Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2017.04.16,Sun
身辺整理がまだ終わりません。
とにかくもういろんなものを処分していて、何年か前に話題になった断捨離とはこのことかと得心している次第です。身辺整理は終わらなくても、こっちのほうは終わらせておきたいと思います。
▼2017年3月28日:検閲と名張 前篇
▼2017年4月09日:検閲と名張 中篇
水沢不二夫さんの「検閲官生悦住求馬小伝」から、「一 生悦住の出自」のつづきを最後まで引用。
父親は桑名警察署(内勤)や久居市の農林学校、鈴鹿市の神戸中学(現、高等学校)の事務長などを務めており、その関係からか生悦住の出生は久居市であったらしい。生悦住と夏見の生悦住本家との関係の詳細は不明だが、父親は伊賀に葬られている。母方の祖父は桑名市新地に住み、多度神社の神職であった。
生悦住は三重県第一中学校(現、津高等学校)を月謝免除の特待生で卒業し、校長推薦で第八高等学校文科甲類に進み、二年時から特待生となった。同級には穂積秀次郎がいた。
一九二一年(大正一〇)、東京帝国大学法学部英法科に入学し、穗積秀次郎と再会する。秀次郎は憲法学者穂積八束 の次男で、八束は兄の民法学者陳重 とともに法曹界の重鎮である。両者ともに東京帝国大学法科大学長を務め、司法試験や高等文官試験も采配し、内務省の人事も蔭で掌握していた。生悦住はその八束の家に下宿人として転がり込む。この瞬間に生脱住の官僚としての将来が約束されたと言ってもよいだろう。
もちろん生悦住は私的コネクションだけで官僚になっていくのではない。三年時在学中に高等文官試験に合格するという快挙もなしている。入省後に受ける者も珍しくなかったから、官僚のなかでもまさにエリートである。やがて生悦住は三重県内務部長岸本康通のツテを辿り、内務省人事課長佐上信一に幾度も面会し、採用試験に至る。佐上は岡山、長崎県知事を経て地方局長となり、そのあいだ生悦住の人事ばかりか結婚まで面倒を見ることになる。
生悦住の学業は一九二三年(大正一二)の関東大震災後の混乱で卒業式もなく終わった。政府は一一月には「国民精神作興に関する詔書」を発し、時代は大正デモクラシーから政府主導の〈思想善導〉に移行していく。「教育勅語」や「戊申詔書」に続き、詔勅という憲法、法律を超越した審級による国民国家の道徳、精神、教養の質の枠組みが補強、新造されたのである。この証書は第一次大戦後の風俗の弛緩、動揺の矯正を目的とするものであった。生悦住はこうした政府による言論統制、思想統制、そして思想誘導の流れに身を投じていく。
生悦住の警保局図書課での仕事は四期に分けられる。①初任時の見習いの「属 」、②調査担当事務官、③検閲・企画担当事務官、そして④課長の時期である。
たしかに名張市夏見は生悦住一族の本貫で、住所でポン! してみたら生悦住さんは五軒ありました。
ただしこの生悦住求馬、水沢さんが「出生は久居市であったらしい」とお書きのとおり、名張生まれではありません。
ウィキペディアは「久居市に生まれる」と断定しています。
▼ウィキペディア:生悦住求馬
ちなみに久居市は平成18・2006年、市町村合併で姿を消し、現在は津市になっております。
どうもこの生悦住求馬みたいなエリート、名張なんてとこには生まれそうもありませんが、とにかく現在の名張市に生まれた探偵作家の作品を、現在の名張市に本家があった内務官僚が取り締まり、文庫本一冊を発禁処分に追い込んだのですから、なんとも奇しき因縁だという気がいたします。
もっとも、生悦住はたぶん乱歩が名張生まれだということは露ほども知らず、そもそも探偵小説なんて低俗なものだと頭から軽蔑していたのではないかと想像されます。
全篇はこちらでどうぞ。
▼森話社:日本文学[近代]|検閲と発禁 近代日本の言論統制
かなりお高い本ですから、図書館をご利用いただくという手もあります。
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Posted by 中 相作 - 2017.04.13,Thu
