今年1月、名張市内の会場で三重大学の公開セミナーとして人文学部文化学科教授、尾西康充先生の講演会「江戸川乱歩の21世紀-生誕120周年記念-」が催されたことは当ブログでもお知らせしましたが、その公演にもとづいた論考が三重大学の公式サイトで読めるようになりました。
▼三重大学:江戸川乱歩と鳥羽暴動私見(PDF)いずれ「RAMPO Up-To-Date」に記載いたしますが、とりあえずお知らせ申しあげる次第です。
さて、生誕百二十年のあとは没後五十年ということになりますが、「ハヤカワミステリマガジン」「ユリイカ」「小説野性時代」につづいて、乱歩を特集した雑誌がまた揃い踏みいたしました。
▼東京創元社:ミステリーズ!vol.72 AUGUST 2015
▼探偵小説研究会:「CRITICA」第10号
▼光文社:小説宝石 最新号
本日はこれだけ、ということで。
暑い、乱歩忌だ、お盆だ、残暑だ、などと大騒ぎしているあいだ、今秋発行予定の地域雜誌「伊賀百筆」第二十五号の付録雑誌「伊賀別筆」第一号に掲載する漫才「僕の図書館戦争完結篇」がすっかりほったらかしになっておりました。
まず、関連エントリをまとめておきます。5月29日以前のエントリには、名張市議会篇と名張市教育委員会篇のそれぞれのエントリ集からさかのぼっていただければと思います。
▼2015年5月29日:漫才コース名張市議会篇エントリ集
▼2015年5月29日:漫才コース名張市教育委員会篇エントリ集
▼2015年5月31日:議長さんにお聞きしてみます
▼2015年6月02日:教育委員長と教育長にもお聞きしてみます
▼2015年6月07日:ネタあれどすきなし
▼2015年6月23日:これが図書館の館長さんどす
▼2015年6月24日:尻ぬぐいのこと確認しときますね
▼2015年6月30日:雄鶏屋ほんだわら行きまーす
▼2015年7月03日:あーこれあほさんあほさん名張市教育委員会のあほのみなさんやあーこれこれ
▼2015年7月04日:鬼火はそろそろ出るでしょう
▼2015年7月06日:話が六年ほどずれとるがな
▼2015年7月21日:床屋廃業し梅雨明けて衰退の夏
▼2015年7月22日:こちら雄鶏屋ほんだわらですが
もう三か月近く放置してますけど、漫才はこの状態。
あまりにも重たいファイルですから、写真を小さくして軽くしようかとも思ったのですが、それも面倒だからそのままにしときます。
さて、名張市議会篇は模様眺めの状態がつづいておりましたが、ここへ来てようやく動きがありました。
▼伊賀タウン情報YOU:名張市に500万円の損害賠償請求 柏議員が訴状を提出(2015年8月17日)
いささか理解しがたい展開となっておりますが、この先いったいどうなるのか、ひきつづき注視したいと思います、とかいってると、いつまでたっても漫才が完結しない気もいたしますけど。
いっぽう、名張市教育委員会篇は、6月30日付エントリ「雄鶏屋ほんだわら行きまーす」でお知らせいたしましたとおり、漫才ではなんだかまどろっこしいな、ってんでネット上から蒼き衣を纏いて金色の野に降り立ち、ローカルメティアでの地上戦に切り替えて粛々と進行中、そろそろ名張市立図書館の歴代館長を罵倒してやろうかな、といったところなんですけど、これもこの先、いったいどうなることでしょう。
むろん、最終的には、PDF版「僕の図書館戦争完結篇」にも明記しておりますとおり、名張市名物市長判断を冀う、ということになるはずですけど。
こんなテレビ番組があるそうです。
リンク先ページ右下にある予告「心も“ヒヤッ”と!? ミステリー・スイーツ」をごらんください。▼NHK ONLINE:グレーテルのかまど
