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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2012.07.04,Wed

 あんまり面白がるのも不謹慎だとは思うけど、伊賀地域における震災がれき受け入れ問題、やっぱ面白い。

 

 7月1日の説明会ではっきりしたのは、地元の同意や了解は絶対に得られないだろう、ということだよね。

 

 伊賀地域が、というか、伊賀南部環境衛生組合が震災がれきを受け入れる場合、地元の承認がどうしても必要だ、みたいなことが条件になるのであれば、がれき受け入れは永遠に不可能だ、ということになるだろう。

 

 この場合、地元、ということばで表現されるエリアはどこか、ということが問題になるわけだけど、とりあえず、伊賀市青山地区、すなわち、旧青山町、ということにして話を進めると、旧青山町エリアに住むひとたちの承認は、逆立ちしたってもらえないと思うぞ。

 

 というのも、震災がれきの問題はべつにしても、旧青山町エリアの住民感情は、伊賀市の行政運営にたいして、かなり批判的だと推測されるからだ。

 

 たとえば、伊賀市の新庁舎問題がある。

 

 伊賀市の庁舎が老朽化して、じゃあ建て替えっか、ということになった。

 

 いろいろと問題はあったんだけど、ポイントのひとつになったのは、新庁舎を現在地に建てるか、それとも別の場所に建てるか、ということだった。

 

 旧青山町エリアのひとたちにしてみれば、現在地よりもっと自分たちの地域に近いところ、さらには、伊賀地域外からのアクセスも考慮して、より便利な場所に建てるべきだ、ということになる。

 

 地元のひとたちの言に、ちょこっと耳を傾けてみたことがあるんだけど、てめーこら伊賀市の市役所へ行くのに二回も踏切を渡らなきゃならんのだぞ二回もよー、とか、将来、名張市が伊賀市に吸収合併されることになるわけなんだから、そうなったとき伊賀市の中心となる場所に市役所をつくっとかないとまずいよねー、とか、わけがわかるんだかわかんないんだかよくわかんなかったんだけど、とにかくそういう意見がさまざまにありながら、現在地での改築には反対だ、という点で地域の声はひとつにまとまっていた。

 

 しかし、そうした要望は、結局のところ、容れられることがなかったのであった。

 

 みたいな経緯もあったから、旧青山町エリアの住民感情は、伊賀市の行政運営にたいして、現在ただいま、けっして好意的なものではない。

 

 そこへもってきて、震災がれき受け入れ問題である。

 

 地元の承認がすんなりゲットできるわけがない、ということにならざるをえないであろう。

 

 つまり、こじつけめいた話になってしまうけれど、市町村合併のしこりのようなものが、今回の問題にも微妙に影を落としている、といっていいのかもしれない。

 

 問題をもっともっと面白くながめるために、さらにこじつけめいたことを記すとすれば、垂直性と水平性の対立、という構図が、ここへ来ていよいよはっきりしてきた。

 

 つまり、震災がれきを全国に拡散する、という政府の方針があって、それが地方に迎え入れられつつある、というか、押しつけられつつあるのが、現在ただいまの状況である。

 

 国から都道府県へ、都道府県から市町村へ、という垂直的な力学が働いているわけだ。

 

 ま、こんな感じか。

 

都道府県

市町村

 

 ところが、7月1日の説明会で際立ったのは、地域社会に潜在していた水平的な力学だった。

 

 説明会には、伊賀市住民自治協議会の青山地域六地区が、くつわを並べた。

 

 こんな感じだ。

 

阿保-上津-博要-高尾-矢持-桐ケ丘

 

 地元六地区が、水平に働く力学のもとにひとつにまとまり、国の方針にまっこうから異を唱えた。

 

 図式化すると、こんなことになろうか。

 

三重県

伊賀市+名張市

×

阿保-上津-博要-高尾-矢持-桐ケ丘

 

 「伊賀市+名張市」とあるのは、本来なら、「伊賀南部環境衛生組合(伊賀市+名張市)」とでもすべきところなんだけど、煩を避けてこうした。

 

 このあたり、じつは、かなりややこしい。

 

 地方自治体の最高意思決定機関は、先日も記したとおり、地方議会である。

 

 しかし、この一件、伊賀市議会や名張市議会は、まったく関与しておらんような印象である。

 

 それでいいのか、よくないのか、つまり、震災がれきを受け入れて処理することにかんして、議会の承認が必要なのか、必要ではないのか、そのあたりがどうもあいまいなんだけど、伊賀市と名張市は、そんなの必要ない、という判断なのであろう。

 

 つまり、予算がともなっていない、すなわち、予算を審議する必要がない、だから、議会に諮ることはしない、ということだ。

 

 したがって、「伊賀市+名張市」というのは、要するに、両市の首長による判断と決定だ、ということになる。

 

 これもまた、かなりややこしい話で、こういった場合の判断と決定は、ふつうなら首長ひとりがおこなえばいいんだけど、今回の件では、ふたりの首長がかかわらざるをえない。

 

