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Nabari Ningaikyo Blog
Posted by - 2025.03.14,Fri
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Posted by 中 相作 - 2018.06.02,Sat
ウェブニュース

高知新聞
 平成30・2018年5月27日 高知新聞社

小社会 何とストレートな感情の表現であろう。「僕ハ独リ…
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小社会 何とストレートな感情の表現であろう。「僕ハ独リ…

(2018.05.27 08:00)

 何とストレートな感情の表現であろう。「僕ハ独リボツチデ淋イヨ」。そう書いたはがきの主はロンドンに国費留学していた文豪夏目漱石。ドイツ留学組の友人らに心情を吐露している。

 漱石が異国で、神経衰弱に陥るほど孤独に苦しめられたことはよく知られる。それにしても「独リボツチ」「淋イヨ」とはいささか子どもじみていないだろうか。同時期の書簡には随分、立派な内容のものも多い。

 はがきの内容は全集に掲載されていたが、所在不明だった原本が福井市内の古書店で見つかった。心を許せる友への人間漱石の叫びだろうか。漱石は留学中、妻の鏡子あてに「おれの様な不人情なものでも頻(しき)りに御前(おまえ)が恋しい」と書き送った。

 書簡ではないが、作品を通じて文人の新しい素顔が浮かび上がることがある。例えば最近では探偵小説家の江戸川乱歩。乱歩の小説は耽美(たんび)で退廃的、残虐な描写も多い。これが戦時下の言論統制に引っかかり、一般には発表できなくなった。

 このため戦時中は筆を折ったとされている乱歩だが、意外なところに発表の場はあった。海軍省の外郭団体の会報だ。ただ乱歩が当局ににらまれていたのは事実らしい。その理由は「エドガー・アラン・ポーをとっているのはいけない」。米作家の名を借りるのは敵性だった(「文壇よもやま話」)。

 未発見の書簡の原本や埋もれた作品から、作家の肉声が聞こえてくるようだ。
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Posted by 中 相作 - 2018.06.01,Fri
新聞

福島民友新聞
 平成30・2018年5月29日 福島民友新聞社

ぼくらは少年探偵団
 阿部正栄
 コラム〈みんゆう随想〉

 みんゆうNET:Home
Posted by 中 相作 - 2018.06.01,Fri
ウェブニュース

中日新聞 CHUNICHI Web
 平成30・2018年5月24日 中日新聞社

外国人に観光お助け地図 鳥羽商議所
 西山和宏
 Home > 三重 > 5月24日の記事一覧 > 記事

2018年5月24日

外国人に観光お助け地図 鳥羽商議所

 

完成した地図を紹介するダグラスさん=鳥羽市大明東町で

 外国人観光客が鳥羽市の街歩きをしやすいように、英語マップを鳥羽商工会議所(同市大明東町)が製作し、五月から配布を始めた。英語で意思疎通できる店舗を示すなど外国人観光客の利便性に配慮した内容で、関係者はインバウンドの拡大を期待している。

 マップはA3判で、表に市中心部の名所や店舗の地図を、裏では五十五店舗や離島を文章で紹介。縦の四つ折りで携帯しやすいよう配慮した。

 店舗はレストラン、海産物飲食店やカフェなどに分け、携帯電話やパソコンでインターネットに接続できる「フリーWi-Fi(ワイファイ)」の有無、メニューに写真があるかなどをマークで分類した。英語が使える店については、あいさつ程度、会話の二段階で示している。菜食主義の人にも配慮し、野菜のみのメニューが食べられるかも記した。

 店舗の調査は、皇学館大(伊勢市)の学生グループが担当。その情報を基に、同商議所職員のクリストファー・ダグラスさん(38)がパソコンでデザインした。平易な英語を心掛け、鳥羽城跡、ミキモト真珠島、江戸川乱歩館など市内の名所を紹介。緊急時に使う一一〇番や一一九番の説明のほか、震災時には、外国人になじみの薄い公的な放送や、ホテルのスタッフなどの指示に従うようアドバイスしている。

 一万部を製作し、市観光案内所、ミキモト真珠島、大手旅館などで配布している。ダグラスさんは「店舗紹介は四十店を予定していたが、膨れ上がり、レイアウトに苦労した」と振り返り、「真珠島や鳥羽水族館だけでなく、多くの外国人観光客が市街地にも足を運んで鳥羽を楽しんでほしい」と話している。