「ヘンゼルが、ミステリーの巨匠、江戸川乱歩とアガサ・クリスティに捧げるひんやりスイーツに挑戦します。甘党だった乱歩が愛したかき氷、アガサこだわりのクリームソーダに、ヘンゼルが仕掛けたトリックとは?」
とのことです。
立教大学では、こんな催しがあります。
関連企画の案内はこちらです。
▼立教大学:イベント・講演会 >《東京芸術劇場×立教大学 連携講座》「池袋学」<夏季特別講座> 戦後池袋の検証~ヤミ市から自由文化都市へ~※要事前申込
▼立教大学:ニュース > 池袋=自由文化都市プロジェクトがスタート 9/12より戦後70年企画「戦後池袋 −ヤミ市から自由文化都市へ− 」を開催(2015年7月31日)>「池袋=自由文化都市プロジェクト」公式サイトはこちら / 戦後70年企画「戦後池袋 ―ヤミ市から自由文化都市へ― 」詳細プログラムはこちら
お懐かしや、この酔っぱらい渡辺憲司先生がプロジェクトの実行委員長をお務めです。
詳細プログラムもJPG画像で貼っつけときます。
ミステリー文学資料館のほうは、公式サイトではまだ案内されてないみたいなので、ツイッターを検索してみました。
「没後50年―不滅の江戸川乱歩展」ミステリー文学資料館(光文社ビル1階) 9/1~10/3 入館料300円 *9/14~22の期間中パンフレット提示にて入館無料 乱歩の魅力の源泉を同志達との交歓を通じて探る展覧会。明智小五郎が初めて登場する「D坂の殺人事件」の草稿も公開。
— Bellissima (@BellissM) 2015, 8月 9
豊島新聞はこんなあんばい。
▼豊島新聞:第3087号 2015年8月05日号 池袋のヤミ市を再考する 9月に池袋西口で大企画展
本日はこんなところです。
乱歩没後五十年のお盆休みもきょうでおしまいですが、「ハヤカワミステリマガジン」「ユリイカ」につづいて「小説野性時代」が乱歩特集を組みました。
「没後半世紀を迎えた日本探偵小説黎明期の第一人者・江戸川乱歩。 多くの傑作を遺したほか、翻訳家、批評家等としても活躍した巨星の真の姿に迫ります」とのことです。
▼角川書店:小説野性時代
さて、一気に五十年さかのぼることにして、古い資料を整理しながらYouTubeで古い怪獣映画を眺めていて、乱歩が死去した年に誕生した怪獣がいたことを知りました。
ガメラです。
だからどうなんだ、というようなことはお訊きにならないでください。
もうひとつ、その五年前のことになりますが、連続テレビドラマ「まぼろし探偵」の「地底人襲来」に、江戸山散歩という売れっ子探偵作家が登場していました。
昭和35年というと、乱歩はいまだ少年ものでは現役作家でしたから、当時の子供たちにとって親しい名前だったと思われます。
だからどうなんだ、みたいなことはほんと、お訊きにならないでくださいね。
あとまだ、いろいろ話題はあるんですけど、本日はこのへんで。
暑い。
暑い暑い。とにかく暑い。
死ぬほど暑い日がつづきましたけど、というか、きょうもすこぶる暑かったですけど、乱歩が死去した五十年前の夏、青山葬儀所で乱歩の葬儀が営まれた8月1日もまたとても暑い日だったと伝えられます。
日本推理作家協会編『1966年版推理小説ベスト24(1)』という本があって、昭和41年6月25日に東都書房から出版された一冊七百五十円の本なんですけど、「日本推理作家協会記録(一九六五年度)」というのが収録されています。
▼名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和41年●1966
古いコピー類を整理していたらそのコピーが出てきましたので、乱歩関連の記録を引用しておきます。
七月
