【註】(上)のつづき。
4月2日午前8時30分にはじまった二十時間におよぶ取り調べで、奥西さんは自分が犯人であると認めるにいたりました。『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』にもとづいていうならば、犯人であると強引に認めさせられたということになります。これはもちろん奥西さんの主張にもとづいた記述であり、奥西さんがうそをついている可能性もないわけではありません。しかし奥西さんが取り調べの途中で犯行否認に転じ、以来一貫して無実を主張しているのはたしかな事実です。
『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』には、いったん犯行を認めた奥西さんがあとになってそれを否認しても、取り調べではいっさいとりあげられることがなかったとも記されています。
否認しても、調書は取ってもらえず、無視される。それに、刑事や検察官の言うことを聞いているといいこともあった。留置場の食事では量が足りず、勝はいつも腹を空かせていた。接見禁止処分がついていて、家族に差し入れを持ってきてもらうこともできない。そういう状況の中で、刑事からもらう食べ物はありがたかった。
〈取調べ官の言う通り返事をして居りますとしかられませんし、たばこ、菓子類をたくさん毎度入れて食べさせてくれるので、食べ物に気が狂った動物のようになりまして作り事を申して、今になってどうかと心配しております〉(起訴後に書いた勝の手記)
警察・検察側は、勝が言うこのような取り調べが行われたことは、一切否定。勝が「任意に」自供したのだと主張している。
警察官の調書を見ても、勝が否認をした形跡は一切うかがえない。初めて否認らしき文言が出てくるのは、四月二十三日付の検察官調書だった。
〈実はここで申し上げたいのは、私は本件をやっていないと言うことです。本当はやっていないのです。警察の調べで私がやったと言い、今までそう言いましたが違います〉
この記述の後、検察官と勝のやりとりが記載されている。
〈問 そうすると、本件の毒ブドウ酒で五人死んだのはどうして起こったのだろうか。
答 悪うございました。私がやったのに間違いありません。やはり本当のことを申し上げます〉
否認に転じた被疑者に対して、「どうして起こったのだろうか」など穏やかで悠長な聞き方を、検察官がしたとは思えない。おそらくもっと厳しいやりとりがあったはずだが、調書の中からそれを読み取ることは難しい。調書を書くのは、被疑者本人ではなく検察事務官や警察官である。後に裁判に証拠として出されることを考えれば、厳しい応酬など、供述の任意性を問われるような表現は控えることになる。本人が言いよどみ、しどろもどろの供述であっても、あたかも自発的にスラスラ語ったような調書が出来上がる。そういう調書であっても、裁判では本人の供述の記録として扱うのだ。
翌二十四日、起訴直前に行われた最後の取り調べの時、勝はようやく全面否認の調書を取ってもらった。だがこの時には、すでに検察官の手元にはうずたかく、勝の自白調書が積まれていた。
名古屋高等裁判所は奥西勝さんの自白は信頼できるとしていますが、そんなことは全然あるまい。これはやはり「被疑者が取り調べの苦痛から逃れようとしたりして、自身に不利な自白をするケース」のひとつではなかったのか。私はそのように愚考いたします。
『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』から自白の信憑性にかんするくだりを引いておきましょう。
これまで見てきたように、勝の自白は、あまりに不自然な変転に満ちている。住民たちの供述もめまぐるしく変わっているが、被疑者勝の自白も、大きく揺れた。結果としてその変転は、警察・検察の筋書きに都合のいいように事実を修正する形となっている。また、一連の自白には、客観的事実との食い違いも実に多い。
勝は訴える。
〈私は取調べ中、あまりの事で事実でないので、調べに返事をしないと、人間と人間の話で本当の事だといわれまして、本当の事を言い始めると先の調べて来た事実と合わなく、またうそに戻り、話して来ました〉(勝の手記)
自白には名古屋高裁の主張する「信用性」なんてかけらほどもない。私はそのように愚考いたします。
つづいて状況証拠の問題ですが、名古屋高裁の判断はこんな感じです。
そのほかにも、奥西には妻と愛人を殺害する動機となり得る状況があったこと、犯行を自白する前には明らかに虚偽の供述で亡くなった自分の妻を犯人に仕立て上げようとしていることが認められる。総合すると、奥西が犯行を行ったことは明らかで、状況証拠によって犯人と認定した確定判決の判断は正当だ。
本気か。「妻と愛人を殺害する動機」なんてものがほんとに存在していたのか。自白によれば奥西さんは妻および愛人との三角関係を清算するために毒殺事件を起こしたわけなのですが、そんなことは普通ありえないのではないかしら。
