きのう、書いてる途中であほらしくなって、書くことを放棄してしまったネタを、あらためてとりあげる。
名張市の乱歩関連事業、つまり、終わってしまったミステリ講演会のことね。
日本推理作家協会の協力が得られなくなった、というのは、じつはチャンスであった。
名張市が主体性を回復するチャンスであった。
実際の経緯はまったく知らんのやが、名張市は二十年あまり前、乱歩関連事業として、毎年、講演会を開催するけんね、と決めたわけやね。
ついては、日本推理作家協会に話をつけて、毎年の講師を派遣してもらうっちゃ、と思いついて、それを実現した。
以来、ずーっと丸投げ。
しかも、乱歩がどっかへ行きっぱなし。
二十年、ということは二十回、ミステリ講演会は回を重ねてきたわけなんだけど、毎回毎回、終わったらそれで初期化されてしまう、みたいな印象が強かった。
つまり、乱歩をメインテーマにした講演会、というのであれば、乱歩というテーマがいわば縦糸になって、二十回やれば二十回の蓄積が重ねられてゆくわけだ。
ところが、乱歩のことはせいぜい冒頭でちょこっと話題になるだけ、あとは乱歩と無縁なおはなしが展開される、というのがミステリ講演会の常態で、先日も記したことやけど、最初から最後まで終始一貫、乱歩のことをおはなししてくださったのは、芦辺拓さんただおひとりであった。
だから、ミステリ講演会の入場者は、その年の講師先生のファン、というケースが多かったはずで、乱歩には興味がない、という来場者も結構あったのではないか。
いやまあ、それがいかん、ということではない。
名張市では、年に一度、超一流どころのミステリ作家の講演会がある、という事業展開にも、それはそれで、それなりの意義が認められると思う。
しかし、どうしても、乱歩がどっかへ行ってしまうし、蓄積にはつながりにくい。
げんに、二十年つづけてきて、市民からこんな声も出ている。
▼伊賀タウン情報YOU:「なぞがたりなばり」の情報 まだ?
とくに第十九回、超売れっ子の今野敏さんに講師をおつとめいただいた年は、ちょうど今野さん原作のテレビドラマ「ハンチョウ」が放映されていた時期だったにもかかわらず、会場はこんな状態であった。
いやー、この講演会もそろそろ見直しが必要なんじゃね? と思ったり公言したりしていた次第ではあったが、二十回というきりのいいところで日本推理作家協会との縁が切れ、つまりは見直しの機会が否応なく訪れた、ということになった。
チャンスだったよね。
主体性を回復するチャンスであった。
乱歩関連事業の講演会に、乱歩という主体性を取り戻す。
あるいは、講演会の企画運営に主体性を回復する。
つまり、きのうも書きかけたけど、だれに講師を依頼するか、それを考えることからはじまって、講演会を主体的につくりあげてゆく、みたいなことが可能になるはずであった。
あたりまえといえば、そんなのはもう、ごくごくあたりまえのことであって、というか、それが講演会の本来の姿でもあるはずだ。
ならば、人選はどうするか。
まず、あのひとに乱歩のことを話してもらいたい、という講師候補者を決定することが必要になる。
そのためには、乱歩にかんしてだれが、どんなことをしているか、ということを知る必要がある。
あのひとはつい最近、とても斬新な乱歩論を出版したから、いちどおはなしをお聴きしてみたい、みたいな感じで、講師候補者が決まったとする。
おつぎは、その講師候補者へのアプローチだ。
手紙を出して、かき口説く、ということになる。
その場合に重要なのは、名張市という自治体がいかに乱歩をたいせつにしているか、乱歩にリスペクトを捧げているか、そのリスペクトを乱歩関連事業にどう反映させているか、といったことと同時に、どうしてその講師候補者に乱歩のことを講演してもらいたいのか、たとえば相手が斬新な乱歩論の著者であったのなら、その著書を読んでどう思ったか、どこに斬新さを感じたか、といったあたりも誠実に伝えてゆくことだ。
