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Posted by 中 相作 - 2011.05.13,Fri

ウェブニュース

 

毎日jp

 平成23・2011年5月11日 毎日新聞社

 

ちばみなと研究所:房総半島を探求する 千葉街道の聖地「八幡の藪知らず」 /千葉

 国井朋子、山縣章子、前田浩智

 Home > 地域ニュース > 千葉 > 記事

 

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ちばみなと研究所:房総半島を探求する 千葉街道の聖地「八幡の藪知らず」 /千葉

 

 ◇小さな森に数々の伝説

 

 景気低迷の長期化のなかで大震災、原発事故が続き、不透明感を増すご時世だが、古くから人や車が行き交ってきた千葉街道(国道14号)沿いの市川市中心部に、小さなほこらと鳥居、うっそうと竹や樹木が茂る一角がある。周辺は石の柵で囲まれ、地元の人からは「八幡の藪知らず」(同市八幡2)と呼ばれてきた。広辞苑にも登場しており「迷うことの例え」などと説明されている。実際の森は、富士山の樹海のように、とても迷うほど広いように見えないのだが、そう言われると、いわく言いがたいオーラを発しているようにも思えてくるのが不思議。「八幡の藪知らず」とはどういう存在なのか、その藪の中にしばし分け入ってみよう。【研究員・国井朋子、山縣章子】

 

 ◇広辞苑もお墨付き

 

 地図上で計測すると藪知らずは幅三十数メートル、奥行き20メートル程度で、600平方メートル(180坪)程度の敷地を間近で見上げると、10メートルはあろうかという孟宗竹の先端が、生き物の手足のように頭上にしなだれかかってくるよう。枝は吹く風に揺られざわめき、密集して生える幹の先が当たりコツコツと音をたてるのが聞こえる。周辺は住宅や商店が建ち並ぶにぎやかな市街地なのだが、藪の間に流れる空気だけは、かすかに異界の気配を漂わせる。

 

 「藪知らずって何なんですか?」。とりあえず、事情を知っていそうな近所の人に聞いてみた。80歳代の男性は「かつては(将軍家の直轄地だった近隣の)行徳の土地で立ち入り禁止だったと聞いた。昔は、春になるとタケノコを勝手に取った人がいたなんてうわさがあった。面積はだいぶ小さくなった気がする」と振り返る。70歳代の女性も「昔はなんとも言えない怖さがあったけれど、今では何でもなくなっちゃったわね」と笑う。ありがたみも薄れたかと思いきや、30代の女性は「いろいろな伝説があるとは聞かされています。確かにいわくありげな雰囲気ですよね」と声を落とす。

 

 その通り。広辞苑までがそのミステリアスさにお墨付きを与えているのだ。いわく「八幡不知森(しらずのもり)ともいい、ここに入れば再び出ることができないとか、祟(たた)りがあるとかいわれる。転じて、出口のわからないこと、迷うことなどのたとえ。やわたしらず」。

 

 ◇「黄門さま」も登場

 

 江戸時代から藪知らずは、大都市・江戸に近い行楽地であった市川の名所のひとつとしても記されている。当時の地誌や紀行文には「禁足地」(立ち入り禁止エリア)として描かれる。

 

 たとえば、江戸中期の寛延年間に記された地誌「葛飾記」はその理由として、「是は平親王将軍(平将門)、平の貞盛の矢にあたり(略)六人の近習(きんじゅう)、此所迄慕(した)ひ来り、土の人形と顕(あらわ)れ(略)依って、此中の土を踏む者は、その祟りにて死して出でざると也。其所、昔より里諺(りげん)に云ひ伝へたり」と記す。藪は、天下統一の志半ばで倒れた将門伝説の一端を担っているのだ。

 

 市立市川歴史博物館によると、藪知らずの北東約4キロの台地には、将門が築いた出城・大野城跡だとの言い伝えがある場所がある。城跡周辺では、将門を裏切ることになる桔梗姫にちなんでキキョウは植えず、将門征伐を祈願した成田山は参拝しない、などの風習が伝わっていたという。

 

 「黄門さま」で有名な水戸藩の徳川光圀も藪の謎に挑戦したとされる。黄門さま自身が、藪に分け入り、神の怒りに触れたという伝説が、後に錦絵で広まるなど、藪知らずにまつわる伝承は尽きない。「諸国に聞えて名高き杜也。魔所也といふ」とも紹介する江戸後期の文化年間にまとめられた「葛飾誌略」では、日本武尊(やまとたけるのみこと)が陣を開いた跡である、などと説明する。

