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Posted by 中 相作 - 2014.03.14,Fri
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CINRA.NET
 平成26・2014年3月6日 CINRA

「恋」と「愛」の違いを知っているか? 美輪明宏インタビュー
 島貫泰介、御堂義乗(撮影)
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「恋」と「愛」の違いを知っているか? 美輪明宏インタビュー

インタビュー・テキスト:島貫泰介 撮影:御堂義乗(2014/03/06)

美輪明宏という人物を思い描くとき、あなたはどんなイメージを浮かべるだろうか。愛の大切さを説くスピリチュアルな伝道師? 凛とした男装で庶民の喜怒哀楽を朗々と歌う稀代の歌手? 50代以上の人にとっては、三島由紀夫や川端康成といった日本を代表する芸術家と交流を持った怪人物かもしれないし、若者の中には『もののけ姫』の人語を解する山犬神役で初めて知ったという人も少なくないだろう。いずれにしても、変幻自在のトリックスターとして70年近いキャリアを持つ美輪の正体は、一筋縄で知れるものでないことだけは確かだ。

そんな美輪の本質に触れる絶好の機会がまもなく訪れる。フランスを代表するシャンソン歌手、エディット・ピアフの真実の人生を描く『愛の讃歌 HYMNE À L'AMOUR ~エディット・ピアフ物語~』が4月の新国立劇場公演を皮切りにスタートする。今回、本作の制作準備を進める美輪にインタビューする機会を得た。愛を歌い、愛を表現する芸術家としてピアフに大きな共感を寄せるという彼に、ピアフについて、芸術について、そして愛について尋ねた。


美輪明宏(みわ あきひろ)
小学校の頃から声楽を習い、国立音大付属高校を中退し16歳にしてプロの歌手として活動を始める。クラシック・シャンソン・タンゴ・ラテン・ジャズを歌い、銀巴里やテレビに出演するようになり、1957年、「メケメケ」が大ヒット。ファッション革命と美貌で衝撃を与える。日本におけるシンガーソングライターの元祖として「ヨイトマケの唄」ほか多数の唄を作ってきた。俳優としては、寺山修司の「演劇実験室◎天井桟敷」の旗揚公演「青森県のせむし男」、「毛皮のマリー」への参加・主演を機に、三島由紀夫に熱望され「黒蜥蜴」(江戸川乱歩原作)を上演、空前の大絶賛を受けた。いまやその演技のみならず、演出・美術・照明・衣装・音楽など総合舞台人として、また現代日本のオピニオンリーダーとして、その活躍は常に耳目を集め、さらなる伝説の炎が噴出し始めている。
【公式】美輪明宏 麗人だより【美輪明宏完全監修】

歴史上の天才たちや世界中のあらゆる人たちの人生を想像し、疑似体験できるのがお芝居の醍醐味なんです。

―今回は今年4月から始まる『愛の讃歌 HYMNE À L'AMOUR ~エディット・ピアフ物語~』のお話を中心に、演技のお話やエディット・ピアフへの想いなどについてお聞きできればと思っています。まず、美輪さんはすべてご自身で脚本と演出を担当されていますが、どのような演劇論にのっとって作品を作っていらっしゃるのでしょうか?

美輪:日常の中で、みなさんそれぞれの人生を歩いていますでしょう? そうやって普通に暮らしている人々が、歴史上の天才たちや世界中のあらゆる人たちの人生を想像し、疑似体験できるのがお芝居の醍醐味なんです。ですから、観客に疑似体験させられるだけの知識や雰囲気作りができる感度を持っている人でなければ、役者は辞めたほうがいいですね。

―役者は、知的でないといけないと。

美輪:そうですね。ですから、『愛の讃歌』に出演する役者の方々には、「ピアフが生きた時代のフランス映画をよく観ておきなさい」と言いますね。小道具、服装、所作、台詞の受け答え、そして歴史。その時代の空気感を自分の細胞で理解してもらわないと困ります。そうでないと、観客はピアフやその時代をなぞることができませんから。私が『NHK紅白歌合戦』で“ヨイトマケの唄”や“ふるさとの空の下に”を歌ったのを観て、自分もその世界を体験しているような気になったとおっしゃる方がいらっしゃいますけれど、そういう世界を作れる役者を選びます。



