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Posted by 中 相作 - 2015.12.12,Sat
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毎日新聞
 平成27・2015月12月10日 毎日新聞社

発信箱|大谷崎と大乱歩=二木一夫
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発信箱
大谷崎と大乱歩=二木一夫

毎日新聞 2015年12月10日 09時00分

 文豪・谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)が亡くなった1965年7月、作家の三島由紀夫(みしまゆきお)が毎日新聞に追悼文を寄せている。「少年の最初の読書の選択は、少なくとも文学書の選択は、決して偶然というようなものではない。自分の未来を自分の手で、ワシづかみにしてしまうのだ。それがオスカー・ワイルドと谷崎潤一郎だった」

 こちらは偶然の巡り合いのようだが、職を転々としていた20代の江戸川乱歩(えどがわらんぽ)が放浪中、ふと手にしたのが谷崎の怪奇小説「金色の死」(14年)だった。大正期の谷崎は探偵小説を多く発表し「探偵小説の中興の祖」とも呼ばれる。乱歩は谷崎の作品に感動して作家を志し、明智小五郎(あけちこごろう)らを世に送り出して「日本推理小説の父」となる。

 大谷崎、大乱歩と称される2人の作家は今年、そろって没後50年を迎えた。乱歩は谷崎の2日前に亡くなり、松本清張(まつもとせいちょう)は評伝で「現在の四十代、五十代の人たちで少年時、乱歩の作品を読んでいないものは珍しいであろう」と書いている。

 アニメ映画監督の宮崎駿(みやざきはやお)さんは中学生の時、乱歩の「幽霊塔」(37年)というミステリー小説を貸本屋で見つけて読みふけった。青年と絶世の美女とのロマンスにあこがれ、舞台となった時計塔の構造に夢中になったという。

 それらをモチーフにしたのが、初の劇場アニメ「ルパン三世 カリオストロの城」(79年)だ。この夏、幽霊塔は岩波書店から装い新たに出版され、宮崎さんが描いた口絵が巻頭を飾っている。

 谷崎が乱歩の創作力を開花させ、乱歩のまいた種は宮崎さんがアニメ文化に結実させた。人生を決めるような1冊との出会いはスマートフォンの時代になってもあるはずだ。
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