妻子ある男が妻以外の女と情を通じることならざらにあります。そうした関係を清算する必要に迫られる場合だって少なからずあるでしょう。しかしだからといって、妻と愛人をふたりとも殺してしまえばすっきりするじゃん、などと思いついてしまう男がいるものなのか。子供がふたりいる三十五歳の男が(長女のほうは事件の起きた春に小学校入学を控えていたそうですが)、いくら血迷ったとしても妻と愛人もろともに自分が住む集落の主婦全員を鏖殺してしまおうなどというだいそれた発想にいたるものなのかどうか。清算というなら妻か愛人かの二者択一に結論を出せばいいだけの話なのであって、ねちねちと計画を練って大量殺人をくりひろげる必要などまったくなかったのではあるまいか。
三角関係という状況はたしかに存在しており、死亡した五人のなかに奥西さんの妻と愛人が含まれていたのも事実ではありますが、そんな状況がいったい何を証拠だてているというのか。わが身を省みていうならば男というのは結構ずるいものですから、三角関係に波風が立ったとてきのうまでそうであったようにきょうもまただらだらと状況が継続すればそれでよろしく、決定的な清算なんてことはとりあえず先送りにしてしまう。
それに『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』には、
──後に勝の弁護団が、全証拠の中から名張、大和双方の葛尾部落での婚外関係を集めたところ、九人の男性が十三人の女性と関係を持っていた。実に二戸に一人以上が三角関係を持っていたことになる、と弁護団は主張する。
とも書かれており、この弁護団による調査結果が事実をどこまで反映しているのかは不明ながら(こんな立ち入った質問に住民がすらすら答えたはずがないとも思われるのですが)、事件が起きた集落のみならず日本の山村には似たような関係がごろごろしていたものと推測されますから(赤松啓介の著作をご連想ください)、奥西さんの三角関係だってどうということもないごく一般的な光景だったはずであり、そんな関係が殺人によって清算されるという発想はそもそもどこからも湧いてくることがなかったのではないか。
ではここで、当サイトに掲載している亡父の随筆「折々の記」の一節をお読みいただきましょう。
一つの思い出ばなしがある。毒ブドウ酒事件の奥西勝に関してなのだ。
松阪市に永井源という弁護士の長老がいた。長いあいだ県会議員をしていた人である。この人の実家が波瀬(たしかにこう覚えている)にある。ここに古い伊勢新聞が保存されているというので見せてもらいに行くことになった。
ちょうど奥さん同伴で帰郷するというついでの日に連れていってもらう手はずがととのった。
その日、まずお宅へ寄って、そこから自動車に乗せてもらった。波瀬というのは、もう少し行けば国見峠というところで、一時間以上かかったように思う。
当時、毒ブドウ酒事件は第一審公判の過程で、永井弁護士は奥西勝の弁護人として無実を主張している最中であった。私は名張だというので、車の中で奥西がシロであることをいろいろの角度から話してくれた。その中で今でもはっきり覚えているのは次のことばだった。
「奥西はね、君、事件の四、五日まえ松崎町の薬屋でコンドームを買っている。あれほどの事件を計画した男ならね、いまさらコンドームも必要ないじゃないか」
こういう事実も無実の立証資料になったのかどうか知らないが、とにかく一審は無罪になった。
控訴審のときは、たしか永井弁護士は亡くなっていた。もし生存していたら、控訴審はどんな展開をみせていたことだろう。
ここに出てくる薬屋さんは二年か三年ほど前に廃業してしまったのですが、奥西さんが事件の四、五日前、葛尾の集落から名張のまちにバスで赴いてコンドームを購入したのはまぎれもない事実です。『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』ではふれられていませんでしたけれど、私には事件関連のほかの書籍に記されているのを読んだ記憶があります(立ち読みだったので引用できませんけれど)。
さてこれはどういうことか。事件数日前というのですから、自白によれば奥西さんはすでに犯行を決意していたことになります。妻と愛人を殺害する計画を胸に秘めていた男が何用あってコンドームを買わなければならなかったのか。むろん第三の女がいたとか、あるいは捜査の手が薬局にまでおよぶことを想定した偽装工作であるとか、そんな可能性もないわけではありません。しかし小説であればともかく、現実の名張毒ぶどう酒事件にそれをあてはめるのはいかさま無理な話でしょう。
ですから結局のところ、名古屋高裁の「状況証拠によって犯人と認定した確定判決の判断は正当だ」という主張には、私はちっともまったく毛筋ほども同意できないというしかありません。
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しっかし、ほんと、こんなことでいいのか。
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