 

 諸説入り乱れる中で、大正時代に記された「県東葛飾郡誌」の筆者はやや野心的で、諸説を網羅しまとめあげた。禁足地の由来として挙げた諸説は、前述の行徳村の共有地説や、将門や黄門さまに関する由来のほか、近くの葛飾八幡宮の神仏の分霊を移してまつった旧地説や、貴族などをまつった古墳説のほか、くぼ地で人が落ちると脱出できない底なし池説まで挙げる。

 

 確かに、藪知らずが、殺生を避け、生き物を逃がす「放生池」の跡地であったとする指摘がある。古くから鳥や魚を野や海に放つことで殺生を戒める「放生会(ほうじょうえ)」と呼ばれる行事が葛飾八幡宮でも行われており、市川市教委が藪近くに設置した看板には「藪知らずの中央がへこんでいることからすると(略)放生池の跡であるという可能性が十分に考えられる」と記してある。

 

 ◇漱石の心も捉えた

 

 ミステリアスな藪知らずの存在は、夏目漱石や江戸川乱歩の心も捉えた。漱石は虚栄を貫くために全てを犠牲にして自滅した女性の悲劇を描いた「虞美人草」で、若者の宗近が、自分の縁談について父と話す際、相手側があれこれ理由をつけて話の要領を得ない様子を「まるで八幡の藪不知へ這入ったようだものだ」と語る。江戸川乱歩は恋人を殺された主人公が事件の真相を探るべく島に向かう「孤島の鬼」で「八幡の藪知らず」という章を立て、鍾乳洞に続く深い洞窟や横穴の様子を「八幡の藪知らずみたいになっているかもしれない」と表現した。

 

 最近ではミステリ作家の大御所・内田康夫さんの推理小説「中央構造帯」に登場。おなじみの名探偵・浅見光彦が難問を解決するシリーズで、銀行内の不良債権処理問題と平将門伝説がテーマとなる作品。作中、エリート銀行員の他殺体が「八幡の藪知らず」で見つかる。なぜここが遺棄現場に選ばれたのかという疑問は、ミステリーの謎を解くカギの一つになる。

 

 伝承の多様さには、ただただ研究員も驚くばかりで、諸説に想像をかき立てるものがあるのは確かだが、狭い街の一角の小さな森が、平成の世となった今も人々の心をひきつけ続ける理由はなぜか。

 

 「伝説は時代時代で移り変わるものなんですよ」と、市川市文学プラザ司書の根岸英之さんは話す。「藪知らずは聖地として存在しており、入ってはいけないという理由は後からついてきたのでは」と根岸さんは解説する。

 

 確かにそう言われると、前出の「県東葛飾郡誌」もさんざん諸説あげた末、「千古の不可思議を秘めて幾世に伝はらん」と記していることに気付いた。

 

 いつの世も、独特の雰囲気を持つ土地には物語を生み出す力があるのだろう。迷いさまよい、出口がわからないことこそが、長い歴史の中で語り継がれるエネルギーとなる。藪知らずは、これからもさまざまな物語を生み出し続けるのだろう。

 

 ◇参考資料

 

 ▽「市川の文学」市川市教委▽「いちかわ時の記憶」同▽「藪しらずの怪」市川市博物館友の会講演レジュメ

 

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 ◇研究所長の感想

 

 2カ月ぶりの研究再開。テーマが「藪知らず」だけに、迷ったままで終わった感が否めない。でも、所長失格だが、今回はこれでよかったとも思っている。大震災で自然の圧倒的なパワーと脅威を見せつけられたばかり。謎が残っている方が、自然に対する敬意を忘れない気がする。【前田浩智】

 

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 ◇設立趣旨

 

 毎日新聞千葉支局に設立された仮想シンクタンク「ちばみなと研究所」は、県内の毎日記者が研究員を兼ね、房総半島の謎や不思議に迫ります。想像力が時にとっぴな結論を導くとしてもどうかご容赦を。テーマ提案や情報提供も歓迎します。あて先は〒260-0026千葉市中央区千葉港7の3毎日新聞千葉支局内「ちばみなと研究所」。電子メールはchiba@mainichi.co.jp

 

毎日新聞 2011年5月11日 地方版

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