 同商議所は今回のマップを基にして、中国本土で使われている簡体字、台湾や香港の繁体字の二種類の中国語でも製作する。

 (西山和宏)
Posted by 中 相作 - 2018.05.31,Thu
新聞

中日新聞
 平成30・2018年5月15日 中日新聞社

横光利一生誕120年 冊子を刊行/母校の上野高同窓会と研究会/伊賀ゆかりの小説家 乱歩との関わりも紹介
 飯盛結衣
 14面《伊賀版》

 

 中日新聞 CHUNICHI Web:Home
Posted by 中 相作 - 2018.05.30,Wed

 私はミステリ小説ファンというわけではまったくないのですが、それでもふと、5月もそろそろおしまいなのに今年の乱歩賞はいったいどうなってるのかな? と気になって日本推理作家協会の公式サイトを覗いてみたところ、乱歩賞のことはわかりませんでしたけど、こんなページを見つけて驚きました。

 日本推理作家協会:日本推理作家協会70周年 書評・評論コンクール

 第三回の奨励賞を獲得した秋永正人さんとおっしゃるのは、こんなところで個人情報を明かすのもどうかと思いますけど、もしかしたら私が存じあげてる秋永正人さんなのかもしれません。

 だとしたら、というか、だとしなくても、とにかくおめでたい話です。

 日本推理作家協会やそのあたり界隈の関係各位のみなさん、秋永正人さんをどうぞよろしくお願い申しあげます。

 さてそれで、しっかし名張市はなあ、という話題に入ります。

 このつづきです。

 2018年5月25日:徳島県で西城秀樹さんと大杉漣さんを偲ぶ

 5月28日月曜、こんな「市長への手紙」を送りつけましたけん。

 件名は「大連投中止のお知らせ」でした。

 お世話さまです。

 5月7日月曜から11日金曜にかけての「連休明け嵐の大連投」へのお答え、ありがとうございました。

 しかし、畳みかけるように質問をお送りしても職員のかたの負担が増えるばかりで、そのせいもあるのか、ますますまともなお答えがいただけなくなってくるように思われますので、以後、連投は差し控えることにいたします。

 また、「連休明け嵐の大連投」へのお答えに関して、新たにあれこれお聞きしたいことも出てまいりましたが、5月11日付「市長への手紙」に対する5月18日付ご回答に絞ってお聞きすることにいたします。

 まず、ご参考までに下記リンク先のブログ記事をお読みいただければと思います。

http://nabariningaikyo.blog.shinobi.jp/Entry/5252/

 さて、煩をいとわず記しますと、4月13日付メールで、

 「乱歩関係資料を収集する方法として、購入はせず書誌データだけを収集して記録しておくことについては、貴重なご提案として受けとめさせていただきます。しかしながら、資料の購入に掛かる経費は必要としないものの、日々の出版情報の中から乱歩関係資料となる書誌データを収集し、それを記録するためには、それなりの時間と労力を継続してかけていく必要があります。したがいまして、市立図書館の運営形態の現状の中でそういったことができるかどうかについて見極めてまいりたいと考えています」

 とのご回答をいただきましたので、5月11日付「市長への手紙」で、「日々の出版情報の中から乱歩関係資料となる書誌データを収集し、それを記録するためには、それなりの時間と労力を継続してかけていく必要があり」、「現状の中でそういったことができるかどうかについて見極めてまいりたい」とおっしゃる点に関して、次のとおりお聞きいたしました。

 「名張市立図書館には乱歩関連資料を収集する能力がない、というのは名張市長の公式見解であると認識してよろしいでしょうか」

 それに対し、5月18日付メールで、

 「平成30年4月13日付で回答いたしましたように、乱歩関係資料を収集する方法として、購入はせず書誌データだけを収集して記録しておくことについては、貴重なご提案として受けとめさせていただいています。そして、そのことを実行してく方法について市立図書館の運営形態の現状の中で見極めてまいりたいと考えています」

 と、なんとも見当はずれなお答えを頂戴しました。

 どう見当はずれなのか、ややくわしいことは下記リンク先のブログ記事でお読みいただければと思います。

http://nabariningaikyo.blog.shinobi.jp/Entry/5274/

 では、ここで質問です。

 名張市立図書館には「日々の出版情報の中から乱歩関係資料となる書誌データを収集し、それを記録する」こと、すなわち乱歩関連資料を収集する能力がない、というのは名張市長の公式見解であると認識してよろしいでしょうか。