◎ 二十八日、午後四時九分。かねて自宅において病気療養中だった、元日本探偵作家クラブ名誉会長、協会初代理事長江戸川乱歩氏が、脳出血のため逝去された。推理小説界の文字通りの大元老であり、四十年間の作家生活のあいだに、数々の不朽の名作と後進の育成に、多大の業績を残された江戸川氏は、隆子夫人をはじめ近親者や続々と詰めかけた多数の推理作家に見守られながら、大往生を遂げられた。行年七十一歳。戒名は「智勝院幻城乱歩居士」
協会では江戸川邸において緊急理事会を開催。大下宇陀児氏を葬儀委員長に選んで、葬儀は日本推理作家協会葬をもって執り行うことを決めた。
◎ 三十日、自宅において密葬が行われ、遺骸は落合火葬場において、荼毘に付された。
◎ 三十一日、政府は前日の閣議で位勲の追贈を決め、正五位勲三等を乱歩氏の霊前に贈った。この日通夜が行われ、庭内にしつらえられた席は、百三十余名の人々で埋った。
八月
◎ 一日、正午より青山葬儀所において、故江戸川乱歩氏の日本推理作家協会葬が営まれた。
大下宇陀児葬儀委員長をはじめ、在京の推理作家はすべて受付、整理、進行等の雑務を分担。葬儀は臨済宗僧侶の読経にはじまり、松本清張理事長、友人代表横溝正史氏、文芸家協会代表富田常雄氏、東京作家クラブ会長白井喬司 氏らの切々たる弔辞が霊前で読み上げられた後、真夏の炎天下に会葬者千二百名の焼香の列がつづいた。
◎ 会報八月号は十二頁におよぶ江戸川乱歩追悼特集を行った。
と、お盆ですからこんな引用もしてみた次第ですが、それにしても、ふと思いついて古いコピー類、それからリーフレットやパンフレットなんか、要するに大型封筒や段ボール箱につっこんだまま放置してあった雑多な紙を珍しく整理なんかしていると、なんかもうきりがないな、という気がしてきます。
やれやれ。
ビールでも飲もっと。
乱歩関連の古いコピーを整理していると、執筆者がすでに死去している文章、みたいなのにぶつかって、思わず感慨にふけってしまうことがあります。
訃報に気がつかなかった、あるいは、死去が報じられなかった。そうした場合、意外なところに没年が記載されているのをみて、あ、と小さく声をあげることになります。
これは以前にも記したことですが、月川和雄さんの死は南方熊楠関連のサイトで知りました。
▼南方熊楠資料研究会:月川和雄さん (1949-2008)
あと、こんなところでも。
▼Webcat Plus:古俣 裕介
こちらウィキペディア。
▼Wikipedia:高橋康雄
しかし、乱歩とは無縁ですが、最近たまたまぶっつかって、いちばん驚いた訃報はこれでした。
▼朝日新聞デジタル:ノンフィクション作家の日高恒太朗さん死去(2014年11月7日)
ちょうど十年前、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を押さえて日本推理作家協会賞評論その他の部門を受賞された日高恒太朗さんが、去年の11月3日、お亡くなりになってました。
あの年の評論その他の部門の選考にはおおいに問題があり、そのとばっちりが日高さんに及んで、なんであんな推理小説に無関係な作品が受賞したんや、無理筋すぎるやないか、あほとちゃうか、みたいなことを思った人もあったかもしれませんが、批判はむろん日本推理作家協会に向けられるべきであって、ここに謹んで日高さんのご冥福をお祈りする次第です。
▼asahi.com:名も知らぬ遠き島より 日高恒太朗さん(2006年07月16日)
しかし、六十三歳というのは、若すぎるような気もします。
というか、月川さん五十八歳、古俣さん五十二歳か五十三歳、高橋さん五十九歳、日高さん六十三歳、というのですから、私などあしたぽっくり逝っても、とか書いてるとほんとにそうなりそうですからやめといて、きのうのつづき、長沼弘毅の「鬼・乱歩」からもう少々。
