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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2017.06.10,Sat

 すっかり暑くなりました。

 頭のなかはすっかり煮詰まってます。

 「貼雑乱歩」もやっぱもうひとつだなあ。

 てゆーか、何を書きゃいいんだか、いまだに見当がつきません。

 平井もく右衛門えもん陳就のぶよりは文化七年(一八一〇)、伊勢いせのくにに生まれた。津藩藤堂とうどう家で重職にあった藩士の嫡男である。アメリカからペリー提督を乗せた黒船が浦賀に来航するのは四十年ほどあとのことになるが、波濤を越えて姿を現したロシアやイギリスなどの艦船は幕府と諸藩にすでに脅威を与えていた。伊勢湾に開かれて波静かな津の港も例外ではなく、津藩は弘化二年(一八四五)に大砲の鋳造を始めて異国船打ち払いに備えたと記録が残る。陳就は天保五年(一八三四)、跡目を相続して平井家七代当主となり、禄千石の上級藩士として津城に出仕する。藤堂家は伊勢伊賀両国を領する三十二万三千石の外様大名で、江戸期を一貫して津藩の藩主を務めた。陳就は十一代藩主高猷たかゆきに仕え、十代藩主だった高兌たかさわの弟、つまり現藩主の叔父にあたる高允たかのりの娘を娶った。いかにもややこしい話だが、とにかくお姫様を妻にした。生年も輿入れの年も不明なこの妻はしかし文久三年(一八六三)、陳就五十四歳の年に死去している。法号は静姝院、読みは、せいしいん、じょうしいん、せいしゅいん、じょうしゅいん、いずれとも知れぬが姝には美しいという意味がある。

 とにかく近世と西欧を出しとかなきゃ、ってんで書いてみた書き出しなんですけど、なぜか平井陳就一代記になってしまいました。
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