Posted by 中 相作 - 2017.04.12,Wed
Posted by 中 相作 - 2017.04.11,Tue
遠方では時計が遅れるそうですが、納屋ではWi-Fiがつながりにくくなります。
納屋のなかでノートパソコンを開き、ブラウザであちこち閲覧していると、突然、インターネットに接続されていません、みたいなことになってしまうわけです。頻繁ではありませんが、ときどきなります。
いや、よくなります、というべきか。
かくてはならじ、と打開策を調べてみると、無線LAN中継機なるものがあることが判明しました。
無線LANの電波が届きにくい場所に設置し、文字どおり電波を中継する装置です。
ネット上の情報では、ごく簡単に設置できるらしい。
電気屋さんに走るのも面倒なのでアマゾンを利用して、というようなことが家電といわず本といわず、最近ほんとに増えてきて軽い罪悪感さえおぼえてしまう始末ですが、ともあれ最安値とおぼしい中継機を発注いたしました。
さて、届いた中継機をいくら説明書どおりに設定しようとしても、できない。
どうしてもできない。
設定には自動と手動の二種類があって、自動がだめなら手動でやってくれ、と説明書にあります。
やってみました。
それでもできない。
どうしてもできない。
世間のごくふつうの人間にこともなくできるであろうはずの作業が、私にはできない。
相当なばかなのか、と自問自答しながら次の日を迎える。
とはいっても、ときどきあるいはよくつながらなくなるだけで、決定的な支障はありませんから、中継機なしでWebブラウジングをつづける。
つながらなくなると、Wi-Fiのオフオンをくり返したりなんやかんや、小細工を弄してその場しのぎを重ねる。
しかし、ストレスが蓄積されて、ついに爆発する。
ふたたび接続を試みる。
憤怒の形相で涙目になりながら試みる。
できない。
どうしてもできない。
ばかなのであろうな、と自分に問いかける。
書いてるうちにわれとわが身がつくづく情けなくなってきましたので、またあらためて。
Posted by 中 相作 - 2017.04.09,Sun
なんかもう、納屋と書斎の整理に端を発して、いまや生きてるうちに遺品の整理をしてるみたいな感じになってきました。
きょうもきょうとてあっちこっち処分しまくりの日曜ですが、こんなことやってるあいだにぽっくり逝ってしまうのではないかという気もいたします。続篇です。
後篇の前に中篇を入れることにしました。
▼2017年3月28日:検閲と名張 前篇
JPG画像でご紹介した「日本近代文学」第八十三集の203ページに、こんなくだりがありました。
カードは回議(稟議)用紙を兼ね、さらに主査、事務官、図書課長に回されている。主査は「次版削除意見」と記し、事務官の高橋貢(?~一九九三)は了承の認印を押している。しかし図書課長生悦住求馬 書記官(一九〇〇~一九九三)は理由を示さずに単に「本版削除」と記している。配下の事務官による処分の専決化が進むなかで、異例の決断であったことが窺える。
事務官レベルでは比較的軽い「次版削除」、つまり昭和13年7月15日に出版された春陽堂文庫の『鏡地獄』が増刷されたらそのときは「芋虫」を全篇削除しなくちゃいけませんよと警告するという処分だったのですが、図書課長だった生悦住求馬の鶴の一声で「本版削除」、すなわち出版からすでに半年が経過していた昭和14年3月30日に決裁が下りて『鏡地獄』は差し押さえということになりました。
水沢不二夫さんによれば『鏡地獄』は五千部発行され、全国の差し押さえ数はわずかに三十一部だったといいます。
生悦住がなぜこうした強硬な処断に出たのかは不明ですが、「芋虫」の削除が生悦住の決断によることは間違いありません。
ついでですから204ページ。
「処分が彼の決断である事実は動かない」に附された後註がこれです。
(11)なお一九三五年九月にドレスデンで始ったナチによるプレ・頽廃芸術展を見ている可能性があるこの内務官僚については別稿を予定している。
