Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2011.01.14,Fri
横溝正史と江戸川乱歩(9)
新年早々、めでたく与太を飛ばしてしまったようです。川崎七郎の件。川崎七郎は「新青年」の昭和3年7月号だけではなく、昭和5年11月号にも姿を見せているとの教示をいただきました。この号には「仮面舞踏会~二十世紀のプリンス」と題して小品四篇を並べたコーナーがあり、目次の裏にはこんな紹介が記されているそうです。
假面を被った四個の人物。一九三〇年のプリンス達の奇
しき舞踏會。マスクの下に隠れた人物はそも何者であらう
政治家? スポーツマン? 實業家? 學者?
うち一篇が川崎七郎の「巽甚兵衛の古鞄」(p64ー68)で、ありがたいことに梗概まで教えていただきました。以下に引用。
石橋を叩いて渡る主義の高利貸し上りの守銭奴・巽甚兵衞(63歳)は、郊外電車の混雑の中で自分の鞄と他人の鞄が取り違ってしまった事に帰宅して気付いた。その中身を調べているうちに、××黨院外團・安永新八と名乗る男が訪れ、自分の鞄と甚兵衞の鞄を取り間違えたので返して欲しいと云う。しかし、因強な甚兵衞はわざと安永の鞄を自分のものだと言い張る。安永の鞄の中に入っていた書類が、世の山口大臣から船舶會社長渡辺剛右衞門へ宛てた贈物の礼状だったから。山口大臣の配下である安永は、「怪しき賄賂だと世間に知れたら国家の一大事」と困惑。この書類をネタにして自ら男爵の称号を手にせんと目論む甚兵衞。さてその結末は……?
この作品も「桐屋敷の殺人事件」と同じく単行本未収録とのことです。仮面をかぶった「巽甚兵衛の古鞄」の作者が正史であったのかどうか、もとより断定はできませんが──
▼なぜ川崎七郎に頼んだのか(2011年1月13日)
このエントリに「川崎七郎というのは正史が『桐屋敷の殺人事件』だけに使用した筆名で」と記したのは誤りであった、ということになりそうな雲行きです。少なくとも川崎七郎が二度にわたって「新青年」に登場していたことはたしかですので、とりあえずその旨をお知らせしておく次第です。
つづく。
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