『愛の讃歌』前回公演より 撮影:御堂義乗

―美輪さんが、そのような演出論や世界観を持つようになったきっかけはなんでしょう? 三島由紀夫や寺山修司ら、偉大な芸術家たちとの交流の中で育まれたものでしょうか。

美輪:いえ、それは子ども時代に遡りますね。私は1935年に長崎で生まれて、隣が劇場兼映画館、目の前がレコード屋という環境で育ちました。ですから、一日中レコード屋で浪花節やクラシック、ジャズ、シャンソン、タンゴなどあらゆる種類の音楽を試聴させてもらっていたんです。それに、うちは水商売をやっていましたから、当時の流行歌であるドイツやフランスの映画主題歌を浴びるように聴いていました。



―最先端の海外文化から、日本に根付いた大衆文化まであらゆるものに触れていたんですね。

美輪:劇場では、ドサ回りの芝居から歌舞伎、新劇がしょっちゅう上演されていて、映画は、フランスやドイツ、ロシア、アメリカ、日本の作品までなんでも上映されていました。それが家の隣にあるものだから、毎日そこに通って只で観るわけです。これはもう、最高の遊び場でしたね。子どもだから楽屋にも入れてもらえて、舞台裏の機構部も間近で見せてもらえた。それで、ごく自然に芸能への興味と知識が育っていったわけです。

「恋」と「愛」の違いを知っているか? 美輪明宏インタビュー

三島(由紀夫)さんと初めて会ったとき、好きなことをやりたい放題だった私を見るなり、「こんな破滅的なことが許されるのか!」って(笑)。

―後に芸術の道を志す者としては、またとない贅沢な環境で幼少期を過ごされたんですね。

美輪:いわば「ちゃんぽん」状態でしたね。どれも、第二次世界大戦前に作られた、音楽も照明も撮影技術もすべてが素晴らしく、文化が最高潮に達した時代のものを観ていました。そんな子ども時代を経て東京に出たら、三島(由紀夫)さんが私のことを羨ましがったわけです。あの方は官公吏の家に生まれて、映画を観たり小説を読んだりすることが不道徳という環境でお育ちになった。三島さんが物書きになると言ったときも、お父様に「そんなヤクザの商売」と言って猛反対されていたそうです。

―当時は、物書きという職業の捉えられ方も、今とは違っていたんですね。

美輪:それで、初めて私と会ったとき、あの人はびっくりしちゃったんです。ルパシカ(ロシアの民族衣装)を着て、好きなことをやりたい放題だった私を見るなり、「こんな破滅的なことが許されるのか!」って(笑)。

―破滅的(笑)。三島由起夫らしい表現ですね。

美輪:すべてが家人から与えられた人生を歩んでいた三島さんに比べて、私は自分で選んだ人生を泳いでいたから、羨ましくてしょうがなかったんでしょうね。

―そんな文化濃度の濃い子どもはなかなかいませんよ(笑)。

美輪:そういう意味では、江戸川乱歩さんと初めてお会いしたときも驚かれましたよ。私が「ねぇ、明智小五郎ってどんな人?」って尋ねたら「腕を切ったら青い血が出るような人だよ」とおっしゃって。「青い血? わぁ、素敵じゃない」(美輪)「へぇ、そんなことわかるのかい、君?」(江戸川)「だって素敵じゃない。きれいな青い血がすーっと出てくる人って、クールで素敵」(美輪)「ふーん、そんなことがわかるのかい。じゃあ君を切ったらどんな色の血が流れてくるんだい」(江戸川)「七色の血が出ますよ」(美輪)……なんてやり取りをして(笑)。

―七色の血……!

美輪:そうしたら江戸川さんが、「面白い。じゃあ切ってみようか。おい、包丁を持ってこい!」とおっしゃったんです。そこで私が、「およしなさいまし。私の腕を切ったら、そこから七色の虹が出て、もう片方の目もつぶれますよ。それでもよろしいですか?」と反撃したら、「君は一体いくつだ……!」と驚かれて(笑)。

―(笑)。

美輪:そのとき私は16歳でしたから、ますます驚かれて。それ以降、大変目をかけていただきました。それから後は、川端康成さん、柴田錬三郎さん、遠藤周作さん、吉行淳之介さん、安岡章太郎さん、東郷青児さん、岡本太郎さん、中原淳一さん……。あらゆるジャンルの天才とお会いしました。

これまで納得できる形でエディット・ピアフが描かれたことがなかった。「愛の讃歌」と銘打ちながら、「愛」なんてどこにもなくて、「愛欲」しか描こうとしないんです。

―お話をうかがっていて、育った環境や青春期における芸術家との交流など、美輪さんとピアフの人生は共通する部分が多くあると感じたのですが、美輪さん自身が考える芸術家としての生き方が『愛の讃歌』に反映しているのでしょうか?