つまり、乱歩のことを知ってなくちゃいけないし、相手のことも理解できてなくちゃならない。
そのうえで、相手をひたすら、かき口説く。
そしたら、たいてい、OKしてもらえるのではないかしら。
でもって、この際だから、講演会の予算も削減する。
地方自治体の財政難はいまや周知の事実なんだから、日本推理作家協会に支払っていた金額の十分の一、つまり五万円の講師料、みたいなレベルにまで引き下げることも可能だと思う。
これも見直しの一環だ。
衰退と縮小の時代にも、このあたりまで踏み込んだ見直しをおこなえば、乱歩関連事業の講演会を存続させることができた、それも、より主体的な本来の講演会にリニューアルして存続させることができた、と思われる。
しかし、お役所のみなさん、っつーのはあれだからな、手前どもは主体性を放棄し、責任を回避して、自分たちの身勝手な都合を地域社会にごりごり押しつけながら、市民不在の行政運営を鋭意進めることをここに誓います、みたいなみなさんだからな。
いやいや、みなさんはお気づきじゃないかもしれんけど、ほんと、そうなんよ。
ひとのふりみて、わがふり直せ、と一例をあげておくと、3月議会開会中に、こんなことがあったじゃろ。
▼伊勢新聞:名張西高と桔梗丘高に統合案 名張市教育長 県の会議出席へ(2012年3月9日)
これは、三重県が名張市に身勝手な都合を押しつけようとした、というケースなんだけど、名張市が名張市民に身勝手な都合を押しつけようとしたケースなんて、ほとんど枚挙にいとまがないと思うぞ。
ま、県であれ、市であれ、行政運営の実態はそんなところだ、ということか。
だから、というか、そんなことはともかく、というか、要するにあれよね、主体性を回復して、しっかりお考えいただけませんか、とお願いしてみたところで、お役人さまにはまんずまんず、とてもお聞き届けいただけないかもしれんのよね。
てゆーか、主体的に考える、なんてことが、そもそも無理か。
無理かもしれんなあ。
なにしろ、みごとなまでの大失敗に終わった名張市のまちなか再生事業においてはじゃな、中心となって主体的に考えて考えて考えぬくべきであった名張市役所のみなさんは、ほんとになんにも考えなかったもんなあ。
うすらばかがうすらばか集めてなんの騒ぎだ、みたいな委員会つくって、それでおしまい。
自分たちはなにも考えようとしなかった。
どころか、市民の眼が届かないところで、なんとも役立たずなコンサルタントにいいだけぼったくられておったではないか。
そうじゃよ。
母さん、名張市民の三千十万七千七百円、どうしたでせうね? の件じゃがな。
▼名張まちなかブログ:乱歩のことを考える(し)(2010年7月14日)
名張市役所のみなさんにゃ、主体的にものを考える、というきわめてふつうのことが、どうしてもできないみたいだね。
しかし、徳島県の小西昌幸さんだってやはり公務員なんだから、講演会を主体的に開催して、その成果を蓄積として重ねてゆく、みたいなことは、名張市役所のみなさんにも不可能ではないはずなんだけどなあ。
どうなんだろうなあ、そのへん。
とにかく、せっかく二十年もつづけてきたミステリ講演会、すっぱりおしまいにいたしました、というのであればそれはそれでいいけど、てゆーか、もうしかたないわけなんだけど、衰退と縮小の時代にもなお持続可能な乱歩関連事業として継続することも、いくらだってできたはずだ、とぞ思う。
ま、日本推理作家協会という一流ブランドでうわっつらをきらきら飾りたい、というだけの事業であった、ということかもしれんな。
しかし、いくらブランド品で飾り立ててみたところで、中身がすっからかんのかーらっぽ、だというのでは、笑いものになるだけだと思うぞ。
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