 以上です。

 なお、これはまだ少し先のことで、いまだ本決まりになっていないことですが、ミステリ小説愛好家団体の全国大会が9月、伊賀地域で開催されるかもしれません。

 もしも本決まりになりましたら、名張市立図書館乱歩コーナーの見学なども日程に組み込まれる予定とのことで、そのおりには貴職のご挨拶のほか、図書館関係者による乱歩コーナーのご案内と乱歩関連資料のご説明など、お願いすることになるものと思われます。

 よろしくお願い申しあげます。

 ポイントは何か。

 いつもゆうとることですが、名張市立図書館にはまともな資料収集なんてとてもできないの。

 それはもう開館当初からずーっとそうなの。

 そもそも図書館の人間が何もしようとしないせいで、その尻ぬぐいとして罪もない一般市民である私が滅私奉公で乱歩関連資料の目録つくったりしてたわけですから、そりゃもう内情はいいだけ無茶苦茶なの。

 そんなのはもはやどうしようもないことですし、私には関係のないことでもありますけど、しかし、この国にひとつくらい、乱歩関連資料をまともに収集してる図書館があってほしいな、とは思います。

 切実に思います。

 私の手もとにある乱歩関連資料も、いずれそのまともな図書館に引き取ってもらえたらいいな、とも思いますし。

 だから名張市立図書館には、いろいろ見極めましたんですけど手前どもには資料の収集だの体系化だの活用だのはとても無理だということが判明いたしました、と正直に打ち明け、やみくもに買い集めただけで死蔵しつづけてる乱歩関連資料を、というのはもちろんいわゆる図書のことであって、乱歩の遺品をはじめとした展示品や陳列物はそのまま乱歩コーナーに飾っといていただきゃいいんですけど、ちゃんと活用してくれるところにそのいわゆる図書を譲り渡す方途を考えてもらいたいの。

 そんな都合のいい相手は存在しないであろうな、とは思いますけど、とりあえず現状を曇りない眼で直視することが必要です。

 しかし、なにしろお役人ですから、自分たちの非は絶対に認めません。

 手前どもは無能でございます怠慢でございますとは、口が裂けてもおっしゃいません。

 だから、もう市長判断でいいじゃん、というのがポイントです。

 あっちこっちつっつらついてさしあげたところ、「日々の出版情報の中から乱歩関係資料となる書誌データを収集し、それを記録する」「そういったことができるかどうかについて見極めてまいりたい」と決定的な言明が飛び出したわけなんですから、さすがにもうここらでおしまい、ノーサイドってことでいいんじゃないの? と思います。

 早くノーサイドにして次のステップへ進み、乱歩関連資料のまともな収集を手がける公立図書館なり公共施設なりが一日も早くこの世に誕生するために名張市はいったい何をすればいいのか、みたいなことを考えていただく場を設定していただきたいものだと思います。

 全国のミステリ小説ファンもおおいに注目してくれることでしょう。

 呵々。
Posted by 中 相作 - 2018.05.30,Wed
ウェブニュース

47NEWS
 平成30・2018年5月24日 全国新聞ネット

乱歩ら、言論統制下も執筆続ける|海軍関連の会報で事前検閲なく
 Home > 社会 > 記事

乱歩ら、言論統制下も執筆続ける
海軍関連の会報で事前検閲なく


2018/5/24 10:58
©一般社団法人共同通信社

 

海軍省の外郭団体「くろがね会」の会報(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター提供)

 戦時下の言論統制で作品の発表の場を奪われた江戸川乱歩ら探偵小説作家たちが、海軍省の外郭団体の会報に随筆を寄稿し、戦時中も執筆を続けていたことが、立教大の石川巧教授(日本近代文学)の調査で分かった。26日に東京都内で開かれる日本近代文学会春季大会で発表する。会報は当局の事前検閲の対象外だったとみられ、作家が一定の自由を得て執筆していたことがうかがえる貴重な資料だ。

 乱歩らが寄稿したのは、海軍省の外郭団体「くろがね会」の会報「くろがね」。乱歩の蔵書や遺品を管理する立教大や、神奈川近代文学館が所蔵していたが、詳細な研究は行われてこなかった。
Posted by 中 相作 - 2018.05.29,Tue
演劇

回路R朗読サスペンス劇場スペシャル
 平成30・2018年4月22日
 高円寺HACO(東京都杉並区高円寺南3-69-1)
 ・追加公演
 平成30・2018年5月27日
 高円寺HACO(東京都杉並区高円寺南3-69-1)

黒蜥蜴

原作:江戸川乱歩
脚本・演出:森本勝海
出演:山畑恭子、林正樹、服部敬子(かみありつき=追加公演)、ミハル、千葉こず恵、吉村香澄


 

