文募集がスタートいたしました。

 下記のサイトで「募集について」をクリックすると、応募規定をごらんいただけます。

 恋する鳥羽の会:Home

 「1文字以上40字以内の、人の心に届く思いのこもる『恋文』をお送りください」とのことですが、「南無阿弥、阿弥陀、陀、南無弥陀仏、南無阿弥」みたいな感じで暗号の恋文を応募すると、佳作の少年探偵団賞くらいはゲットできるのではないかと思います。

 恋文大賞は賞金十万円と副賞が真珠のネックレス、とのことですが、このネックレス、志摩の女王ならぬ鳥羽の女王とネーミングしたら面白かったのに、とも思いますけど。

 とにかく奮ってご応募ください。
Posted by 中 相作 - 2016.06.01,Wed

 もう好きにしてください。


 本日のお知らせは以上です。
Posted by 中 相作 - 2016.05.31,Tue

 あっというまに5月もおしまいですけど、相変わらず追っかけられてるみたいな日々が夢のごとく過ぎ去っているという印象のきのうきょうです。

 とりあえず、青空文庫はこちら。


 あと、札幌ではこんな企画が進行中。


 そうかと思うと、こちらは連載中のコミックがそろそろ本になりますという告知。


 それから、「青春と読書」の6月号には集英社文庫『明智小五郎事件簿』関連のページが。

  青春と読書:Home

 ほんと、乱歩に追いかけられてるようなあわただしい毎日なんですけど、追われているつもりで追っているのか、追っているつもりで追われているのか、いずれにしても、最後に負けるのはこっちさ、という気がしてなりません。
Posted by 中 相作 - 2016.05.28,Sat

 あっちこっちに乱歩の名前が飛び交っていて、いったい何が起きているのか仔細にはわからないような気もいたしますが、没後五十年を過ぎてなお、乱歩がばりばりの現役であることだけはたしかです。

 女子人気も凄かとです。


 公式サイトはこちらです。

 女たちの乱歩:Top

 グラビア映画というのがどういうものなんだか、もうひとつよく理解できませんけど、いっちょ支援してやるか、とおっしゃるかたはお気軽にどうぞ。

 いっぽう、まだ見ぬ本もほれこのとおり。

 Amazon.co.jp:乱歩奇譚 幻 Game of Laplace (KOBUNSHA COMICS) 単行本(ソフトカバー) – 2016/5/18
 Amazon.co.jp:江戸川乱歩全集㈠ 少年探偵団活躍す (インクナブラPD)2016/5/26
 Amazon.co.jp:江戸川乱歩 電子全集6 傑作推理小説集 第2集2016/5/27
 Amazon.co.jp:孤島の鬼(1) (KCx) コミック – 2016/6/7
 Amazon.co.jp:乱歩アナザー -明智小五郎狂詩曲-(1): マガジンエッジ コミック – 2016/6/17
 Amazon.co.jp:明智小五郎事件簿 2 「一寸法師」「何者」 (集英社文庫(日本)) 文庫 – 2016/6/23
 Amazon.co.jp:孤島の鬼 朗読CD付 (海王社文庫) 文庫 – 2016/7/9

 紀伊國屋書店のサイトでは、こんなのも予告されてます。
 
 紀伊國屋書店:双葉文庫 日本推理作家協会賞受賞作家 傑作短編集3隣りの不安、目前の恐怖(仮)(2016/06/16発売)
 紀伊國屋書店:新潮文庫 江戸川乱歩名作選(2016/06/28発売)
 紀伊國屋書店:平凡社ライブラリー 怪談入門 - 乱歩怪異小品集(2016/07/11発売)

 なんか気ィ狂いそうになりますけど、とりあえずお知らせしときますね。
Posted by 中 相作 - 2016.05.23,Mon

 本日のお知らせ。

 名古屋では、こんな舞台があるそうでなも。


 そうかと思うと、こんな豆本が出たそうでなも。


 私もワンセット注文いたしましたが、パブリックドメイン化以降の乱歩狂乱、いっこうに収まる気配がみえないのは困ったことだと思います。

 きょうはこれくらいにしておいてやろうなも。
Posted by 中 相作 - 2016.05.22,Sun

 なんか、こんなのがあるそうです。


 で、こんなのがあったそうです。


 以上、イベント系のお知らせでした。

 いっぽう、本の話題といたしましては、まず、これが出ました。


 これも出ましたけど──


 残念ながら、当地の本屋さんには並んでおりませんでした。

 こんなんばっかりどっせほんまに。

 さて、幼年期の乱歩を喜ばせた絵探しは、昭和24年の夏に「探偵小説三十年」の冒頭として執筆されながら、結局は発表されることなく篋底深く秘められてしまった草稿「私が探偵小説に心酔するに至った経路」だけに記されていたと思い込んでいたのですが、昭和11年から12年にかけて発表され、中絶に終わった自伝「彼」でも回想されておりました。

