さて、3月17日は横光利一の誕生日であった。
横光ゆかりの伊賀市では、毎年この日、「雪解のつどい」なる催しが開かれていて、おとといが第十四回じゃった。
横光は福島県出身なんだけど、少年期から旧制中学卒業までを伊賀で過ごした。
卒業した旧制中学というのは三重県立第三中学、現在の三重県立上野高校であって、おとといの催しも上野高校が会場であった。
じつはこの学校、わしの母校であって、通ってるときも卒業してからも、なんかいやな学校だな、と思うておったのじゃが、というか、そもそもわしは学校というものがいやでいやでたまらなかったのじゃが、馬齢を重ねて鈍感になり、それほどいやでもなくなったみたいだ。
そういえば、二か月ほど先の話になるが、大阪市内のホテルで三重県立上野高校同窓会京阪神支部の定期総会が開かれ、つづく余興の、いやいや、余興といっては叱られるか、とにかく総会のあとに予定されている講演会で講師を務めることとあいなった。
テーマは、インチキ伊賀市政おらおら徹底批判、みたいなことにしようかとも考えたんだけど、京阪神在住の上野高校OBのみなさんは、伊賀市政なんてものに興味はまったくありゃせんじゃろうしな。
そんなことはともかく、横光が旧制中学当時の経験を作品化した小説「雪解」にちなんで「雪解のつどい」と名づけられたこの催しは、横光の生誕百年を機にはじまり、伊賀市民などで組織する実行委員会の手で継続されておる。
きのうの中日新聞にひきつづき、きょうは朝日新聞のウェブニュースをどうぞ。
▼朝日新聞デジタル:横光利一しのび「つどい」に120人(2012年3月19日)
講師をおつとめになった濱川勝彦先生は、かつて上野高校の教壇に立っていらっしゃった時期があって、かくいうわしは大変できのよい教え子であった。
もう八年ほど前のことになるのか、濱川先生が神戸女子大学を退官されたときの最終講義に駆けつけるつもりが、ほかに用事があってはたせず、つづく大宴会にはおじゃましたのであったな、と思い返して検索してみたら、こんな記録がひっかかってきた。
▼名張人外境:人外境主人伝言 > 東奔西走ウェブ日記神戸篇
いやー、懐かしいというか、われながらばかなことばっかやってたんだな、と暗澹としてしまうというか、当時のわしは三重県が血税三億円をどぶに捨てた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をおちょくりまくっていて、そうじゃそうじゃ、官民双方のあんぽんたんのみなさんが鋭意集結した二〇〇四伊賀びと委員会による電子掲示板無断閉鎖騒動なんてのが起きたのもこのころのことであり、いっぽうはるか東京ではギャラリーオキュルスにおいて「中井英夫に捧げるオマージュ展」が開かれていたのであったか。
いやー、懐かしがってる場合じゃなくて、ほんと、わしゃいったい、なにをしておったのじゃろうな、と愕然としてしまうわけじゃが、とにかくまあ、濱川先生の最終講義に出席できなかった埋めあわせに、ということでもないんだけど、ふと気が向いて、おととい、横光利一の誕生日に催された「雪解のつどい」に足を運んでみたわけであった。
ところで、ここ名張市においては、乱歩の誕生日がめぐってきたからといって、とくになにもない。
むろん、なにかせにゃならん、というわけではまったくない。
しかし、乱歩が名張で生まれたのは事実なんだから、誕生日になにかしようか、という動きがあってもふしぎではない。
なのに、名張市では、なにもない。
どうしてなんだろうね。
そういえば、乱歩とはなんのかかわりもない尼崎市で、やはりおとといの17日、「パノラマ島酒場」なる催しが盛りあがったらしい。
▼尼崎横丁:Top
乱歩原作映画のポスターやスチール写真は、どこからこんなに集めてきたのか、と感心してしまうほどの充実ぶりである。
先月は先月で、横溝正史がらみの「犬神家の酒場」が盛りあがったらしく、まあ結構なことじゃな。
しかし、乱歩ゆかりの名張市では、乱歩の誕生日である10月21日にも、乱歩がらみの催しなど、まったくなにもない。
まあ、べつになにもしなくたっていいんだけど、なにもしないのは、ちょっともったいなくない? という気がしないでもない。
さて、上野高校には横光利一資料展示室というのが開設されているのだが、おととい、はじめて入ってみた。
つづく。
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