乱歩は、作家としても大きな存在であったが、それよりも、ぼくは彼を、書誌学者として、また推理小説界の功労者としての価値のほうを重くみる。彼は、昭和初年の頃、ぼくに向って、「どうも想像力が弱くなって作品は、もう書けない」と、はっきり告白している。これは勇気のあることばである。自分の能力の限界を知り、自分で現役作家から引退すると明言したのは、ぼくの知っている限り、晩年の河東碧梧桐しかいない。しかし、乱歩は、その後、「幻影城」「続幻影城」「探偵小説四十年」といった後世にのこる大著述に心血をそそぐ熱情は、失わなかった。彼が、推理小説界につくした、多くの物語は、いずれ、その人を得て世に紹介されることとおもう。
「昭和初年の頃」とあるのは、ちょっとおかしいのではないかしら。
作家的想像力が枯渇して、心ならずも通俗長篇に走りました、と乱歩みずからいくたびも述懐しているのは、まさしく昭和初年のことですけど、そのあとも作品はせっせと書いてますから、この段落から総合して考えますに、昭和初年ではなく終戦直後のことだったのではないか、と思われます。
そういえば、これもコピーを整理していてぶつかったんですけど、角田喜久雄が1972年に書いた「推理小説文学論の周辺」に、こんな一節がありました。
終戦直後乱歩さんが、もう僕の時代は去った。今ジャーナリズムにもてはやされているのは木々君だからねと嘆いて、乱歩さんにもそんなコンプレックスがあったのかと私を一驚させたことがあったが、そういう時代背景の中でやがて乱歩さんを相手にして文学論を展開しはじめた木々さんの意気軒昂さは推してしるべしであろう。
終戦直後の乱歩に、もう作品は書けない、自分の時代は終わった、という自覚があった、というのはよく理解できるところです。
したがって長沼弘毅の文章も、乱歩が作品はもう書けないと口にしたのは、昭和初年ではなくて終戦直後のことであった、と理解すべきではないかと思われます。
それに、乱歩は早稲田大学在学中、品川の御殿山にあった川崎克の家で、近所に住む子供のひとりてあった長沼におはなしを聞かせてやったりしていたのですが、昭和初年になって、長沼相手にそんな苦悩を打ち明けていたとも考えにくい。
ちなみに、長沼が東大を出て大蔵省に入ったのは昭和4年だったそうですが、昭和初年にふたりが顔を合わせる機会なんてなかったのではないか、とも思われます。
だから、やっぱ昭和初年じゃなくて終戦直後のことだったんじゃねーの? と私は思います。
いくらお役人嫌いの私でも、だから元官僚のいうことなんてあてにならんのだ、とまではいいませんけど。
それに、還暦祝賀会で俳壇引退を表明した河東碧梧桐と、正式に引退表明したことなんて一度もない乱歩をいっしょくたにしてんじゃねーよ、という気もいたします。
だから元官僚なんて信用できないっていってんだろ、なっ、とはいいませんけど。
7月29日を迎えました。
どんな乱歩忌をお過ごしだったでしょう。乱歩忌の前日、ラジオではこんなおはなしが。
▼NHK Online:先読み!夕方ニュース:「没後50年 いまも人々を魅了する江戸川乱歩」
しかし、さすがに、お子供衆に「孤島の鬼」をお薦めするのはいかがなものか、とも思われますけど、没後五十年を迎えて乱歩人気いよいよ高し、ということを雄弁に物語る放送であるといえます。
さて、五十年前、1965年の7月29日、中井英夫は日記にこう記しました。
七月二十九日
乱歩が死んだ。
人間の中に稀れに生じた──それも日本人の中に──悪の美しさを見る眼の持主。その人は日本人のおそらくは九〇パーセントにその妖しい戦慄を教え、そしてせいぜい紫綬ホーショーなんぞというささやかな報いを得たのみで死んでしまった。