「別稿」とあるのは、平成25・2013年3月発行の「湘南文学」四十七号に発表された「検閲官生悦住求馬小伝」。
『検閲と発禁 近代日本の言論統制』では、「佐藤春夫『律義者』、江戸川乱歩『芋虫』の検閲」につづいて収録されています。
一読した私はたいそうびっくりいたしました。
ここまでびっくりしたのは、「御冗談」は旧仮名遣いでも「ごじゃうだん」ではなくて「ごじょうだん」だと知ったとき以来のことではないかと思われます。
とりあえず、「検閲官生悦住求馬小伝」の冒頭をお読みいただきましょう。
生悦住求馬(いけずみ・もとめ、一八九〇─一九九三)は戦前・戦中に延べ約一〇年にわたり内務省の検閲の現場にいた官僚である。本稿では稀少な自伝『思ひ出之記』[1]や官庁資料等により、検閲官[2]としての伝記を試みる。帝国の検閲がどのような人物、磁場において行われたのかを明らかにしてみたい。
一 生悦住の出自
生悦住一族の名は一六世紀末の天正伊賀の乱を描いた『伊乱記』に伊賀地侍衆として登場する[3]。一族の本貫地は生悦住保跡[44]がある伊賀の夏見(現、三重県名張市)と思われる。江戸時代を土豪、下士として半農の身分で過したようだが、幕末には寺子屋も創設している。近くでは旧藩主藤堂家家臣の家に江戸川乱歩が生まれていた。
[1]奥付はないが、「はしがき」末に「昭和六十二年五月」とある。確認できる所蔵は京都大学、放送大学、横浜市立図書館のみ。国会図書館への納本もない。
[2]本稿では官制上の「検閲官」ではなく、広義の「検閲官」の意で用いる。
[3]著者未詳、百地織之助増訂『伊乱記』巻七、摘翠書院、一八九七年(明治三〇)、二頁。
[4]文化庁全国遺跡地図番号一〇ノ二七六。
あーびっくりした。
後篇につづきます。
Posted by 中 相作 - 2017.04.08,Sat
Posted by 中 相作 - 2017.04.03,Mon
4月とは思えない寒さがつづいて、当地の桜はまだ蕾です。
さて、昨年12月に発売が開始された藍峯舎の『奇譚』、おかげさまで版元完売となりました。▼藍峯舎:Home
ネット古書店にはわずかに残部があるようです。
猟奇耽異の文藝専門出版社『藍峯舎』第6弾。
— 古書きとら Old&Rare Books (@kosho_kitora) 2017年4月2日
江戸川亂步『奇譚』版元完売致しました。https://t.co/8mp0iw0kOX
当店には、極僅少在庫ございます。
お早めにどうぞ。https://t.co/0fz8I2v43V pic.twitter.com/WGiTXr8V5Z
つづきまして、1月6日を最後に長いインターバルがつづいていた小学館の電子全集は、3月31日にようやく最新刊が配信されました。
▼小学館eBooks:江戸川乱歩電子全集
書斎と納屋は4月になってもまだ片づいておりません。
Posted by 中 相作 - 2017.03.28,Tue
「珍らしい話とおっしゃるのですか、それではこんな話はどうでしょう」
みたいな感じで、長谷川泰久さんのリクエストにちょっとだけお応えし、乱歩にゆかりある名張の話を綴ることにいたします。というのも、資料整理がいよいよ泥沼化し、書斎も納屋もあっちこっちひっくり返ってしまったからです。
よしなしごとを書き散らして気分転換することにいたしました。
昨年12月、水沢不二夫さんのこんな本が出ました。
▼2017年3月20日:検閲と発禁 近代日本の言論統制
収録の「佐藤春夫『律義者』、江戸川乱歩『芋虫』の検閲」、初出はこちらです。
▼2015年3月30日:佐藤春夫「律義者」、江戸川乱歩「芋虫」の検閲
初出誌の全容はPDFファイルで公開されています。
下のリンク先で「第83集 (2010年 平成22年 11月15日発行)」の「ダウンロード」をクリックすると、第八十三集の全ページを読むことができます。
▼日本近代文学会 公式ウェブサイト:「日本近代文学」総目次 > 第83集
しかし、なにしろ一冊まるごとダウンロードするわけですから、いささか時間がかかります。
