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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2015.03.01,Sun

 ほんとに漫才みたいだな、と思わずにはいられませんけど、伊賀市ではこんな騒動が。

 伊賀タウン情報YOU:伊賀市新庁舎の開発許可申請「認めないで」 市民団体ら県に上申書(2015年2月27日)

 伊賀市の庁舎が移転する、つまり、現在地とはちがう場所に新しい庁舎が建設される、というのはすでに決定していることで、先日もちょこっとお知らせしましたけど、用済みになった旧庁舎を利用して公立図書館TSUTAYA化作戦を進めよう、というばかなことを考えているのが行政サイド。

 そうした動きに反対しているのが、このウェブニュースにある「伊賀市役所庁舎整備を考える市民の会」で、この会が地元商店会と協力して、庁舎の移転を阻止すべく三重県の知事さんに働きかけた、とのことなんですけど、こんな面白いネタ、漫才にしなくてどうするよ、と思われてなりません。

 なんとも悩ましい話です。

 さて、地元の本屋さんに取り寄せを依頼し、入荷しました、と連絡があったもののまだ手にしてはいないニューアル版春陽文庫、気になっていた底本が判明しました。


 全十三巻の内容はこちらです。

 春陽堂書店:今月の新刊

 つづきまして、「奇譚から探偵趣味へ」のつづきです。

 『奇譚』の影を色濃く曳いた乱歩の探偵趣味は、謎という核を欠落させたまま、この国の探偵小説を牽引していった、みたいな話のつづきとなりますが、つづきに入る前に、「秘密小説」として構想されていた「二銭銅貨」についてさらに少々。

 『近代文学草稿・原稿研究事典』に収録された浜田雄介さんの「江戸川乱歩」から、再度引きます。

 「新青年」誌上の「二銭銅貨」の主眼は語り手と松村との知的な戦いであり、紳士盗賊の事件はその背景ないし素材という印象が強いが、右の草稿および荒筋に松村は登場しない。荒筋から推測されるのは、紳士盗賊の事件で奪われた大金の隠し場所を、二銭銅貨に隠された暗号をもとにある夫婦が解明する物語である。また草稿は、妻である語り手の思い出話で、夫が二銭銅貨に着目して研究を始め、按摩を呼ぶところまでが記されている。紳士盗賊の事件までは筆が進んでいないが、夫婦がかつて大金を手に入れたことは記されているので、現行テキストの結末に見られるようなどんでん返しは構想に含まれていなかったと思われる。

 つまり、大正9年の時点では、「二銭銅貨」の暗号はひとつの解しかもっていなかった、ということになります。

 按摩を呼んだ、というのですから、六字名号と点字を組み合わせるアイデアは生まれていたはずですが、暗号に二重の解を与えること、すなわち「現行テキストの結末に見られるようなどんでん返し」は、乱歩の頭にはまだ浮かんでいなかったと考えられます。

 この点にかんして浜田さんは、「独身男性二人の知的遊戯、二重の謎解き、語り手たる『私』の特異性といった『二銭銅貨』の記念碑的特性が、いずれもこの段階では記述されていないこと、言い換えれば大正9年から11年の間の二年間にその驚くべき飛躍が達成されたことの確認は、作品あるいはジャンルの成立を考える上で無視できない重要性を持つだろう」と指摘していらっしゃいます。

 要するに、構想の段階では、六字名号はじつは点字である、という秘密だけが隠されていたのですが、完成した「二銭銅貨」では、その点字にもうひとつの秘密が隠され、暗号にふたつの意味が与えられることになりました。

 ゴケンチヨー、ではじまるひとつめの意味は、六字名号=点字、というルールに気がつけば、だれにでも解読することができます。

 しかし、ゴケンチヨー、ではじまる文章をさらに解読し、ゴジヤウダン、ということばを浮かびあがらせるのは、暗号をつくった本人以外には不可能なことです。

 このあたりのことは以前に記したことがありますので、当該ページを見開きで切り貼りしておきます。


 まずそんなような次第で、暗号がふたつめの意味を秘めているということは、暗号をつくった人間、つまり作中の「私」にしか指摘できません。

 ですから作中の「私」は、暗号を手にした他人がひとつめの意味を明らかにするのに根気よくつきあい、そのあとで、その文章を八文字ずつ飛ばして読んだらふたつめの意味が明らかになるんだよ松村君、と打ち明けることになります。