生前、二度だけ会い、その印象は苦いものだったが、ともかくも元気なうちに『虚無』の前半だけ読んでもらえたこと、一応ホメてもらえたことが、侘しい微笑を誘う。そして当然の約束のように、後半は読んでもらえず、それが推理小説なるものの墓標である意義をまた加えた。あの小説が出て、たちまち推理小説そのものが凋落し、そして乱歩さえ死んだことを、そのうち気づくひとがいるだろうか。
『虚無への供物』の出版は乱歩が死去する前年のことでしたが、そのあとたちまち推理小説が凋落したのかどうかは別として、1966年刊行の『一九六六年版推理小説ベスト24 1』に収録された中島河太郎先生の「推理小説界展望」は、こんな文章で始められていました。
戦後二十年が終ろうとするときに、わが国の推理小説を育成した功労者が、三人も続けざまに亡くなられた。
五月十六日に森下雨村氏を失い、七月二十八日に江戸川乱歩氏を、続いて三十日には谷崎潤一郎氏の訃報をきいた。相次ぐ悲報に一時は茫然となったが、この三元老の逝去をもって、旧探偵小説時代は名実ともに、終焉を迎えたという感慨は蔽えない。
で、推理小説界はどんな状況であったか。
いわゆる社会派ミステリーの流行以来、推理小説の取材がますます拡大されて、産業経済物、法廷裁判物、スパイ物、海洋山岳物など、多彩な範囲にわたっている。例えば藤村正太は「外事局第五課」で、南ベトナムへの武器輸出をとりあげ、三好徹は「野望の猟犬」で、ダムの不正入札をめぐって、政界財界のくされ縁にメスを入れている。作家は国際・国内の政治まで、ミステリーの対象にするなど、旧時代の探偵小説が個人や一家内の軋轢抗争を描いてばかりいたことを思えば、社会小説への密着が指摘されよう。
推理小説の社会小説化、風俗小説化が滔々たる風潮だとすれば、その純粋種の維持が深刻な問題となるだろう。昭和四十年を顧みて、推理小説として目ぼしい収穫がどれだけあったろうか。雜誌は減ったまままだし、叢書シリーズの企画も新鮮味に乏しかった。「横溝正史傑作選集」(東都書房)、「角田喜久雄事件小説シリーズ」(青樹社)、「山田風太郎推理全集」(東京文芸社)、「梶山季之傑作シリーズ」(講談社)、「黒岩重吾傑作シリーズ」(講談社)、「戸川昌子傑作シリーズ」(講談社)、「笹沢左保選集」(芸文社)、「大藪春彦活劇選集」(徳間書店)、「日本推理小説代表作選集」(光文社)などがあったが、ほとんどが場当りのもので、周到な用意をもって編まれたものではなかった。
まあ、そういうことだったようです。
中井英夫といえば、鶴見俊輔さんの訃報が伝えられました。
日本推理作家協会賞のことが書かれておりますので、毎日の記事を無断転載。
毎日新聞 > ニュース > 総合 > 記事
訃報:鶴見俊輔さん93歳=哲学者、評論家
毎日新聞 2015年07月24日 09時26分(最終更新 07月25日 04時37分)
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鶴見俊輔さん=2007年、幾島健太郎撮影
写真特集へ
思想史や大衆文化論で独自の思想を展開し、反安保、反戦平和など戦後の市民運動で中心的な役割を果たしてきた哲学者で評論家の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)さんが20日午後10時56分、肺炎のため京都市内の病院で死去した。93歳。遺言により葬儀は行わず、22日、近親者で火葬を終えた。
父は、政治家で厚相(現厚生労働相)も務めた祐輔、母方の祖父は、満鉄(南満州鉄道)の初代総裁で外相なども歴任した後藤新平。1922(大正11)年、東京で生まれた。15歳で渡米し、42年、ハーバード大哲学科卒。日米開戦後、米当局にアナキスト(無政府主義者)の容疑をかけられ逮捕されるが、同年に日米交換船で帰国した。戦後の46年、社会学者で姉の和子や経済学者の都留重人(つる・しげと)、政治思想家の丸山眞男らと雑誌「思想の科学」を創刊(休刊は96年)。同時に思想の科学研究会を設立し、「転向」についての共同研究など独創的でユニークな研究を主導した。
