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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2024.11.22,Fri
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Posted by 中 相作 - 2010.11.20,Sat
 先日、岡本経一さんの訃報に接しました。時事通信のウェブニュースを無断転載しておきます。
 
 
 岡本 経一氏(おかもと・きょういち=出版社青蛙〈せいあ〉房創業者)15日午前9時56分、急性心筋こうそくのため東京都三鷹市の病院で死去、101歳。岡山県出身。葬儀は21日午前11時から東京都新宿区上落合3の34の12の落合斎場で。喪主は社長で長男の修一(しゅういち)氏。
 作家岡本綺堂(きどう)の養子。江戸時代風俗の研究書などを手掛け、67年に菊池寛賞を受賞。(2010/11/17-11:42)
 
 十数年前に一度だけ、青蛙房に電話を入れたことがあります。むろん乱歩がらみの用件で、『文壇よもやま話』という単行本についてお訊きするためでした。電話に出てくださったのは女性の方でしたが、少しやりとりするうち、どういう話の流れだったのか、昔のことをよく知っている者が毎日、午前中だけ出社しております、と教えられましたので、それはたぶん岡本経一さんだろうなと勝手な察しをつけたことを記憶しています。訃報から逆算すれば、その当時すでに八十代なかばを迎えていらっしゃったことになるわけですが。
 
 NHKの人気ラジオ番組を活字化した『文壇よもやま話』には「江戸川乱歩の巻」というのも収められていて、青蛙房からはそのコピーを送っていただいたのですが、どうして図書館のネットワークを利用してコピーを入手せず、版元に直接電話を入れることを選んだのか、いまとなってはまったく思い出せません。ともあれ、昭和36年、西暦でいえば1961年に出版された『文壇よもやま話』がほぼ半世紀後に上下二冊本で中公文庫入りを果たし、10月にまず上巻が刊行されたという寸法です。「江戸川乱歩の巻」はこの巻に収められています。
 
 文庫化にあたって底本のテキストを重んじる、というのはしごく当然のことですが、明らかな誤植はどうすべきか。というのも、『文壇よもやま話』の「江戸川乱歩の巻」では「陰獣」が「淫獣」と表記されていて、中公文庫版にもそれがそのまま踏襲されているからです。わずか二か所の話ですが、ふたつがふたつとも「淫獣」なんですから、単行本に初めて眼を通した乱歩はあまり愉快な気分にはなれなかったことでしょう。個人的な判断をここに記しておくならば、文庫化にあたって「淫獣」は「陰獣」に改められるべきだったと判断されます。「陰獣」が「淫獣」とされていた誤記そのものに意味を認めるのであれば、たとえば「淫獣〔陰獣〕」といった補註を加えておけばいいのではないか。
 
 この「江戸川乱歩の巻」にはほかにも誤記、というよりは乱歩の言葉を正確に活字に起こせていなかったところがあって、「百本ッ」とあるのは正しくは「六ペンス本」であるということが北村薫さんによって明らかにされています。くわしくは『北村薫のミステリびっくり箱』(2007年11月12日初版、角川書店、本体2000円/2010年9月25日初版、角川文庫、本体629円)をどうぞ。六ペンス本というのは聞いたことのない言葉ですが、ウィキペディアの「ペーパーバック」の項を眺めてみたところ、イギリスのペンギンブックスは「6ペンスという薄利多売で、アルバトロス社との競争に勝利した」とありました。
 
 ちなみに『北村薫のミステリびっくり箱』にも「江戸川乱歩の巻」が収められていて、「陰獣」はやはり「淫獣」となっているのですが、これは再録ですから「淫獣」のままでなければならず、どうも気になるというのなら「淫」に「ママ」とルビを振っておくのが妥当なところではないでしょうか。
 
 中公文庫『文壇よもやま話(上)』は読売新聞の読書欄で紹介され、正宗白鳥と乱歩の言が引用されました。
 
 
 たしかに「書いてる時に人が来ると隠す。手で隠す、小学生なんかよくやるでしょう。それですね。といって、又一方発表したい性質もあるんですねえ」というのは印象的な発言です。もう少しさかのぼったあたりから引いてみましょう。
 
