Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2011.01.20,Thu
横溝正史と江戸川乱歩(11)
正史が川崎七郎名義で発表した「桐屋敷の殺人事件」は「新青年」昭和3年7月号に第一回が掲載されただけで中絶してしまいますが、正史はその理由をいっさい明かしていません。というか、正史が「桐屋敷の殺人事件」を自作だと認めたことはただの一度もありませんでした。しかしこれが正史の作品であるのは間違いないことのようで、ちょっと検索してみたらおなじみのサイトにこんなページがありました。
▼横溝正史エンサイクロペディア:川崎七郎「桐屋敷の殺人事件」
このページからの孫引きになりますが、浜田知明さんはこんなふうに考察していらっしゃいます。
*「新青年」昭和三年七月号には、川崎七郎名義の「桐屋敷の殺人事件・前篇」が掲載されています。警察による捜査・尋問を中心とした内容で、(ディクスン・力-の作品に接する以前の横溝氏の感覚での)本格探偵小説では、『芙蓉屋敷の秘密』に先立ち、これが最初の作品となるはずだったのですが、「陰獣」の原稿入手にともなう編集業の方が多忙になったためでしょうか、残念ながら「後篇」は発表されずに終わりました(改造社版<日本探偵小説全集>の内容見本には、「桐屋敷事件」の収録が予告されましたが、これも実現しませんでした)。
「桐屋敷事件」は「桐屋敷の殺人事件」の借りを返すことを目論んだ作品だったと推測されますから、この予告は「桐屋敷の殺人事件」が正史の作品であったことを示す傍証と見ることが可能でしょう。
ではここで、「桐屋敷の殺人事件」とはいったいどんな作品なのか、とおっしゃる諸兄姉のために梗概を記しておくことにいたします。
こんなふうに始まります。
一
六月の妙に空気の澱んだ夜だつた。
朝から降つてゐた雨が、夜の八時頃に上つて、明日は霽れるかと思はせる空には、千切雲が忙しく走つてゐる。青葉の香と土いきれにむせ返へるやうな空気が、生ぬるく人の頬を撫でて行つた。
新井巡査はいつもの巡廻時間に、茗荷谷の交番を出ると、一旦切支丹坂を下り、其処を左へとつて拓殖大学の正門前まで来ると、くるりと又左へ曲つて茗荷谷へと差しかゝつた。
新井巡査は巡回の途中、桐屋敷と呼ばれる洋館の二階の窓から灯影が洩れているのを認めます。それは×大学教授の川路要太郎が所有する別宅で、そのときは住人がいないはずでした。新井巡査は意を決して桐屋敷に入り、二階に怪しい男を発見して組みつきますが、強烈なアッパーカットをくらって気絶してしまいます。男は窓から飛び降り、低い塀を越えて一目散。
以上が「一」です。
つづく。
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