Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2010.10.13,Wed
乱歩と本格(1)
博文館の探偵小説専門誌「探偵小説」は昭和6年9月号から翌7年8月号まで十二冊が発行された、と新潮社の『日本ミステリー事典』にあります。横溝正史が「文芸倶楽部」からその「探偵小説」の編集部に移ったのは昭和6年9月のことであった、と10月7日付エントリ「横溝正史江戸川乱歩関連年譜」には記してあったのですが、これが誤りであったことが判明しました。角川文庫『横溝正史読本』に収録された正史の年譜(島崎博さんが作製し、浜田知明さんが訂補したもの)によれば、正史が「探偵小説」編集長に転じたのは昭和7年3月のことでした。7日付エントリは訂正いたしました。
正史の「エラリー・クィーン氏、雑誌『探偵小説』の廃刊を三ヵ月おくらせること」によれば、「探偵小説」でクイーン「オランダ靴の秘密」の連載を始めた矢先、同誌の廃刊と正史の馘首が決まったそうです。「オランダ靴の秘密」が尻切れとんぼにならぬよう、正史は「探偵小説」の廃刊を三か月遅らせ、それでも収録できなかった分を「新青年」の夏期増刊に掲載することを画策、さらにこんな野望も実現させました。
そこでどうせ廃刊になるのならば、売行きなど一切顧慮せずしっかりした本格的探偵小説をぶっつけてやれとばかりに「トレント最後の事件」「矢の家」「赤屋敷」と、三ヵ月巨弾をぶっつけたのが、江戸川乱歩氏の海外本格探偵小説にたいする開眼のひとつのキッカケとなったらしい。
で、このサイトで確認してみました。
▼海外ミステリ総合データベース ミスダス:翻訳ミステリ総目録1916-2005
こんな感じでした。
和蘭陀靴の秘密
「探偵小説」昭和7年4月号から終刊号にあたる8月号まで連載され、そのあと「新青年」の夏期増刊で完結
矢の家
「探偵小説」昭和7年6月号に掲載
生ける死美人(トレント最後の事件)
「探偵小説」昭和7年7月号に掲載
赤屋敷殺人事件
「探偵小説」昭和7年8月号に掲載
乱歩が海外の本格作品に開眼したのは、正史によれば昭和7年のことなのであった、ということになります。『横溝正史読本』に収録された小林信彦さんとの対談「横溝正史の秘密」でも、正史は矢の家とトレントと赤屋敷をつづけて掲載したときのエピソードをこう話しています。
それで、乱歩が、ああいう近代探偵小説の面白さを知ったわけだよ、謎と論理のね。「なんで、あんなおもしろいもんがあるんなら、もっと早く紹介しないんだ」って怒られたこと覚えてる。
「それじゃ、江戸川先生は、その頃、原書じゃ読んでなかったわけですね」と尋ねられた正史の答えがこれ。
読んでなかったわけね。あれから読み始めたんだワ。そのとき、どういうものを見たら、ああいう小説の広告があることがわかるかっていわれたけど、ぼくにはわかんないよ、そんなこと。森下さんに聞いたらしいな。どうしてああいう原書取り寄せたらいいか、その原書の取り寄せ方、ぼくに聞いたもの。
乱歩は「探偵小説」で初めて赤屋敷を知ったわけですが、正史は神戸に住んでいた当時、大阪薬学専門学校の講義を聞きながら海外の雑誌で赤屋敷を読んでいたといいます。
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