 物語を語ってゆく文字どおり語り手の「私」は、じつは暗号の秘密を知っていながら語らない「私」でもあったわけで、暗号のみならず語り手もまた、二重性を帯びていたという寸法です。

 乱歩が探偵小説を定義するにあたって、謎ではなく秘密ということばを使用した理由が、なんとなくわかるような気がしてこないでもありませんが、それはそれとして、淡々と事実を記述していた語り手が、じつは二重底に隠すようにして秘密を秘めていた、という驚くべき筋立てに、乱歩はどうやってたどり着いたのか、つまり、「大正9年から11年の間の二年間にその驚くべき飛躍が達成された」背景にはなにがあったのか、ということを問題にしてみますと、もしかしたら乱歩は、谷崎潤一郎が「改造」の大正10年3月号に発表した「私」を読んだのではないか、という推測が浮上してきます。

 谷崎の「私」は、「二銭銅貨」とおなじく、「私」という一人称による語り手の二重性をテーマにした作品ですから、谷崎の名に惹かれて「改造」で「私」を読んだ乱歩がびっくり仰天し、ああ、こんな手があったのか、と「二銭銅貨」に応用した可能性は皆無ではないと思われる次第ですが、もう少し考えてみる必要がありそうですから、この件にかんしてはここまでとしておきます。

 さて、乱歩に牽引されたこの国の探偵小説は、いったいどうなったのか。

 谷口基さんの『戦前戦後異端文学論──奇想と反骨──』には、「震災後から一九三〇年代にかけての隆盛期を〈探偵小説〉の黄金期とみなす」との観点から、当時の探偵小説がこんなふうに概観されています。

 この時期、〈探偵小説〉はきわめて広範にわたる文学的テーマを包摂するジャンル名として読者一般に認識されていた。〈探偵〉、すなわち犯罪捜査のプロセスや、容疑者を特定する推理の展開を大筋に据えた小説が〈探偵小説〉を代表する形式であることは論をまたないが、それ以外に、怪談、幻想小説、耽美小説、SF、秘境・魔境小説、シュールリアリズム小説などが、ごくあたりまえに〈探偵小説〉の角書を付され、雑誌媒体に発表され、流通し、享受されていたのである。江戸川乱歩をはじめ、実作家の中には、前者を「本格探偵小説」、後者を「変格探偵小説」として、その差別化を図った者も少なくはなかったが、種々様々の奇譚を総括する呼称に〈探偵小説〉の名を充てた読書界の認識が崩れ、さらなるジャンルの細分化が始まったのは敗戦以後のことである。

 このあたりの事情は、乱歩も昭和10年10月の「日本探偵小説の多様性について」にこう記しています。

 日本の探偵小説の過半数は本当の探偵小説でないということが云われている。私自身もこの説には同意を表するもので、探偵小説であるからには、探偵的な趣味、つまりある難解な秘密を、なるべくは論理的に、徐々に探り出して行く経路の面白さというものが主眼になっていなければならない。その外の所謂探偵小説、例えば異常な犯罪の経路を描いたもの、犯罪その他異常な事件の恐怖を主眼とするもの、怪奇なる人生の一断面を描いたもの、精神病者又は変質者の生活を描いたもの、ビーストン風の「意外」の快感に重点を置くものなどは、犯罪小説、怪奇小説、恐怖小説などに属するものであって、探偵小説とは云えない。
 これは分りきった事のようでいて、実は何となくハッキリしていないのであるが、その原因は世のジャーナリスト達が、探偵作家の書くものは、犯罪小説であろうが怪奇小説であろうが、凡て探偵小説という一色の名で呼び慣わしたこと、探偵雑誌「新青年」出身の作家は悉く探偵小説家であり、そこに掲載される犯罪、怪奇、幻想の作品は皆探偵小説であるかの如き誤った考え方が一般に行われて来たことなどに在るのだと思う。