 双頭の蛇、ゆうやつやね。

 

 こらてめーら創価学会のくそったれと公明党のうんこたれなんてしょせん双頭の蛇じゃねーか、と昔、どっかで三島由紀夫が怒っとったわけやけど、伊賀市と名張市の双頭の蛇は、創価学会と公明党の双頭の蛇みたいななかよしさんではないから、ほんとーにいろいろややこしいんだけど、しかしまあ、そのへんのことは、あんまり深く考えずに話を進めよう。

 

 さて、垂直性と水平性の対立は、いったいどうなったのか。

 

 7月1日の説明会では、国の方針を押しつけようとした三重県と伊賀市ならびに名張市が、すごすごと退却するはめになった。

 

 追い返された、といった印象すらある。

 

 ただし、捲土重来は予告されていて、今月中にも一般住民を対象にした説明会が開催される、ということになっている。

 

 なんか、話は思いきり飛んでしまうけど、どっか織田信長の伊賀攻めを思い出させるよね、とぞ思う。

 

 ここで地域の歴史を確認しておくと、四方を山に囲まれたこの伊賀ってとこは、長きにわたる戦国時代において、戦国大名の登場をみない土地であったのね。

 

 一般的には、中央から地方に派遣された守護というお役人が、土地との結びつきを強めていって、守護大名と呼ばれる存在になる。

 

 さらに時代が進むと、中央政府の力が弱くなってしまって、中央から派遣された大名による領域支配なんて、もうがたがたになってしまうわけなのね。

 

 地元の有力者が地域のボスをやっつけたり、家来だった人間が主君を滅ぼしてトップに立ったり、みたいなことが一般的になってきて、こうした時代の趨勢を、下克上、と呼ぶ、ってのは、たぶん学校で習ったはずだよね。

 

 さて、お立会い。

 

 地元の有力者を家臣団として組織し、その頂点に立って一国を支配したもののふが、世に戦国大名と呼ばれた存在であった。

 

 ところが、この伊賀っていうのはひどいところで、中央から送り込まれてきた守護なんて、ばーか、腐れ役人のいうことなんかいちいち聞いてらんねーんだよばーか、ばーかばーかこのうんこたればーか、みたいな感じで、おらおらおらおらと反抗ばかりしておったのじゃ。

 

 かといって、地元の有力者のひとりがトップに立ち、ほかの有力者を従えた戦国大名として君臨する、みたいなこともなかった。

 

 ならば、伊賀のガバメントはどうなっておったのか、というと、よその多くの土地では戦国大名に仕えていた土着の有力者層、つまり、国人とか、土豪とか、地侍とか、そういった連中が連合体をつくり、合議のもとに伊賀一国の統治を進めていた。

 

 すなわち、中央から押しつけられた垂直的な支配構造は拒絶し、地元の有力者による水平的な自治が実現されていたわけなのであって、今回の件でいえば、下の図式みたいな垂直的な構造は、伊賀じゃあっさり蹴飛ばされとったわけ。

 

都道府県

市町村

 

 そのかわりに、下の図式みたいな水平的な構造が、伊賀における統治システムとして機能しておった、ゆうわけやね。

 

阿保-上津-博要-高尾-矢持-桐ケ丘

 

 国人や土豪や地侍と呼ばれる有力者層は、けっして仲がいいわけではなくて、むしろいさかいやもめごとが日常茶飯事だったんだけど、外から伊賀に敵が攻め込んできたときには、固く団結して敵と戦った。

 

 そうした有力者たちによる伊賀一国を単位とした連合体が、いわゆる伊賀惣国一揆ってやつだったのよね。

 

 でもって、水平的なガバメントが確立されておった伊賀の国に、織田信長を頂点とする垂直的な支配原理がなだれを打って攻め込んできた、というのが、織田信長の伊賀攻め、世にいう天正伊賀の乱なのであった。

 

 乱には、第一次と第二次があった。

 

 第一次の乱は、織田信長の次男、信雄が信長に無断で伊賀を攻め、ぼろぼろのけちょんけちょんにやられて追い返された。

 

 つまり、震災がれき問題に関連させて比喩的にいえば、7月1日の説明会において、伊賀市住民自治協議会の青山地域六地区が横一線にくつわを並べ、三重県と伊賀市ならびに名張市を完膚なきまでにやりこめてしまったのが、第一次の乱、ということになる。

 

 でもって、信雄敗退の二年後、ついに信長が立って伊賀を攻め、一木一草も残さず攻め滅ぼしたのが、第二次天正伊賀の乱なのであった。

 

 だから、今月中にも開催されるという一般住民対象の説明会が、第二次の乱、ということになるわけなんやけど、だったら、やっぱ、どうしたって、現代の信長として、われらがぽてちん知事さんにお出ましをいただかないとはじまんねーよなー、とは思うんだけど、それはとても無理だろうね。