美輪:そうですね。ピアフの生活や思想への共感が強くあります。でも、あなたぐらいお若いとピアフをご存じではないでしょう?

―もちろんリアルタイムで触れたことはないのですが、ピアフの自伝映画や、彼女が遺した音楽は知っています。例えば、2007年にマリオン・コティヤールが主演した映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』ですとか。

美輪:ピアフを描いた一番新しい映画ですね。

―本公演に寄せられたインタビューの中で「これまで納得できる形でピアフが描かれたことがない」と美輪さんはおっしゃっています。それが本作を作る動機になったそうですね。

美輪:若い方はご存知ないかもしれないですが、もともと“愛の讃歌”は、フランス語の原詞を岩谷時子さん(作詞家、詩人。越路吹雪のマネージャーでもあった)が訳詞されて、越路吹雪さんが歌ったことで有名になったんです。それ以降、結婚式場や音楽会でたくさん歌われるようになった。ただ、お二人は“愛の讃歌”をポピュラーにした立役者ではあるのですが、エディット・ピアフの原詞を読んだ者にとっては、内容があまりにかけ離れていてびっくりしてしまうようなものでした。

―と言うと?

美輪:ピアフの人生はこれまでに何度か映画化されているのですが、どれもマルセル・セルダンというボクシングのチャンピオンと不倫の恋をして、彼がピアフに会いに来る途中に飛行機事故で亡くなって、半狂乱状態に陥ったピアフが麻薬やアルコールに溺れ、声も出なくなり世の中から見捨てられて、そしてぼろ切れ同然になった……。そこでおしまいなんです。

―たしかに、2007年の映画化では、セルダンが事故死した悲しみに耐えながら、ピアフが“愛の讃歌”を歌うシーンがクライマックスになっていますね。

美輪:ピアフがとても険しい人生を送ったのは本当のことですよ。パリの移民街の道端で産み落とされ、娼婦たちの仲間として育ち、路上で歌を歌って暮らしていたんです。興行主だったルイ・ルブレに見出されてスターになったけれど、そのルブレが殺されたときに殺人容疑をかけられて、どこで歌っても「assassinat、assassinat(人殺し、人殺し)!」と言われて、すぐにまた落ちぶれて……。



『愛の讃歌』前回公演より 撮影:御堂義乗

―その後も、栄光と挫折と退廃に彩られた人生だったと言われていますよね。

美輪:でもそれは、あまりにも戯画的で偏見に満ちた描き方だと思います。つまり、ピアフのことを、無知蒙昧、我侭、淫乱……。そういう手に負えない、どうしようもない女として描いているんです。

―ピアフの場合、その人間臭さが魅力でもあるという見方もできると思いますが、やはり過剰にスキャンダラスな描かれ方をしてきたということでしょうか。

美輪:人間臭いというより、本能だけで生きている野獣そのものといった描かれ方ですよ。ところが、そんな人間失格の烙印を押された女が“愛の讃歌”や“バラ色の人生”の歌詞を作り、その他にも数十曲の作詞・作曲をしているんです。詩を見れば、“枯葉”や“天井桟敷の人々”で知られる詩人の神様、ジャック・プレヴェールに匹敵するほどのアーティスティックで知的な感性をピアフが持っていたことがわかります。

―作品をよく理解していれば、ピアフの人物像に到達できるはずだと。それでは、なぜ人々は歪んだ描き方をしてしまったのでしょう?

美輪:多くの人は、自分の人生経験の中で理解できる範囲のことしか理解しようとしないからでしょうね。ピアフの場合も、ドラマとして盛り上げるために、真実を全部削除してしまっている。ある芝居では相手役の男の股間をぎゅっと握りしめたり、そういう品のない演出をするんです。私はそれに本当に頭にきてしまって。マリア・カラスやアマリア・ロドリゲスに並ぶピアフの芸術性を、演劇のプロデューサーやディレクター、映画関係者たちがまるで理解せず、見なかったことにしている。「愛の讃歌」と銘打ちながら、「愛」なんてどこにもない。「愛欲」しか描こうとしないんです。

「恋」と「愛」の違いを知っているか? 美輪明宏インタビュー

本当の愛というのは、自分の命を失っても相手のために尽くすという無償の愛を知るということ。

―美輪さんの『愛の讃歌』では、セルダンの事故以降が描かれますが、それもこれまで描かれて来なかった、ピアフの本来の姿に迫りたかったからでしょうか?

