Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2010.10.21,Thu
乱歩と本格(7)
要するに、こういうことであったでしょうか。
昭和7年、横溝正史が編集長だった「探偵小説」に掲載された海外の長篇で本格探偵小説に開眼した。
昭和8年、一年七か月に及んだ休筆を終え、本格作品をめざして「新青年」に「悪霊」の連載を開始。
昭和9年、「悪霊」を中絶して、へこむ。ふたたび本格作品をめざして「中央公論」に「石榴」を発表し、不評ないしは無反応だったので、またへこむ。
昭和10年、夏から翌年にかけて本格探偵小説への情熱が再燃する。
つまり乱歩は、昭和10年に持ち直したというか、立ち直ったというか、いったん阻喪したあとでかなりの昂揚を経験したようです。普通に考えれば、情熱が再燃するにあたって火付け役を果たしたのはフィルポッツの「赤毛のレドメイン一家」だったはずで、この年のたぶん2月、乱歩は井上良夫から借りた原書を読み、
「この一篇によって、私はもう一度探偵小説が好きになった」(探偵小説愛読記/昭和10年5月)
「『赤毛のレドメイン一家』がひどく私を喜ばせた。アア、まだこんな面白い探偵小説を読み残していたのかと、夜を徹して読み終ったあと、私の中の『鬼』がムクムクと頭をもたげ始めたのである」(「赤毛のレドメイン一家」/昭和10年9月)
「井上良夫君がフィルポッツの『赤毛のレドメイン一家』を送ってくれ、それを一読してから、私の中の本格探偵小説への情熱のようなものが勃然として湧き起った」(探偵小説十五年──「鬼の言葉」前後(その三)/昭和14年5月)
といったようなことになりました。
乱歩が赤毛を読んだのは、先述のとおり昭和10年のたぶん2月です。なぜか。末尾に「(昭和十年三月二十八日)」と脱稿の日付が入った「探偵小説愛読記」に「『レドメインズ』を初めて読んでから二ヵ月も経ってはいないのだ」とあるからで、だったら2月のことと踏んでまず間違いはあるまいと思われます。しかし乱歩は、『探偵小説四十年』に「十年の夏から翌十一年にかけて、あるきっかけから、私の心中に本格探偵小説への情熱(といっても、書く方のでなく、読む方の情熱なのだが)が再燃して」とも記しており、赤毛を読んだのが昭和10年のおそらくは2月だったんですから、ならば昭和10年の夏にはいったい何があったかのか、それが気になってくるわけです。
おとといお約束した昭和10年の年表は、なんとかあすあたりお目にかけたいと思いますということでご勘弁を願います。
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