Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2011.03.24,Thu
おかげさまで、というわけでもありませんが、しかも、大震災でこんな大変なときにこんなことを告白するのも不見識かもしれないのですが、本日ここに誕生日を迎えて、めでたく五十八歳となりました。それを記念して、といいますか、2007年9月17日に「名張まちなかブログ」というのを開設してあれこれ綴ってきたのですが、思うところあって本日をもってその更新を停止いたしましたので、これからなにかしら名張のあれこれを記すときのためのコンテンツとして、新しくこの「名張生活」というコンテンツを設けました。最初は「名張通信」にしようかと考えたのですが、おそらくは東日本大震災によって生活というもののかけがえのなさを実感させられたせいで、かかるコンテンツ名とはなった次第です。
ちなみに「名張まちなかブログ」の最初のエントリはこんなんでした。
▼名張まちなかブログ:名張まちなか定義(2007年9月17日)
9月17日は中井英夫の誕生日で、むろんそれゆえブログの開設日としたのですが、そういえばたった一度だけ謦咳に接する機会があった中井英夫は、同席していた澁澤龍彦から「中井さんいくつになったの」と尋ねられて、じつに真剣な表情で「もう六十三だよ。誰の齢かと思っちゃう」と答えていたのを思い出します。ほんと、いつのまにかもう五十八だよ。誰の齢かと思っちゃう。
先日、よく考えてみたら3月11日、つまりは巨大地震が起きた日のことですが、こんな葉書が届きました。
■20110324c
昭和29年に催された「赤ちゃんコンクール」なる催しの三重県大会伊賀地区予選で、私が堂々優勝に輝いたときの新聞記事のコピーが貼りつけられた葉書です。じつは先日、といっても1月のことですが、あるところで新しい連載を始めましたところ、ご親切なことに古い地方紙をひっくり返してその連載に必要な関連記事をチェックしてくださっている方があり、そのついでに発見したと送っていただいたのがこの葉書です。いやー、いまでは見る影もないけれど、ころころと肥って天使のように可愛かった赤ん坊時代がおれにもあったんだな、と感慨深く思い返しつつもつらつら顧みましたところ、このときの伊賀地区予選で優勝したのがわが人生におけるたったひとつの栄誉であり、それ以降は陽のあたらない人生の並木道をとぼとぼとぼとぼと力なく歩んで五十八歳か、とひたぶるに納得されるところもあり、いやほんと、誰の齢かと思っちゃう。
「名張まちなかブログ」は更新停止といたしましたが、この「名張人外境ブログ」のほうは今後ともよろしくお願いいたします。
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