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朝日新聞デジタル
平成24・2012年3月31日 朝日新聞社
関東大震災後のモダニズム 「都市から郊外へ」展
大西若人
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2012年3月31日10時49分
「朝日住宅2号型」の模型(松田祿次設計、1929年完成)
伊勢丹や三越のポスターなどが並ぶ「広告」の展示コーナー
梁川剛一「『少年探偵団』挿絵原画」世田谷の路上での追跡 (「少年倶楽部」昭和12年5月号)
郊外の芝生の公園を思わせる稲垣知雄「芝生」(1933年)
東日本大震災後、再び注目される一つが、1923年の関東大震災後の社会状況だ。後藤新平が話題になったり、今和次郎の展覧会が開かれたり。世田谷文学館で4月8日まで開催されている「都市から郊外へ―1930年代の東京」展も、関東大震災後の都市文化の変容に、新たな視点を加えている。
30年代、震災による被害が比較的少なく、すでに飽和気味だった都心部から、交通網が整備され始めた郊外へと多くの人が移り住むようになったという。世田谷一帯もその典型だった。
世田谷文学館と世田谷美術館が共同で企画した同展は、文学や美術、映画、音楽とジャンルを横断し、郊外・世田谷の状況や時代意識を描き出そうとする。桑原甲子雄(きねお)の写真に続き、まず生活の基盤たる住宅から見せ始める。
郊外住宅地の代表に、学園都市として計画された成城学園がある。20年代から分譲が始まるが、興味深いのは29年の「朝日住宅」。東京朝日新聞社が郊外中小住宅の設計案を募集し、和洋折衷や陸屋根のモダニズム住宅を含む多彩な16案を実際に建てて販売した。「郊外住宅のモデル」という自負が見て取れる。
続く章では、震災後に新宿に店を構えた三越と伊勢丹が郊外生活者の消費を刺激したことを伝える。
この健康的な環境を小説の舞台に据えたのが、江戸川乱歩。「少年探偵団」は主に世田谷で活動。文学館の小池智子学芸員は「身近な『自分の住む町』をスリリングな物語の舞台に仕立て」たと図録に記している。
横光利一、宇野千代、林芙美子と、世田谷に住んだ文学者は多く、北原白秋のように郊外の風景を詠んだ者もいた。
都市文化の花形ともいえる映画も、世田谷で作られた。30年代はトーキーの始まる時代、世田谷にもP・C・L(のちの東宝)の撮影所が作られる。関連する映画ポスターのほか、撮影所を描いた伊原宇三郎の絵画も、時代の気分を伝えてくれる。
世田谷には、文学者同様、美術家も多く暮らした。郊外を含む東京の風景を刻んだ版画家の稲垣知雄や、古代ギリシャの美を再考した難波田龍起らの仕事が紹介されている。
展示全体を貫くのは、驚くほどの健全さ。穏やかで伸びやかなモダニズム文化の精華といってもいい。関東大震災以後の20~30年代といえば、世界恐慌、満州事変、5・15事件と暗い時代へと続くイメージが強い。だが小池学芸員は、「暗く、虚無的な面もあるが、都心では得られない環境の中で育まれる明るい面もあったのではないか」と話す。
同時に、東日本大震災後に、私たちはどんな生活や文化を生み出すことができるのか。そう問われているようでもある。(編集委員・大西若人)
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