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Nabari Ningaikyo Blog
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Posted by 中 相作 - 2010.10.25,Mon
 乱歩と本格(8)
 
 昭和10年のことをまとめてみました。
 
 昭和10年●1935(2010年10月22日)
 
 昭和10年の夏に何があったのか。持ち直すとか立ち直るとか、そういったことを乱歩が経験したというのであれば、そのきっかけはその夏、白い服を来て乱歩の前に現れた木々高太郎であったのかもしれません。「探偵小説十五年」の「『石榴』回顧」から引用。
 
 ところが、翌十年の夏頃から、一部には「石榴」が案外不評でないことを知るようになった。最もよく記憶しているその一例は、木々高太郎君の批評であった。同君が海野十三君と連立って、私を初めて訪ねてくれた時のことである。その時木々君は麻の白服であった記憶があるから、夏のことに違いない。蔵の中で色々話している内に、話題が「石榴」に及んだので、私は「どうもあれは不評でした」というと、木々君はハッキリした口調で「私はそうは思いませんね。あれは非常に面白く読みました」と、その面白い理由を色々と思い出してくれるのであった。
 
 木々高太郎ばかりでなく中島親や野上徹夫も高く評価してくれていたことがわかり、「石榴」が「少くとも一部の読者には、そんなに不評でもなかったことが少しずつ私に分って来たのである」と乱歩はいいます。本格作品をめざした「石榴」の不評あるいは無反応にいったんへこみはしたものの、じつは買ってくれていた読者も存在していることがわかり始めてきた。それが乱歩にとっての昭和10年夏でした。
 
 1月、井上良夫との文通を開始。
 
 2月、『赤毛のレドメイン一家』を読む。
 
 5月、『日本探偵小説傑作集』編纂の話がまとまる。
 
 6、7月、「日本の探偵小説」のための読書と執筆。
 
 夏、木々高太郎の「石榴」評を聞く。
 
 9月、「ぷろふいる」に「鬼の言葉」の連載を開始。
 
 10月、森下雨村と監修した「世界探偵名作全集」の刊行開始。
 
 といったぐあいに乱歩と本格をめぐる昭和10年の動きを見てくると、あ、春秋社の長篇探偵小説懸賞募集のことを書き洩らしている、ということに気がついて冷や汗を流したりもいたしますが、この年の夏、白い服を着た木々高太郎から「石榴」を高く評価された嬉しさを乱歩が印象深く記憶していたことがわかり、「十年の夏から翌十一年にかけて、あるきっかけから、私の心中に本格探偵小説への情熱(といっても、書く方のでなく、読む方の情熱なのだが)が再燃して」と『探偵小説四十年』に記されている「あるきっかけ」を与えてくれたのは、先述のとおりもしかしたら木々高太郎だったのではないかしらと思われてくる次第です。
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