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Posted by 中 相作 - 2012.04.18,Wed

書籍

 

都市から郊外へ-1930年代の東京

 編:世田谷文学館、世田谷美術館

 平成24・2012年2月 世田谷文学館

 展覧会図録

 A5判 ── 222ページ 1800円(税込)

 

関連箇所

文学 Literature 少年探偵団が駆け抜けた世田谷──一九三〇年代、作品の中の郊外

 小池智子

 p24-40

 

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文学 Literature 少年探偵団が駆け抜けた世田谷──一九三〇年代、作品の中の郊外

 

小池智子  

 

 はじめに

 

 関東大震災で大きな打撃を受けた東京の復興事業は、一九二四年に帝都復興院廃止、三〇年には引き継いだ復興局も改組されるなど整理段階に入り、一定の区切りを見る。出版界では一九三〇年代を迎える間、二五年に大衆文芸誌「キング」が創刊され、二八年に一五〇万部に達する号を出す。また二六年に改造社の廉価な「現代日本文学全集」が登場し、他社も競合していわゆる円本ブームが起こり、文学の読者層は拡大する。

 自然主義文学が明治から大正にかけて主流を占めてきた文壇に台頭したマルクス主義のプロレタリア文学は、震災後の一九二四年に発表拠点となる「文芸戦線」の創刊でさらに勢いを強める。また、同じ年に創刊された「文芸時代」同人たちは新感覚派と呼ばれ、プロレタリア文学とともにモダニズム文学の一翼を担った。エロ・グロ・ナンセンスの流行に表われるような新しい時代の価値観が生まれ、二八年にプロレタリア陣営でいわゆる「芸術大衆化論争」が起こるように、無視できない読者層の大衆とどう向き合うかを考えた作家たちも多く、大衆文学の作家たちは子どもたち若年層などへと読者層を広げて行った。

 二七年の「文芸時代」終刊後もプロレタリア文学に与さなかった横光利一(一九八九~一九四七)にしても社会問題や制度に対して無関心でなかったことは、『上海』(一九三二年刊行)のような作品でわかるが、次第に心理や意識下といった人間の内面や捉えがたいものを描く新心理主義文学へと進んでゆく。プロレタリア文学では、貧困や格差を解消できない体制の現状や改革を文学を通じて訴えるが、弾圧が強まる中で次第に力を失っていった。

 本章でとりあげる作品に表われる世田谷の景色には、都会にはない静けさや緑があり、住宅は広々した場所に建っている。そして、拡張する都市と移動する市民に沿って文学の舞台を拡げた江戸川乱歩(一八九四~一九六五)と、自身が暮らす場を作品舞台とした作家たちが描く郊外・世田谷の捉え方は、この時代の社会と文学の拡張と曲折を示すように、それぞれのテーマをはらんでいる。

 

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 ▼世田谷文学館:展覧会図録

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