京大助教授を経て、54年に東京工業大助教授になるが、60年、安保改定強行採決に抗議し辞任。61年に同志社大教授になったが、70年、学園紛争での機動隊導入に抗議して再び職を辞した。原水爆禁止運動など反戦平和運動の他にも、ハンセン病患者の社会復帰のための運動などに参加した。
特に、65年には小田実らと「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」を結成し、米国のベトナム侵攻に抗議するとともに脱走米兵を援助した。
米国のプラグマティズム(実用主義)の思想を日本に紹介。狭義のアカデミズムの枠にとらわれず、民衆の意識や関心に視点の中心を据え、日本社会の近代化の過程を分析した。当初、米国の論理学者、C・S・パースらのプラグマティズム論理学に依拠して議論を展開したが、「日常的思想の可能性」(67年)、「限界芸術論」(同)、「漫画の戦後思想」(73年)などで大衆文化を掘り下げ、日本人の思考様式の非合理性を批判した。04年6月には、憲法第9条を守る「九条の会」の呼びかけ人(9人)に名を連ねた。
転向の意味を問い直した「戦時期日本の精神史」で82年の大佛次郎賞を受賞。90年、「夢野久作」で日本推理作家協会賞、94年度に朝日賞、07年度には「鶴見俊輔書評集成」(全3巻)で毎日書評賞を受賞した。
他の主な単著に「不定形の思想」、「アメリカ哲学」、「柳宗悦」、「戦後日本の大衆文化史」、「鶴見俊輔集」(正・続、全17巻)など多数。
個人的には1979年の平凡社選書『太夫才蔵伝 漫才をつらぬくもの』が印象に残っておりますが、ここはやはり、ご冥福をお祈り申しあげつつ、2010年の岩波新書『思い出袋』から引用。
戦中の杖
江戸川乱歩(一八九四ー一九六五)は、大正から昭和にかけて探偵小説家の代表だったが、時代が窮屈になって、作家としての活動をせばめられた。しかし乱歩は、 軍国主義に押しつぶされる作家ではなかった。この時代の中で、彼は自分の内部に降りてゆき、まったく自分本位の『貼雑年譜』九冊をつくる。軍国時代に、乱歩は、自分が有名だった時代の新聞広告を切り取り、貼りまぜてたのしんでいた。かつての名声が戦中の彼の支えとなる。
昭和五年(一九三〇年)、三十六歳。
「大イニ調子ヲ下ゲ、大イニ虚名ヲ売リシ年。」「初メテ講談社ノ雑誌ニ執筆〔それまでは『新青年』が多い〕。オ世辞ト稿料ニコロビシ也。」
そしてそこに広告を貼る。
〈小説読むなら講談倶楽部 江戸川乱歩先生名作発表。奇々怪々!素敵に面白い大探偵小説『蜘蛛男』 美人の行方不明!謎の大犯罪!〉
この小説を子どもの私は胸をおどらせて読んでいた。
以下、もう少しつづきますが、朝からむしむしと不快に暑いため、ええもう面倒な、とやけになって略します。
7月28日となりました。
奇しくもきょう、ハワイのマウイ島でTPPの閣僚会合がスタートし、知的財産権をめぐる協議が進められると伝えられますが、著作権の問題は結局、こんなところで落ち着きそうです。詳細はこちらでどうぞ。
▼毎日新聞:TPP:「著作権」決着へ 「死後70年」と「非親告罪」(2015年7月27日)
乱歩作品は来年1月1日からパブリックドメイン、というわけです。
さて、さすが没後五十年、おなじみの雑誌が乱歩を特集しました。
▼Hayakawa Oniine:ミステリマガジン2015年9月号
▼青土社:『ユリイカ 2015年8月号』
どちらもまだ見たことないんですけど、さっそく購入しなければ。
