結局のところ、わが国における地方のお役所のみなさんは、といったって、海外のことはまったく知らないんだけど、あいも変わらず、性懲りもなく、ハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想に毒されつづけている、といっていいのではないか。
名張市における乱歩関連事業もまた、市立図書館における乱歩関連資料の収集を除けば、やれ乱歩記念館だ、それ乱歩文学館だ、とハコモノの構想をふきまくるか、でなければ、ミステリ講演会だ、乱歩狂言だ、なんだ、かんだ、とイベントをぶちあげるか、そのいずれかでしかない。
のみならず、名張市立図書館だって、じつは、ハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想にとらわれている。
乱歩コーナーなんてのは、乱歩記念館や乱歩文学館といったハコモノのきわめて小規模な代替品、とみることが可能だし、乱歩作品の読書会なんてのは、ご町内感覚にもとづいた安易なイベントでしかないであろう。
要するに、わかっとらんわけな。
乱歩関連資料を収集します、と宣言したのはいいけれど、そのあとがよろしくない。
具体的になにをすればいいのか、それをいっさい考えようとしない。
資料収集とはどんなことなのか、あるいは、乱歩はどんな作家だったのか、どんな作品を残したのか、そういったことをいっさい知ろうとせず、理解しようとせず、ほんと、なーんにもしようとせず、なーんにもわかんないまま、展示陳列だの、読書会だの、うわっつらとりつくろってお茶をにごすばかりである。
ただまあ、それがお役人さまというものなのであって、いくら叱り飛ばしてみたところで、手前どもはなにも考えないことにしております、とか、手前どもはできるだけ働かないようにしております、とか、そんな調子で蛙のつらに小便なわけよ。
しかし、図書館として乱歩関連資料を収集します、とぶちあげたのであれば、名張市あたりではとても無理だけど、世間一般、ふつうの図書館であれば、当然やらなきゃならないことを、ちゃんとやっているはずである。
たとえば、目録をつくる、ということが、そりゃもうどうしたって要請されるわけなのね。
ところで、こんな本が出版された。
▼和泉書院:江戸川乱歩作品論 一人二役の世界
書名で検索してみると、さっそく反響も。
▼パン屋のないベイカーストリートにて:江戸川乱歩作品論 一人二役の世界(2012年3月24日)
いまだにこうやって、まったく新しい視点からアプローチを試みた作家論が世に問われるというのだから、乱歩ってのはやっぱりたいしたものである。
昨秋刊行されて話題になった紀田順一郎さんの『乱歩彷徨』にひきつづいて、ここにまた乱歩論の新たな収穫が届けられた、という寸法なんだけど、紀田さんの『乱歩彷徨』でも、この宮本和歌子さんの『江戸川乱歩作品論 一人二役の世界』でも、まことにありがたいことに、名張市立図書館が発行した目録を参考資料としてご利用いただいていて、そんなことがなぜわかるかというと、どちらの本でも巻末の参考文献リストにあげていただいているからなのであるが、『江戸川乱歩作品論 一人二役の世界』巻末の「注」には、こんなことも記していただいてある。
(1)平井隆太郎・中島河太郎監修『江戸川乱歩リファレンスブック2 江戸川乱歩執筆年譜』(平成一〇年三月、名張市立図書館)によれば、江戸川乱歩が発表した最後の成人向け作品は昭和三五年一月の短編「指」であり、『ぺてん師と空気男』はそれに次いで二番目に遅い時期に発表された作品となる。なお、本論での作品発表年時、発表書誌は、この『江戸川乱歩リファレンスブック2 江戸川乱歩執筆年譜』に拠っている。(p.11)
要するに、名張市立図書館のつくった目録が、ちゃんと役に立ってる、ということなのね。
図書館として当然のことをしてみたところ、というのは、つまり、展示陳列とか、読書会とか、そんな脇道や横道ではなく、資料の収集と活用における本道とか王道とかをふつうに進んで、乱歩作品のデータを体系化し、目録として提供する、という図書館として当然のことをしてみたところ、それがちゃんと役に立って、おッ、乱歩生誕地にある名張市立図書館って、結構いい仕事するじゃん、と関係各位から信頼を寄せられることになるはずだったんだけど、どこで道に迷ったのか、図書館としての本道や王道をいつ見失ったのか、いまや完全なぽこぺん状態に陥ってしまい、いやいや、よく考えてみたらあれだな、名張市立図書館には最初っから、本道や王道なんてまったく見えてなかったのであったな。
あいやー、ぽこぺんぽこぺん
しかし、衰退と縮小の時代を迎えて、いまさらハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想でもないわけなんだから、名張市立図書館は図書館本来の道を地道に進むしかないと思うぞほんとに。
Powered by "Samurai Factory"