Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2010.10.25,Mon
〔*7〕
続文壇友情物語
大潟若郎
江戸川と横溝
昭和八年の秋である。雑誌「日の出」では、その小説をかいてもらうために、当時芝の車町に住んでゐた江戸川乱歩のところへ記者をやつた。ところが、乱歩は一ケ年執筆休止等を宣言したりしたあとのことで、新らしく稿を起さうといふ考へなどはまつたくなかつた。四度行つた。五度行つた。しかし、結果は同じ「かけない。」である。が、記者の方も根気よく、十数回足を運んだ。
すると、乱歩は、
「いや、君の方でほんたうに僕の原稿を要求してゐてくれるといふことがよく判つた。で、かかしてもらふことにする。が、こゝに一つおねがひがある。それは、交換条件といふのもおかしいが、君の社で横溝正史の本を出版してくれまいか。彼はいま病気で困つてゐるから、本でも出ればいくらか気も晴れよう。だから、このことを君から社の方へ相談してみてくれたまへ。」
記者が新潮にかへつてこの相談をすると、社でも出版していゝといふことになつた。で、記者がふたゝび江戸川のところへ報告に行くと、非常によろこんで乱歩が、
「それは有難う。だが、もうひとつおねがひがある。それは、君の方から横溝のところへ交渉に行く時、僕のことなどは絶対に伏せておいてもらひたい。あくまで新潮社対横溝の取引でやつてもらひたい。」
これは、乱歩の、自分の推薦で新潮社が無理に出したのではないかといふひけ目を、横溝に感じさせないためのこまかい心づかひであつた。その結果、出版されたのが、横溝正史の「塙侯爵一家」である。
「文芸通信」昭和10年4月号
江戸川乱歩『貼雑年譜』(1989年7月)
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