 

 われらがぽてちん知事さん、とても伊賀にはおいでいただけないであろうし、ついでに憶測を記しておけば、ぽてちん知事さんの翻意を期待することにも無理があるだろう。

 

 つまり、こういった構造には変化がない、ということだ。

 

三重県

 

 知事さんってのは、もともとは、中世の守護みたいな感じで、中央から派遣されてきたお役人だったんだけど、戦後になってから、都道府県民の選挙で選ばれる、ということになった。

 

 だから、知事さんはそのまま政府の意向の体現者である、なんてことはまったくないんだけど、今回の場合、ぽてちん知事さんは政府の意向をそのまま体現しようとしていらっしゃるわけだし、翻意の可能性はきわめて低い。

 

 だったら、知事さんの下に眼を向けてみよう。

 

三重県

伊賀市+名張市

 

 この「伊賀市+名張市」が、最大のポイントになる。

 

 伊賀市と名張市の市長さんも、知事さん同様、地域住民の選挙によって選ばれた存在であり、政府の意向をそのまま地域社会に押しつける、みたいなことのための存在ではない。

 

 地域住民の権利や利益、あるいは安全や安心、さらには幸福といったもののために働く存在であって、国や県の意向に反撥しなければならないことも、往々にしてあるはずだ。

 

 今回の震災がれき受け入れ問題では、たとえば伊勢市の市長さんが、一貫して拒否の姿勢を明確にしている。

 

 こんな感じだ。

 

三重県

×

伊勢市

 

 だから、伊賀市と名張市も、かりに地元の意向に真摯に耳を傾け、そのうえで最終的な判断と決定をおこなうとすれば、こんな感じになるしかないのではないか。

 

三重県

×

伊賀市+名張市

阿保-上津-博要-高尾-矢持-桐ケ丘

 

 つまり、地域住民の意を体して、「伊賀市+名張市」のレベルで国と県に叛旗をひるがえす、ということになるしかないのではないか。

 

 むろん、民意が絶対、ということではまったくない。

 

 なにしろ、なんかもう日本をとっとと終わらせたくてしかたないんだろうな、としか思えない民主党政権を誕生させたのも、かつてこの国を席捲した圧倒的なうえにも圧倒的な民意だったわけなんだから、民意の取り扱いには最大限の注意が必要だ。

 

 とはいえ、7月1日の説明会で明らかにされた民意は、新聞報道を通じて、多くの地域住民の共感を得たのではないかと推測される次第であるし、近く開かれる一般住民を対象にした説明会でも、参加者からはおそらく同様の声が多く寄せられることになると思われる。

 

 だから、そうした声に真摯に耳を傾けたうえで、「伊賀市+名張市」のレベルにおける判断と決定として、震災がれきは受け入れません、と表明してしまえば、そりゃもう絶対あれだぞ、伊賀地域の住民のみならず、三重県民からも、いやいや、三重県外からもこの伊賀市と名張市に、熱い共感と高らかな拍手喝采がともどもに寄せられてくるはずだぞ。

 

 きのうのウェブニュース。

 

 ▼伊勢新聞:松阪市議会 「県と対立するつもりない」 がれき受け入れに市長(2012年7月3日)

 

 きょうのウェブニュース。

 

 ▼朝日新聞デジタル:知事、「再議」を検討(2012年7月4日)

 ▼中日新聞 CHUNICHI Web:愛知県議会、50年ぶり記名投票へ(2012年7月4日)

 

 京都ではこんな動きが。

 

 ▼YOMIURI ONLINE:がれき処理受け入れ 京都だけに(2012年7月4日)

 

 な。

 

 状況は刻々と変化している。

 

 われらがぽてちん知事さんのように、一心不乱の猪突猛進、ってのもありだろうけど、機に臨み変に応ずる、とか、君子は豹変す、とか、そういった線もやっぱりありなのであって、ことここにいたっては、初志貫徹なんて愚の骨頂、といったことになるのではないかいな。

 

 「伊賀市+名張市」の首長さんにおかれてはだな、国や県から派遣されたのではなく、地域住民から選挙で選ばれたおふたかたでいらっしゃるのじゃから、君と世界の戦いでは世界に支援せよ、ではないけれど、国や県と地域住民との戦いではいったいどっちを支援すべきか、よーくお考えいただければ幸甚これにすぎるものはないとぞ思う。

 

 しっかしまあ、四百三十年ほど前の天正伊賀の乱は、第一次は地域住民の勝ち、第二次は地域住民の負け、という結果に終わったんだけど、震災がれきの受け入れをめぐる平成伊賀の乱、第一次の乱で三重県と伊賀市ならびに名張市を蹴散らした地元勢は、今月中にも火蓋が切られる第二次の乱においてもひきつづき、みんごと勝利を手中にできるのであろうか。

 

 いやもうほんっとに眼が離せねーよなあまったく。

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