 

 ミステリー専門劇団回路R:Home
Posted by 中 相作 - 2018.05.28,Mon
雑誌

探偵随想 第131号
 平成30・2018年5月25日 秋田稔
 B5判 12ページ

 

とりとめのない話
 秋田稔
《余風》
Posted by 中 相作 - 2018.05.27,Sun

 にこ前のエントリに無断転載した写真、つまりこれですけど──


 この「くろがね叢書」第十七輯には乱歩の「二銭銅貨」と「黒手組」が収録され、第二十輯には「灰神楽」も入ってます。

 名張人外境:江戸川乱歩著書目録 > 昭和19年●1944

 『江戸川乱歩著書目録』をつくるため旧乱歩邸の蔵書調査に潜り込んだとき、平井隆太郎先生から、くろがね叢書は「もう一冊ありましたよ」と教えていただきました。

 つまり、第十七輯、第二十輯のほかにもう一冊ということなのですが、いまに至るも三冊目が確認できておりません。

 こちら「怪の会」関係者のかた作成のリスト。

 大衆文学・探偵小説資料館:くろがね叢書

 国立国会図書館にも、第十三輯、第二十三輯、第二十七輯の三冊しかないみたいです。

 三冊目は確認できないままで終わりそうだな、と思います。
Posted by 中 相作 - 2018.05.27,Sun

 いっこ前のエントリに無断転載した共同通信配信の「言論統制下も執筆続ける 乱歩ら、海軍関連の会報で」に、乱歩が「くろがね」に発表した「江田島記」が出てきます。

 どんな訪問記か、とお思いのかたもおありでしょうから、江戸川乱歩推理文庫59『奇譚/獏の言葉』から全文を転載しておきましょう。

 ただし、ルビは省き、あまり詰まってるのもあれですから、段落間に一行空きを設けることにいたします。

江田島記

 十一月十四日の海軍兵学校卒業式見学旅行に、くろがね会からは笹本寅、摂津茂和、秦賢助の三君と私とが参加した。ほかに同行者は海軍省詰記者倶楽部「黒潮会」の各社記者諸君、写真班員、婦人雑誌代表、日本映画社のニュース班など約三十名であった。

 十一月十一日夜出発、十二日夕呉市着、同市古林旅館に合宿、翌十三日、一同江田島に渡り、着任間もなき兵学校校長井上成美中将に挨拶、副官室に於て先任副官前川中佐、監事近藤少佐から卒業式当日の次第を聞き、式場内整列の位置、御差遣高松宮殿下奉迎送の堵列順序などにつき打合せの後、近藤少佐の案内で校内見学、生徒自習室、洗面所、寝室などを見せて貰い、生徒の日常生活について説明を聞き、それから大講堂、八方園神社、教育参考館などを巡覧した。これら生徒の日常、校内の模様については、昨年くろがね会幹部諸君が見学、夫々発表された通りである。十三四日の両日にかけて我々の案内役を引受けて下さった近藤賢一少佐の懇切丁寧な誘導ぶりには一同大いに感謝した。印象的な八字髭、鄭重な言葉遣い、説明中口をついて出る諧謔、身振り手振り、チョコンとあみだに冠った軍帽、しかもこの飄逸の中に時々ピリッとした軍人魂が鋒鋩を現わす所など流石と肯かれ、作家一同甚だ好印象を受けたのである。

 江田島は唯一の旅館も民家も、卒業式参列の為遥々全国から来島した卒業生の親御さん達で一杯なので、我々の宿泊する余地なく、その日は呉の旅館に引返し、翌十四日朝いよいよ卒業式に列するため、一同モーニング又は儀礼章をつけた国民服に着更えて、再び江田島に渡った。九時三十分、御差遣宮御召艦入港、十時御上陸、我々一同は、文武官、生徒、父兄などと共に、校内桟橋から大講堂御休憩所までの御道筋に堵列奉迎、十時三十分殿下には海岸砲台屋上より、校庭及海上に於ける卒業生の作業を台覧、我々見学の一行は桟橋附近に集合して之を拝観することを得た。台覧作業はカッター競漕、無線通信作業等であった。