いっぽう、乱歩生誕地の名張市では、没後五十年といってもほんとになんにもなくて、相変わらずしーんと静まり返ってますけど、きのうあたり、こんなツイートが。
江戸川乱歩の没後50年になるのか。以前、三重県名張市の生家を見に行ったけど、発見できなかった。国道の案内標識の所を曲がったら、後は目印も何もなかった。見逃しただけかも。
— 誰とはイワン30th@奈良市 (@dare_iwan) 2015, 7月 27
見逃したんじゃなくて、目印はなにもありません。
乱歩生誕地碑広場へ自動車でたどりつくのは、かなりの難事です。
というか、自動車の通れない狭い路地沿いにありますから。
1972年に発行された現代推理小説大系1『江戸川乱歩』の月報に角田喜久雄の「乱歩さんの先祖」という随筆が、乱歩生誕地碑の横に立つ角田の写真とともに掲載されているのですが、その結びの段落に四十四年前の乱歩生誕地碑が出てきます。
中島河太郎、山田風太郎、千代有三、日影丈吉、大河内常平、山村正夫などの諸君と一緒に、私は毎年乱歩さんの命日には、多磨墓地にあるその墓に詣でることにしているが、昨年は、前記の若い友人達と吉野から飛鳥にかけて旅行した帰途、乱歩さんの生まれ故郷である三重県の名張市に立寄った。まだ俗化の垢にも余り染まっていない清潔なその小都市は人情もまた厚く、食堂の小娘まで乱歩さんの生誕地をよく知っていて親切に道を教えてくれた。行きついた所に幻影城と刻んだ生誕碑がたっていた。もともと病院の敷地だったらしく、石碑は増築された病棟の間に窮屈そうにたってはいたが、周囲は屑一つなく清掃され、誰の心遣いか碑前には新しい花と供物がそなえてあった。
乱歩生誕地碑に花や供物を捧げる市民もいなくなり、というか、おまえが供えろよ、といわれそうな気もいたしますけど、とにかくわれらが名張市、いまよりずっといい感じのまちだったような印象です。
いやまあ、いまもいいまちではありますから、乱歩ファンのみなさん、一度はぜひお運びください。
廃墟めぐりの興趣も、たっぷりお楽しみいただけるものと思います。
それでは、きょうも一日、いいだけ暑くなりそうですけど、どうぞお元気で。
暑いです。
暑い日がつづきます。乱歩没後五十年の年も、いよいよ乱歩忌の前日となりました。
いやー、もう五十年か。
五十年前の夏、乱歩が世を去ったのか。
いろいろ感慨深いものをおぼえます。
五十年前の乱歩といえば、じつはもう過去の作家で、五十年後にここまでの人気を誇っているであろうとは、当時の誰ひとりとして夢にも思っていませんでした、と思われます。
試みに、乱歩逝去の年の1月、大衆文学を特集した「國文學」の臨時増刊号を引っ張りだして、といってもコピーなんですけど、そこに掲載された乱歩論の冒頭を引いてみましょう。
筆者は久保田芳太郎。
▼Wikipedia:久保田芳太郎
上の記事には没年が記されてませんけど、下のブログ記事によれば「ある時忽然として世を去られた」とのことです。
▼Prof.Rymbow's Photo Diary:久保田芳太郎先生(2010年11月23日)
ともあれ、久保田芳太郎「江戸川乱歩」の冒頭です。
探偵小説家江戸川乱歩と言えば、小説好き、いや少しでも本を読むような人なら誰でも知つている。またスリラー小説ファンにとつて、乱歩という名前は、探偵小説ないし推理小説の創始者として忘れがたいものだろうし、ふかく脳裡に刻み込まれていることであろう。といつて、こう書くぼく自身は、けつして推理小説の忠実なるファンではない。ただ、少年の頃、ひとりひそかに乱歩の探偵小説、たとえば『怪人二十面相』『妖怪博士』とか『孤島の鬼』とかを、胸をどきつかせながら読んだ記憶だけがあり、それ以来今日にいたるまで、ほとんど推理小説というものを読まないでいる。では、なぜ探偵小説ないし推理小説についてズブの素人であるこのぼくが、こともあろうに推理小説の元祖のひとりとして自他ともに認めている江戸川乱歩を論じようとしているのか。それはほかでもない、少年の頃どうして江戸川乱歩の小説に魅せられたかという理由を、ここでひとつ解明してみようと思つたからだ。