 彼に絵を描く興味が芽生えたのも同じ病床の中であった。治癒期に入った彼の枕下にはいつも石盤と石筆とがあった。初めのほどは彼自身の形を描くことはできなかったけれど、その頃(五、六歳の頃)母の一番下の弟、つまり彼の若い叔父さんが勉強のために彼の家に同居していたので、その叔父さんが描いてくれる黒い石の上の白い絵に魂を吸いよせられた。トンネルの中から出て来る汽車の絵も好きであったし、鎧武者や軍人の絵も好きであったが、「絵探し」ほど彼を喜ばせたものはなかった。枯木の枝とばかり思っていると、その枝の線が馬の首であったりする線の一人二役、あの「絵探し」というものを、若い叔父さんはいろいろと描いて見せて、彼に隠れた形を探させるのであった。「謎」というものの魅力が初めて彼の心を捉えたのは、この叔父さんの「絵探し」であった。

 たしかにかくのごとく綴られており、いわれてみればなるほど「線の一人二役」、一本の線が二重の意味を帯びていて、枝であったり馬の首であったりするのが絵探しです。

 ひとつの意味しか有していないと思われた一枚の絵は、まったく別のもうひとつの意味を隠し持っていました。

 絵には秘密が秘められていました。

 そういった秘密の発見が乱歩を異様に喜ばせたことは、「私が探偵小説に心酔するに至った経路」にも確認することができます。

 私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。五六才の頃、名古屋の私の家に、母の弟の二十にもならぬ若い小父さんが同居してゐて、その人が毎晩、私の爲に石磐に絵を描いて見せてくれるのだが、小父さんは好んで「絵探し」の絵を描き、私にその謎をとかせたものである。枯枝などが交錯してゐるのを、じつと眺めてゐると、そこに大きな人の顔が隠れてゐたりする。この秘密の発見が、私をギヨツとさせ、同時に狂喜せしめた。その感じは、後年ドイルや、殊にチエスタトンを讀んだ時の驚きと喜びに、どこか似たところがあつた。少年の頃「絵探し」を愛した人は多いであらうが、私は恐らく人一倍それに夢中になつたのだと思ふ。問答による謎々や、組み合せ絵(ジッグソウ)や、迷路の図を鉛筆で辿る遊びや、後年のクロスワードなどよりも、私にはこの「絵探し」が、何気なき風景画の中から、ボーツと浮かび上つて耒る巨人の顔の魅力が、最も恐ろしく、面白かつた。

 乱歩は絵探しをドイルやチェスタトン、つまりは探偵小説に結びつけていますが、私はいまや、そうではないのではないか、という疑問を強く抱くに至りました。

 つまり、

 絵探し → 探偵小説

 ではなくて、

 絵探し → 暗号 → 探偵小説

 というプロセスをたどって、秘密の発見をめぐる驚きと喜びが乱歩を導き、乱歩に探偵小説を見誤らせていったのではなかったか。
Posted by 中 相作 - 2016.05.21,Sat

 まず、この件です。


 ここにいうコンビニとは、セブンイレブンのことでございました。



 自慢ではありませんが、名張市内にはセブンイレブンが一店もありません。

 まいったな、と思い、結局、地元資本の本屋さんに取り寄せてもらうことにいたしました。

 つづきまして、この件。

 2016年5月11日:幻視者の死
 2016年5月12日:チャチャヤング・ショートショート・マガジン 第3号

 この「チャチャヤング・ショートショート・マガジン」、バックナンバーも含めて全部入手したいのだが、とのお問い合わせをいただきましたが、最新号も含めて残部ゼロだそうです。

 ですから、上のエントリにあるリンクをたどって、Adobe Document Cloudで公開されているものをお読みいただくしかありません。

 2012年発行の創刊準備号はこちらです。

 Adobe Document Cloud:チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊準備号.pdf

 ほかのバックナンバーも順次、アップロードされるとのことでございます。

 さて、このところいいお天気がつづいて、さすが新緑の候、思わず、僕は5月に生まれた、とか大うそをつきたくなってしまうきのうきょうですが、青葉して細うなられし若衆かな、とか意味不明のことをつぶやきつつ、東海地方にゆかりある記述を求めて乱歩の随筆を読み進めてゆくと、思いがけないところで少年期の回想にぶつかることがあります。