江戸川 いやあ、もうとにかく恥かしいんだねえ。
池島 ははあ。
江戸川 書いてるものが恥かしいんだ、僕ア。だから殊にその専門家に会うことは恥かしいんですねえ。会合なんかちっとも出なかった。もう引ッ籠って、とっても小さくなってた(笑)。今でもそういう性格ありますね。
池島 おかしいですねえ、そういう、恥かしいッてのは。
江戸川 小説でもね、書いてる時に人が来ると隠す、手で隠す、小学生なんかよくやるでしょう。それですね。といって、又一方発表したい性質もあるんでねえ。戦前はいろんな伝説が生まれたようにね、蔵ン中に閉じこもって書いた事もありますけどもねえ。蔵ン中に怪物をいろいろ……人形置いたり、お能の面を置いたりしてさ。
 
 放送された「江戸川乱歩の巻」は『北村薫のミステリびっくり箱』単行本の付録CDで実際に聴くことが可能で、それ以外には1996年にNHKサービスセンターから出た『昭和の巨星 肉声の記録 文学者編』のCD「江戸川乱歩 松本清張」にも収められていますから、こちらはそこらの図書館あたりで手にすることができるかと思います。
 
 これはごく最近気がついたのですが、今年の6月、『開高健の文学論』という中公文庫が刊行されていました。1991年に出た中公文庫『衣食足りて文学は忘れられた!? 文学論』を改題して再文庫化したもので、昭和33年9月8日の「日本読書新聞」に掲載された開高健の乱歩インタビュー「熱烈な外道美学」が収められているのですが、乱歩はここでも恥ずかしさについて語っています。
 
 「ナニ、インフェリオリティ・コンプレックスです。自分の書いたものがいやでいやでしようがなかったんです。はじめ二、三年短篇を書いているあいだはまだよかったが、それから『朝日新聞』に『一寸法師』のようなものを書きだすようになってからイケなかった。はずかしくてはずかしくて、とても人とまともに顔をあわせちゃいられなかった。書いてる原稿用紙をワッと手でかくしてしまいたいような気持でね、それが厭人主義になったんです」
 
 乱歩はほんとに恥ずかしかったんでしょう。「書いてる時に人が来ると隠す、手で隠す、小学生なんかよくやるでしょう」「書いてる原稿用紙をワッと手でかくしてしまいたいような気持でね」といった言葉には、文字どおり小学生みたいにうぶで生真面目な恥ずかしさがうかがえるような気がします。乱歩にはたとえば、猿も汗かく恥ずかしさ、などと恥の感覚を戯画めかして表現するのは逆立ちしたって無理な相談でした。
 
 ──猿の眼に沁む秋の風
 
 というのは岡本綺堂の短篇「猿の眼」に出てくる句で、旺文社文庫『影を踏まれた女 岡本綺堂怪談集』(1976年1月15日初版)巻末の都筑道夫の「解説」、これは掛け値なしの名解説なのですが、そこにこうあります。
 
 それを語りすすめていく口調が問題で、若い俳人の死を話題にするところに、「その辞世の句は、上五文字をわすれましたが『猿の眼に沁む秋の風』というのだったそうで」とある。この「上五文字をわすれましたが」というのが、綺堂の技巧のたくみさで、どんなにぴったりの上五文字をのせても、「猿の眼に沁む秋の風」の不気味さは、うすれてしまうだろう。つまり、俳句として完成させてしまっても、へたな句であっても、いけない。一部分だけをしめすから、どんな狂った神経が、この句をつくったのだろう、と考えたくなる。想像力を刺激するテクニックなのである。
 
 岡本綺堂の作品は「青空文庫」に多く収められていて、私は先日来、そのラインナップから「半七捕物帳」をPDFファイルでダウンロードし、アマゾン社の電子書籍リーダー、キンドルで少しずつ読み進めるのを日々の愉しみのひとつに数えています。
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