そういうわけで、江戸川乱歩論を書く必要上乱歩の著作を読もうかと思い、推理小説好きの知人に借りようとしたところ、あいにく乱歩の本を持つている人もいなかつた。そこで本を求めようと神田の古本屋を気軽くあさつてみた。が、意外と乱歩の著書は少く、やつと某書店で数年前に発行された桃源社版『江戸川乱歩全集』全十八巻を買つたしだいであつた。以上のように、現在乱歩の著作がもはや発行されていないということは、かれはすでに現役作家ではなくて古典作家だということを物語つているのであろう。
ところが、乱歩作品はいまでもばりばりの現役なんですから、ほんとに驚いてしまいます。
ところで、いま気がつきましたけど、この久保田芳太郎による文章が、乱歩生前最後の乱歩論、ということになるみたいです。
▼名張人外境:乱歩文献データブック > 昭和40年●1965
いやー、なんかもう、万感こもごも、ひしひしと胸に迫ってまいります。
きのうにつづいて、漫才コースです。
というか、乱歩の忌日が近づいてきました。7月28日の火曜日です。
乱歩生誕地の名張市では、関連イベントみたいなものは、これといってとくになにもないみたいです、
というか、漫才のおはなしなんですけど、漫才ではなんだかまどろっこしいので、このエントリにも記しましたとおり──
▼2015年6月30日:雄鶏屋ほんだわら行きまーす
乱歩没後五十年にことよせて、既存のローカルメディアに雄鶏屋ほんだわらをデビューさせました。
「伊賀一筆」第一号にも記しましたとおり、乱歩ファンのみなさんには諦めたり絶望したりしていただくしかないわけで、そのあたりのことはもういいとしても、名張市立図書館が所蔵している寄贈図書はどうなるのか、これはなにしろ相手のあることで、げんに私など先様からおりにふれて、名張市立図書館は寄贈図書をどうする気なのかしら、みたいなお尋ねをいただいている次第でもあり、いつまでも死蔵して知らん顔をつづけているわけには行かない問題です。
ところが、どんなことにも平気で知らん顔をつづけられるのがお役人というものであって、私もつくづく困ってるんですけど、しかしそもそも、図書館であれ、教育委員会であれ、なにをどうすればいいのかちゃんと考える、なんてことはまったくできません。
それはもう、やみくもに収集した乱歩関連資料をどうすればいいのか、なにも考えられなかったのとおんなじことなんですから、ご寄贈いただいたみなさんの声を私が代弁して、寄贈図書をどうする気なのかしら、と図書館や教育委員会に問いただしてみたところで、まともな答えは返ってきません。
いやー、いったいどうすればいいのかなあ、みたいなことをローカルメディアで記事にするべく、とりあえずあれこれ書いてるわけですけど、ふと思いつきましたので、過去の記事で使用した写真をご紹介しておきましょう。
上は「伊賀別筆」第一号のPDF版でもご覧いただいた写真ですが、この路地を手前から奥へ進むと、下の写真の奥から手前へ出てくることになります。
で、路地沿いの乱歩生誕地碑広場に建つ生誕地碑に刻まれた乱歩の揮毫による幻影城という文字がこれです。
この碑が除幕されてから、今年で六十年。
乱歩が死去してから、今年で五十年。
名張市ではとくになんにもありませんけど、乱歩没後五十年の夏を衰退一直線の名張のまちで過ごしてみたい、とおっしゃるかたは、どうぞお気軽にご連絡ください。
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