 十一時、大講堂に入り所定の位置につき、三十分に亘る荘厳なる卒業式典に列した。正面壇上に御直立の御差遣宮殿下の聖なる御姿の御前に、軍楽隊の奏する「誉の曲」の繰返し鳴り渡る中を、此度御卒業の久邇宮徳彦王殿下を御先頭に、卒業生総代、修業専修学生総代、十二名の優等生が次々と壇上に登り、証書、御下賜の短剣を拝受した。その間、奏楽と拝受者の名を呼び上げる声の外は場内寂として声なく、我々は直立不動の姿勢をつづけて、正面の聖なる御姿を拝し、その御前に次々に最敬礼して引下る卒業生のはれがましい動作を見守ったのである。今にして思えばこの日は遥か南方に於て第三次ソロモン海戦の戦われていた日である。十二日から十四日にかけて敵艦船二十数隻を屠ったが、我も亦戦艦一隻を失い、一隻大破され、大東亜戦史上最も銘記すべき日であった。将来の帝国海軍を背負って立つ若人の生涯の祝典と、この銘記すべき大海戦とが、日を同じゅうしていたことを思い合せ、感慨の更らに新なるものがある。

 十二時十分、御差遣宮殿下奉送の後、十三時、第一生徒館大食堂に於て立食の宴。卒業生とその父母とが別れの盃を酌み交す場面である。卒業生達は今日は平時のように練習艦に乗るのではない。すぐ様軍艦に乗組み、所定の訓練期間を終れば前線の人となるのだ。卒業の祝宴は兼ねて征途への別宴である。正面にマイクロフォン備えつけの演壇、その前のメイン・テーブルには御卒業の久邇宮徳彦王殿下、及川古志郎大将、井上校長その他海軍高官、その両脇のテーブルには来賓の陸海軍武官、文官、食堂全体には生徒用の長い食卓が十数の縦列を作り、卒業生とその父母とがそれらの食卓に向い合って立ち、その間々に教官が混るという和やかな配置である。一同今日のよき日を乾盃、及川大将と井上校長は正面壇上に登って卒業生に慈父の言葉を与えられ、中庭を隔てた生徒館からの奏楽裡に立食の宴がはじまる。卒業生の大多数は生れて初めての酒盃に顔を真赤に染め、師弟父子互いに酌し合う美しい情景を眺めながら、くろがね会の四人も来賓席の一隅に立って、海軍武官の方々と共に祝酒の盃を挙げ、山と積まれた御馳走を十分に頂戴した。

 宴の直後、私はこの日最も感銘の深い情景に接した。手洗所に行くため生徒館階下の廊下を通ろうとすると、そこが生徒服で充満しているのに一驚した。自習室前の廊下に、各学年の生徒が二列に向い合って事ありげに整列しているのである。私は会釈してその列の間をくぐりぬけ、中庭に降りて、何事かと眺めていると、やがて廊下の向うから夥しい靴音が轟き、二列に向き合っている生徒達の間を、祝酒に顔を赤くした卒業生達が、走るようにして通り過ぎて行くのである。在校中同じ分隊に属していた下級生の前にさしかかると「がんばるんだぞッ」「しっかりやれ」などと怒鳴りながら、ある者の手を握り、ある者の肩を抱きなどして訣別の意を表しつつ通り過ぎて行く。手を握られ、肩を抱かれた下級の少年達の紅顔は見る見る歪んで行く。忽ち彼等の目は涙にふくれ上り、之れをこぼすまいとして思わず両手がそこへ上がって行くのである。一人ではない。五人、七人、私は泣顔を隠そうとして困惑している可憐の少年達を見た。そして、中庭に佇立した私自身も、いつしか貰い泣きをしていたのである。

 卒業生達は八方園神社に最後の参拝を為し将校集会所に赴いて諸恩師と懇ろの別れを告げ、いよいよ住みなれた校舎をあとにして、父母や下級生の堵列する道を桟橋に急ぎ、十数艘の艦載水雷艇又は内火艇に分乗、沖の軍艦へと出発する。父母達は岸辺のランチに、桟橋に、黒山となり、さいぜん廊下で涙を隠した下級生達は全員海岸に整列して之を見送る。やがて「蛍の光」の奏楽と共に、水雷艇、内火艇は一艘又一艘、桟橋を離れて行く。これぞ最後の訣別である。生きて再び相見ゆる日は無いかも知れぬ。艦上の卒業生も海岸の下級生も一斉に帽子を振り、母達はハンカチを振って、尽きぬ名残りを惜しむ。卒業生の小艇は列を為して沖に向う。奏楽の響、万歳の嵐、海原をどよもす壮観である。と見れば先頭の小艇が進路を変えた。その次も、又その次も、そして全艇再び海岸に戻って来るのだ。そこに堵列して、いつまでも帽子を振りつづける下級生達の顔が見分けられる近さまで。過ぎ去っては又立戻り、円を描いて去来する小艇の群、低徊去るに忍びざる風情、濃やかなる武人の情緒、宛として海上の一大演劇である。