美輪:ピアフの人生が本当に始まるのは、セルダンが亡くなってからなんです。セルダンに贈るために作った“愛の讃歌”を彼に聴かせられなかったことで、彼女は本当の愛を理解できた。つまり、自分の命を失っても相手のために尽くすという無償の愛を知ったんです。そして、ピアフにもその無償の愛を与えてくれる人が出てくるのですが、それがギリシャ出身の美容師で、20才も年下のテオ・サラポです。テオは入院中のピアフのヘアカットをしに来たのがきっかけで知り合ったのですが、群がってくる取り巻きたちにお金をむしり取られて莫大な借金を抱え、病気で髪の毛も抜け落ちて、声も出なくなったピアフに愛を感じ、それらを全部承知の上で結婚を申し込んだ。

―まさに無償の愛ですね。

美輪:やっと幸せを得たピアフは、こんな有名な言葉を残しています。「私が今までに愛したただ一人の男はマルセル・セルダンでした。だけど、私が生まれてからずっと待ち続けていた男はテオ・サラポです」。ピアフはテオに歌手としての技術、精神など自分が伝えられるすべてのことを伝えて亡くなりました。一方でテオは、彼女が亡くなった後もピアフの借金を返すために6年間歌手として活動して、全額返済し終わった途端に交通事故で亡くなるんです。「僕をエディット(・ピアフ)の傍らに埋めてください」と遺言を残して。私も訪れたことがありますが、パリにあるペール・ラシェーズ墓地のピアフの墓に、今も二人は並んで葬られていますよ。大切なセルダンを失い、テオと出会って、ピアフはエゴイストではなくなったのです。

―ピアフは、セルダンの奥さんと子どもにも、生活を支えるお金を送っていたそうですね。セルダンが亡くなった直後に空港で奥さんと出会って、お互いに慰め合い支え合ったとか。

美輪:だからピアフをただのエゴイストとして描いてはいけないんです。日本で親しまれている“愛の讃歌”の<あなたの燃える手で私を抱きしめて>に続くフレーズは、単に同じ言葉を繰り返しているだけですよね。まるで四畳半の狭い部屋で、頭の先から足の先まで舐め回してるようなもの。だけど、フランス語の原詞はこうなんです。

<高く青い空が落ちて来たって この大地が割れてひっくり返ったって 世界中のどんな重要な出来事だってどうってことは、ありゃしない(中略)もしあなたが望むんだったらこの金髪だって染めるわ もしあなたが望むんだったら 世界の涯だってついて行くわ もしあなたが望むんだったら どんな宝物だって お月様だって盗みに行くわ(中略)そしてやがて時が訪れて 死があたしからあなたを引き裂いたとしても それも平気よ だってあたしも必ず死ぬんですもの そして死んだ後でも二人は手に手をとって あのどこまでもどこまでも広がる 真っ青な碧の中に座って永遠の愛を誓い合うのよ(後略)>
どうですか? すごく大きく広く深みがあるでしょう。

―ピアフの大きな知性と愛を感じます。

美輪:だからこそ、私が演出する『愛の讃歌』では、ピアフに教養や品性の大切さを教えたレーモン・アッソ―も丁寧に描いているんです。江原啓之さんの台詞ではないですが、エディット・ピアフの魂が喜んで舞台に降りてきている気がしますよ。もし私が幽霊だったとして、自分の芸術性や、無償の愛、無私の精神をつまびらかに表現してくれる人がいたとしたら、嬉しいですしね(笑)。



『愛の讃歌』メインビジュアル

「恋愛」という言葉がありますよね。なぜ恋が先にあって、愛が後にあるかわかりますか?

―今回の舞台『愛の讃歌』には若い観客も大勢いらっしゃると思いますが、僕やその下の世代というのは、脈々と続いている芸術文化や歴史にリアリティーを持たない人が非常に多くいます。そういった人たちに、この作品を通してどのようなことを伝えたいと思っていますか?

美輪:愛ですね。みなさん「愛している」と簡単におっしゃるけれど、実感として愛の形がわかってない方が多いのではないでしょうか。でもピアフの人生を通して愛を目の前に具現化されれば、100の言葉を尽くして伝えるよりもわかりやすいでしょう?