 たとえば昭和25年、五十六歳の乱歩が「中央公論」に発表した「日本探偵小説の系譜」。

 冒頭にお芝居の話が出てきて、「演劇の方では、主として川上音二郎、高田実などの新派劇によって、探偵物、犯罪ものが実に頻繁に演じられ、涙香の作品も無論しばしば上演された」などとあったあと、子供時代の思い出が語られます。

 新派劇が演じたこの種の探偵ものの内、最も世評の高かったのは、相馬事件に取材して岩崎蕣花しゆんかが書いた「意外」「又意外」「又々意外」であった。中にも「又意外」が好評で、繰返し上演された。私は小学校にも行かぬ幼い時、名古屋で高田実の「又意外」(明治三十三、四年頃)を見たが、舞台前一杯にしやを張った、雪中の捕物の「夢」の場面が非常に印象的で、今でも目に浮かぶようである。
 私は明治二十七年に生れたのだが、芝居の方の探偵物全盛期はちょうど私の生れる前後から三十年代の前半までで、私が物心ついた頃には、やや下火になっていた。しかし、余勢はまだ充分残っていたので、上記の「又意外」のほかにも、新派劇では犯罪ものをたびたび見ている。当時の新派劇はきまったように、終りに法廷の場面があり、全体に秘密性と犯罪味が濃厚で、新派劇は怖いものだという印象を強く受けていた。
 私の探偵小説乃至犯罪小説への興味は、当時さかんであった貸本屋と新派劇によって養われたといっていい。それは何か我々の日常とは違った、秘密に満ちた薄気味の悪い世界で、しかし人間というものは、心の底にそういう薄気味の悪いものを持っているのだ、そこにうわべの生活とは違った真実があるのだ、というような興味であった。この興味は結局ギリシア悲劇やシェークスピアの犯罪劇に当時の観衆が抱いた興味と、根本的に違ったものではないようである。

 こうした回想に接すると、秘密は乱歩にとってオブセッションみたいなものだったらしいな、ということにあらためて気づかされます。

 ほんの子供のころから乱歩は、日常とは異なる「秘密に満ちた薄気味の悪い世界」の存在を信じていて、というより、信じようとしていて、「人間というものは、心の底にそういう薄気味の悪いものを持っているのだ」と確信していた。

 だから後年、探偵小説を定義するにあたっても、謎ではなく秘密という言葉をつかってしまって、なんか変てこな定義だな、と思われてしまう。

 もっとも、変てこだな、と思ってるのはどうやら私ひとりだけらしくって、私以外の人はみな謎でも秘密でもどっちだっていいじゃん、とお考えのようなんですけど、そんなことはないのではないか。

 とかいいだすといわゆる水かけ論になってしまいますので、まあほかの人のことはほっときますけど、この新派劇について記されたところなど、じつはそのまま「二銭銅貨」につながるように思われます。

 すなわち、「二銭銅貨」で最後に明らかにされるのは、人間が心の底に秘めている「薄気味の悪いもの」にほかなりません。

 私という一人称の語り手は、共同生活を送る友人の松村を騙している、という事実を秘密にしていましたし、友人を欺くことでみずからの優越を示したいという欲望もまた、語り手によって最後まで隠されていました。

 親しいはずの友人に平気で「やり過ぎたいたずら」を仕掛け、友人をこっそり観察し最後に真実を暴露することで自身の欲望を満足させるような「薄気味の悪い」内面とか心理とか呼ばれるものを、語り手はたしかに秘め持っていました。

 「二銭銅貨」の終幕で明かされたのは、日常という不透明な膜に覆われていた「秘密に満ちた薄気味の悪い世界」であったといっていいでしょう。

 そうした秘密への好奇は早くも少年期から、乱歩の心に若葉のように濃い影を落としていました。

 秘密というものがたしかにが存在していることや、秘密を発見することが異様なほどの驚きと喜びをもたらしてくれるということを乱歩に教えたのは、まず幼年期の絵探しであり、読み書きをおぼえたあとは暗号であり、さらには谷崎潤一郎が大正10年、「二銭銅貨」より二年ほど早く発表した短篇「私」だったのではないかと思われます。

 要するに乱歩にとって、謎や論理なんてのはじつはほんとはどうでもいいようなことであって、何よりも大事でかけがえがなかったのは秘密と官能なのであった、みたいなことだったと思うんですけど、私以外の人はどうなんでしょうか。
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