 卒業生の乗組んだ軍艦は、十五時解纜、いずこかに向って出発する。在校下級生達は更らにも尽きぬ別れを惜しんで、二十余艘のカッターに分乗して力漕、巨艦の舷に近づき、櫂を立ててその出港を見送るのであった。くろがね会の笹本君、摂津君私の三人は卒業生の親御さん達が、愛児の乗艦をしたいながら宮島に渡航する小汽艇に、便乗することを得た。動くとも見えぬ巨艦ながら、いつの間にか、全速力の小汽艇を遥かうしろに隔てて、くろがねの浮城は折からの夕靄の中に、とけこむように霞みつつ、瀬戸内の島の彼方に隠れ去った。私はその艦尾が全く見えなくなるまで、風寒き小艇の甲板に佇んで、目も離し得ず眺めていたが、眺めながら、同じ艇上のお母さん達の心を思わぬ訳には行かなかった。海原遠く霞み行く艨艟、いくら遠ざかっても小さくは見えぬ島の如きくろがねの団塊、その偉容と愛児の面影とが二重の幻となって生涯母達の瞼に残ることであろう。

 その夕方、私達は厳島神社に参拝、同地の旅館で夕食を認め、夜更けて呉の旅宿に帰ったが、翌十五日午前、見学団一行は潜水学校を参観した。正門前の六号神社に参拝、そこの石垣の上に安置された旧六号艇の内部を感慨深く拝観、次に校内海上に繫留せられた大潜水艦の中を隈なく見せて貰い、更らに校内諸施設を一々参観することを得た。案内して下さったのは同校生徒の一人、まだ二十六七歳に見える非常に若い大尉の方であった。やがてこの学校を出れば何艦かの水雷長になるべき人。若したった今特殊潜航艇に乗り攻撃に向えと命ぜられたなら、我々海軍軍人は誰でも勇躍死に赴くのだと語った時、同大尉の眉宇に現われた一死報国の負けじ魂は、今猶脳裡に鮮かである。言語明晰、見るからに俊秀らしい、紅顔の美少年大尉であった。

 見学を終って、我々くろがね会の四人は、引率者土田中尉、新聞記者諸君と別れを告げ呉を出発することになったが、笹本君は序でに九州の郷里を訪れるといい、秦君は広島からの乗車、摂津君と私だけが、十五日十三時二十何分呉発の急行列車に同乗した。車中計らずもくろがね会会長上田良武中将御夫妻に御会いし、同車することとなった。上田中将の御子息も今度の兵学校卒業生の一人でありその見送りの為に江田島に来られたのである。又後に「婦人倶楽部」を代表して一行に加わった清閑寺健氏も同車であることが分った。満員のため座席もない車中ながら、我々は江田島の感動を語り合って少しも退屈することがなかった。上田中将御夫妻と摂津君とは途中京都で下車、あとは清閑寺氏と私の二人、その頃やっと座席を見つけて、東京までを辛うじて眠ったのであった。

(昭一七・一一・二〇)

 このテキストは、『奇譚/獏の言葉』を横に置いてキーボード入力したものではありません。

 と書いて、『奇譚/獏の言葉』を横に置いて「奇譚」のテキストをキーボード入力していたころを懐かしく思い出しましたが、この「江田島記」はそんな面倒な作業は必要ありませんでした。

 というのも、『奇譚/獏の言葉』から起こしたテキストをワードファイルで保存したコンパクトディスク、なんてものをさる筋から頂戴してあるものですから、そこから拾うだけでOKでした。

 名張市立図書館の嘱託を拝命したときから数えればもう二十年以上、こんな稼業をつづけておりますから、いやいや、とても稼業と呼べるようなものではないのですが、それなりに乱歩関連のあれこれをいただくことがないこともなくて、このコンパクトディスクもそのひとつでした。

 『奇譚/獏の言葉』なんてごくわずかな数が世に送られただけでしょうから、名張市立図書館の公式サイトで「江田島記」のテキストを公開する、みたいなことがあってもいいとは思います。

 いいとは思いますけど、とても無理だとも思います。

 しかし、無理は無理だとしても、いったいどんな理由をつけてそんなことは無理でございますと答えてくれるのか、ちょっと興味が出てきたぞ。
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