ですから、とにかくせっかちだとおっしゃるかたのために、当該論文のうち二ページだけ、PDFをJPGに変換して無断転載いたします。
初出には図版が添えられておりませんが、『検閲と発禁 近代日本の言論統制』には「米国議会図書館のA6版サイズで表面右下に『内地新聞紙出版物検閲カード』と印刷された一枚のカード」の写真が収録されています。
こんな写真です。
なんと当局のカードが保存されていて、「芋虫」のどこがその忌諱に触れたのかがわかるというのですから、これは貴重な発見でしょう。
「芋虫」が初出から十年後に削除処分を受けた時代的背景など、興味深い指摘がなされていますからぜひ全文をお読みください。
余談ながら、水沢さんによれば「当時の発禁統計でも『共産主義紹介宣伝並革命宣伝』が処分理由の過半を占め、『徴兵制度呪詛』『戦争反対宣伝』によるものは少ない」とのことですから、横溝正史の「鬼火」が初出でやられたのも共産主義ならびに革命がらみの理由だったものと思われます。
名張の話は後篇でお届けいたします。
Posted by 中 相作 - 2017.03.26,Sun
こんにちは。
籠池世代です。長谷川泰久さんから「三重県の乱歩に因んだ上野市・亀山市・津市・鳥羽市と乱歩を関連づけた本を出版してほしい」とのご依頼をいただきましたが、鳥羽は乱歩にとってたしかに重要な土地ですけど、名張なんてのは屁でもねーやみたいな感じですし、とにかくろくなネタがないということになるのではないでしょうか。
私なんぞが新たに本を書くよりも、三重県や愛知県、岐阜県、静岡県にかかわりのある乱歩の随筆を集成した『乱歩東海随筆』のほうがはるかに面白いはずなんですけど、これも編集作業が中断しております。
「二銭銅貨」を電子書籍にする企画も徐々に進んではいたのですが、納屋の完成にともなう資料整理でみんな吹っ飛んでしまっております。
ぼちぼち行かなしゃあないな、といったところでしょうか。
ほな。
Posted by 中 相作 - 2017.03.25,Sat
お誕生日おめでとうのメールを頂戴いたしましたので、著作権者のかたのご承諾をいただいたうえで、以下に全文をご紹介申しあげます。
中相作様。
お誕生日おめでとうございます。
中さんが『乱歩文献データブック』を作ってから、もう20年になるのですね。
中さんが44歳で、この本を作ったということに、改めて驚異を実感しています!
ということは、私が中さんと名張で始めてお会いして、ちょうど20年。
月日が経つのは、早いですね。
Time flies!
乱歩に関して、中さんが次に何をなさっていただけるのか、期待しています!
個人的には、乱歩の生誕地に生まれた中さんにしか書けない名張もしくは三重県の乱歩に因んだ上野市・亀山市・津市・鳥羽市と乱歩を関連づけた本を出版してほしいと思っています。
長谷川泰久
どうもありがとうございます。
そういえば、名張市立図書館の『乱歩文献データブック』は平成9・1997年3月発行でしたから、以来ちょうど二十年が経過したことになります。
まさしく光陰矢のごとし。
二十年前の年明けはお正月返上で『乱歩文献データブック』の校正に追われていて、例年であれば1月3日には神戸の知人のマンションにのたくり込んで大宴会に打ち興じ、そこらのカプセルホテルで沈没、翌日ぼーっとしながら阪急、JR、近鉄を乗り継いで帰宅したものでしたが、それをお休みしてゲラとにらめっこしていたことを思い出しました。
以来二十年。
神戸の知人は私より一歳年下でしたが、すでにこの世の人ではありません。
ほんと、もういつぽっくり逝ってもおかしくない齢になってしまいましたがな。
発行から二十年の日月を閲して、本来であれば『乱歩文献データブック』も名張市立図書館の手で増補改訂版が世に送られていなければならぬところなのですが、なんのなんの。
名張市はまったく全然だめだからなあ。
というか、二十年分の乱歩文献をいまから整理して増補するなんて、かつて乱歩のカリスマと呼ばれた私にだってとても無理です。
なんとかならんものかなあ。
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