―さきほども、「多くの人が自分の人生の中で理解できることしか理解しようとしない」というお話をされていましたが、美輪さんは想像力の重要性を訴えていますよね。お芝居を観て、他者の人生に没入することもある意味では自分以外の人生を想像できる力を養うことだと言えます。そういうことが広い意味での愛に繋がっていくと美輪さんはお考えなのだと感じました。

美輪:「恋愛」という言葉がありますよね。では、なぜ恋が先にあって、愛が後にあるかわかりますか? 「愛恋」とは言わず、なぜ「恋愛」というのか。どう思いますか?

―うーん……。恋から始まったものが、やがて愛に育っていくというか……?

美輪:具体的に述べよ!(笑)

―難しい(苦笑)。……恋は、個人が心に秘めたところから始まると思うんです。だけど愛は個人だけではない、たくさんの他者に対しても向けられるもの、でしょうか?

美輪:ノー。時間切れ(笑)。恋というのは自分本位で、相手の気持ちはどうでもいいんです。「セックスしたい」「少しでも相手と一緒にいたい」「抱かれたい」「抱きたい」……。こういう自分の欲望や本能を満足させるために、相手が必要なだけ。だから「100年の恋も冷める」と言うように、ある日ふと、相手の足が臭かったとか、食べ方がおかしかったとか、そういう自分勝手な理由でスーっと冷めたりする。わかりやすいのは、例えば待ち合わせをしたときに、相手が遅れてなかなか来ないときにどう思いますか? 「人を待たせやがって」と思うときっていうのは、結局、自分のプライドが大事なんですよ。そういう自分勝手な感情が、恋です。

―思い当たります……。では愛とは?

美輪:愛は相手本意で、自分がありません。待ち合わせの話でいうと、待たされている自分のことはどうでもいい。つまり、自分のプライドや立場なんて考えもしないんですよ。相手が来なかったとしても、「ひょっとして仕事の都合で無理させたんじゃないだろうか?」「電車とホームの間に足でも突っ込んだんじゃないかしら?」と思いやって心配する。相手の見た目も気にしないから、ちょっと不細工だったり頭がハゲていたりしても、とにかく元気で生活してくれさえいれば、それだけで充分な幸せを感じられる。つまり愛は「無私の精神」なんですよ。ですから恋愛中というのは、「恋の国」と「愛の国」の間に掛けられた橋を行ったり来たりして揺れている状態。でもね、橋を渡って愛の国の奥に辿りつくことができれば、もうその橋はいらないんですよ。

―あくまで僕の解釈ですが、美輪さんの『愛の讃歌』も、恋から愛へと移り変わっていく人生を描いているのでしょうか。これまであったピアフを題材にした作品は、セルダンが事故死して半狂乱になった彼女を描いて終わっていた。それは自分本位な恋に生きてきたピアフが、ようやく愛を知った瞬間までを描いていたと言える。しかし美輪さんは、テオと出会って、愛に生きたピアフを描こうとしたのではないでしょうか。

美輪:そう。だから、『愛の讃歌』を通して若い人に愛を知ってほしいのです。若いうちは恋をするだけで精一杯だと思います。でも成長して年齢を重ねるにつれ、愛するということがわかってくる。しかも、今は恋人のいない20代が60%もいるそうですね。たしかに、一生にたった1人の人と出会うのは難しいことだけれど、ひたむきに相手を愛することで、恋は愛へと変わっていくのだから、そういう人生を知ってほしいですね。


イベント情報

『愛の讃歌 HYMNE À L'AMOUR ~エディット・ピアフ物語~』

脚本・演出・美術・衣裳:美輪明宏
出演:
美輪明宏
木村彰吾
YOU
勝部演之
若松武史
城月美穂
柄沢次郎
大野俊亮
浜谷康幸
江上真悟
高森ゆり子
小林香織
小林永幸
根間永勝
真京孝行
大曽根徹
今井忍
金井修
迫田圭司
迫水由季
越田樹麗
杉山美穂子
建守良子
日沖和嘉子
演奏:セルジュ染井アンサンブル

東京公演
2014年4月12日(土)~5月5日(月・祝)全15公演
会場:東京都 初台 新国立劇場中劇場
料金:S席11,000円 A席7,500円

岡山公演
2014年5月9日(金)
会場:岡山県 倉敷市民会館

福岡公演
2014年5月10日(土)、5月11日(日)
会場:福岡県 北九州芸術劇場 大ホール

大阪公演
2014年5月17日(土)、5月18日(日)
会場:大阪府 中之島 フェスティバルホール

静岡公演
2014年5月20日(火)
会場:静岡県 アクトシティ浜松 大ホール

長崎公演
2014年5月24日(土)
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