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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2024.04.26,Fri
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Posted by 中 相作 - 2010.10.25,Mon
 
〔*4〕
 
「新青年」歴代編集長座談会 横溝正史大いに語る
 
城昌幸、横溝正史、水谷準  
江戸川乱歩、森下雨村、松野一夫  
 
 横溝 最初来たのは大正十四年なのよ。それから十五年になつて、この人(江戸川氏)が、なにか映画会社のようなものを作るというんだね。本位田と二人でね。それでお前はどうしても一役買えというんだ。ウソやと思つたがね。それで一人で上京して、神楽坂の駅でおりて、ポコポコ坂道をのぼつていつたんだよ。江戸川さんのうちへさ。そうしたら奥さんが、アーラいらつしやい、横溝さん、といつてくれたね。(笑)
 水谷 なんだ、いまと同じじやないか。
 横溝 アラなにしにきたのつて顔しなかつたから、ね。アーラいらつしやい、横溝さんつていつてくれたから、実にうれしかつたね。(笑)筑土八幡の家だよ。
 水谷 もう筑土八幡にいたの。
  乱歩さんがまたどういう動機で映画会社をこしらえようとしたんですか。
 江戸川 そのころ、僕のうちへ本位田君がしよつちゆうきているだろう。本位田君がその話をもちこんだんだよ。プロダクションを作ろうつてね。金はどつかから出るつていうんだ。夢みたいな話なんだ。そして、本位田君が勝手に神戸の横溝君に電報打つちやつたんだよ。
 横溝 ともかく出てこい、という電報なんだよ。
 江戸川 とにかく一ぺん遊びにこい。顔がみたいという意味なんだよ。
 森下 それが、二度目の上京になるんですか。
 水谷 一度目と二度目の間は、どのくらい期間があつたの。
 横溝 一年ぐらいね。そしてきたのよ。筑土八幡にきたのよ。そうしたら、この人(水谷氏)も、江戸川さんのうちへやつてきて、「よう、きたねえ」と、なんか馬鹿にしたような顔しやがんのよ。(笑)そのときは、もうギョッとしたね。(笑)
  たしかに、いやらしかつたよ、この人(水谷氏)は。(笑)おれ初対面のとき、変な男だなと思つたことがある。(笑)
 水谷 いまだつてあんまりよくないだろうけどさ。(笑)
 森下 そんなことないよ。わしが水谷君に小説書けというて、小日向台町の家へきてもらつたことあるね。そのとき原稿持つてきたんだ。きれいな若い衆でね。(笑)ちよつとまあお上りというて、話したね。酒は飲まさなかつたけれども、抱いてやりたいようなきれいな人だつたよ、その頃は。
  なかなか、横さんが編集長になるまでにならないな。
 横溝 それは、実にうれしかつたからね。二度目にさ、上京してきた。本位田とあんた(江戸川氏)にだまされちやつて。だまされて上京してきたのさ。筑土八幡町にさ。奥さん、あんたも聞いてなきやいけないよ。そうしてね、三日ぐらい泊つちやつたのさ。映画はだめになつちやつて、この人(江戸川氏)が、お前に清元教えてやる、というんだよ。(笑)
 江戸川 清元じやないよ。河東節だよ。(笑)
 横溝 鳥が啼くゥ……というとこ、教えてくれるんだよ。鳥が啼くゥ……、鳥が啼くゥ……といってね。(笑)わしや夜が明けちやつて、ね。(爆笑)おばあちやんがね、太郎ねなさいというてきて……。
 そうしたらしばらくしてさ。神楽坂の神楽館に下宿したのさ、わしや。そうしたら、雨村先生が留守中にきて、博文館へ入れつていうのね。森下さんが、筑土八幡の乱歩さんのところへいつてね、そこで話がきまつちやつたらしいんだね。わしとは無関係にね。
 水谷 さつきの映画の話は、事実無根か。(笑)
 横溝 流れちやつたんだな。実にね、アンタンたるものだつたよ、わしは。(笑)
 
「宝石」昭和32年12月号
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