 この時期、乱歩は探偵小説のこうした多様性を容認していて、「論理的探偵小説はあくまで論理に進むのがよい。犯罪、怪奇、幻想の文学は、作者の個性の赴くがままに、いくら探偵小説を離れても差支はない。そこに英米とは違った日本探偵小説界の、寧ろ誇るべき多様性があるのではないか」とこの文章を結んでいたのですが、戦後は態度を一変させ、いうならば本格探偵小説至上主義を掲げて探偵文壇を唱導しようとします。

 ですから、たとえば海野十三は乱歩のそうした変節に猛烈に反撥し、あの温厚な十三がここまで書くか、と驚いてしまうほど激越な調子で乱歩批判を展開することになりますが、昭和10年の時点では、「探偵的な趣味、つまりある難解な秘密を、なるべくは論理的に、徐々に探り出して行く経路の面白さ」を主眼とした作品以外の「探偵小説とは云えない」小説も、乱歩は「寧ろ誇るべき多様性」のあらわれであると認識していたわけです。

 とはいえ、すでに乱歩は、海外探偵小説の新たな潮流に気づき、本格探偵小説への志向を強めていました。

 『探偵小説四十年』の昭和7年度「クイーンの最初の邦訳」から引用。

 私は自分が小説を書き出してからは、西洋の探偵小説を猟り読むということを全くしなくなっていた。ポーやチェスタトンには敬服していたけれども、その他の新青年に訳載される西洋短篇などは、実は軽蔑していた。純探偵小説よりもルヴェールやオ・ヘンリやモーパッサンなどの方が遙かに面白かった。それに「新青年」は短篇を主として紹介していたので、私達は英米の「黄金時代」の本格長篇というものを、ほとんど知らないままに過ぎていた。飜訳陣の人たちも短篇に主力を注いで、長篇は余り猟らなかったし、編集者達も英米の長篇傑作については、ほとんど無智であった。

 そのあたりのことを、横溝正史はどう回顧しているか。

 昭和47年6月の「私の推理小説雑感」には、大正15年に上京し、「新青年」編集者として勤務しはじめたころのことが、こんなふうに記されています。

 あとから思えば、当時すでに探偵小説の本場ともいうべき、イギリスの探偵文壇の主流は、江戸川乱歩さんがかしこくも喝破したとおり、「シャーロック・ホームズの短篇の長篇化」であるところの、謎解き一本槍、すなわち謎と論理の本格長篇探偵小説によって占められており、それがそろそろアメリカへも移行しかけていた、まことに重大な時期だったのである。
 げんに私は神戸時代、『プレミヤー』という雑誌に、フィルポッツの「グレー・ルーム」が連載されていたことを知っていたし、ミルンの「赤い家の秘密」が『レッド・ブック・マガジン』に掲載されていたことも知っている。前者は読んでいないが、後者は雑誌に三回か四回に分載されているのを読んでみて、そのいっぷう変わったスタイルに、いっぽうでは、一種異様な魅力をかんじると同時に、いっぽうでは、大きな戸惑いをかんじずにはいられなかった。
 すべてにおいてまだ幼かった私は、長篇探偵小説といえば、山あり谷あり、恋あり冒険ありというていのものばかりだと思っていたものだから、これはまあ、なんという退屈な、それでいて、なんという異様な魅力にみちた探偵小説なのだろうと、一種奇異な思いにうたれずにはいられなかった。

 昭和7年3月、「文芸倶楽部」の編集から退いて「探偵小説」の編集者となった正史は、「矢の家」「トレント最後の事件」「赤い家の秘密」といった海外作品を矢継ぎ早に誌面で紹介し、乱歩が黄金時代の英米本格長篇に開眼するきっかけをつくることになります。

 この項、つづきます。
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