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平成24・2012年4月24日 毎日新聞社
火論:乱歩の新しさ=玉木研二
玉木研二
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毎日新聞 2012年04月24日 東京朝刊
<ka-ron>
探偵小説を切り開いた江戸川乱歩(1894~1965年)は、大正と昭和の戦前に多くの傑作を残す。古びない。現代の恐れや不安に触れてくるものがあるからだろう。
女性につきまとった東京メトロの駅員(解雇)が、女性のICカード乗車券の履歴を調べ、インターネットの掲示板に書き込んだ。先週ニュースになったが、他人の行動をひそかにのぞく行為は乱歩の「屋根裏の散歩者」(25年)を想起させるものがある。
小説の主人公はストーカーではない。ただ「何をやってみても、いっこうこの世がおもしろくない」青年である。ふとしたことから下宿の天井裏をはい回り、他の部屋の住人の、表では見せぬ日常を天井の隙間(すきま)からのぞくことにひそかな喜びを見いだす。
抑制が利かなくなって破局に至るのだが、この短編の不気味さは主人公がのめり込んでいく前段にある。
やはりのめり込んだくだんの駅員は、天井裏ではなく、電子情報で相手の日常行動をのぞいたわけだ。
あらゆる種類の膨大な個人情報が流通し、本人が知らぬ間に、あるいは知らぬ所で蓄積されている今である。「屋根裏の散歩者」のような度を越した好奇心や悪意に、どれほどの備えがあるか。相次ぐ漏えい事件のニュースはその心もとなさを語る。
情報通信ツールの急発達は、乱歩の「押絵(おしえ)と旅する男」(29年)も連想させる。
見せ物ののぞき絵に描かれた娘の姿に夢中になり、ついにその絵の中に溶け込んでしまった男。弟がその絵を持って旅をし、絵の中の兄に風景を見せるという幻想短編だが、便利な機器にあらゆる情報が集約できる今、そのイメージが重ならないか。
ちなみに、乱歩自身、今の状況を見通していたわけではない。ただ54年1月の毎日新聞に「私の空想的出版計画」という一文を寄せている。紙から効率的で面積をとらないマイクロフィルムで読む時代に移る、と言うのである。
いわく<寝そべっていても立っていても食事をしながらでも読めるような書見器が発明され……>。さらにテレビ、ラジオも数日間にさかのぼってスイッチ一つで聴けるようなメカニズムが発明されることも、思い描いた。
その後の時代とも今のネット社会とも、その想像風景は異なるが、どの家庭にも「書見器」なるものが普及するという予言は面白い。
私たちは瞬時に変幻自在の情報が交差する「書見器」を手にしたようだ。ただ、乱歩がその一文に言う<数えきれぬ利益がある>実感にはまだ届かない。(専門編集委員)
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