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朝日新聞デジタル
平成24・2012年3月30日 朝日新聞社
「幻の作家・画家」 長谷川りん二郎
高山美香
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2012年03月30日
■寡作・遅筆 おかまいなし
“文壇モンスター”長谷川海太郎を兄に持ち、作家・画家として活動するも、それぞれの世界から「幻の作家、画家」と言われた函館出身の異色の人物がいました。その人は長谷川りん二郎(りんじろう りんは、さんずいに隣のつくり)。
幼い頃から絵画や文学好きなマイペースな子供だったそうです。1921(大正10)年の函館大火で自宅が全焼し家族が大騒ぎしている中でも、ひとり函館山に登り火災の様子をスケッチしたとか。
そんなりん二郎が、探偵小説家・地味井平造(じみいへいぞう)のペンネームで文壇デビューしたのは22歳の時。雑誌「探偵趣味」の編集に携わっていた親友の水谷準から執筆を依頼され、「煙突奇談」「二人の会話」などを発表。洗練された文体と幻想的な作風は評判となり江戸川乱歩も絶賛しました。その後、雑誌に小説を発表した後は12年にわたり沈黙。あまりの寡作ぶりから幻の作家と呼ばれてしまいました。
一方、画家としても「実物を眼前におかないと描けない」というスタイルのため、猫のひげ一本を描くのにも猫が絵と同じポーズをとるまで何年も待つという徹底ぶり。画壇にも属さず「幻の画家」となってしまいました。
一度も定職に就かず、兄の援助を受け、父親が建てたアトリエ付き一軒家で生涯、芸術を追求し続けたりん二郎。作品が幻想的なのは彼自身が浮世離れした世界に住んでいたからなのかもしれません。
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長谷川りん二郎(1904~88)。函館生まれ。兄は「丹下左膳」作者の海太郎、弟も作家という文学一家に育つ。当初は探偵小説も手がけるが絵画に専念。東京の自宅兼アトリエで風景や静物画を描き、「猫」などが有名。最近再評価の動きもある。
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