Nabari Ningaikyo Blog
Posted by 中 相作 - 2010.10.07,Thu
ちょっとした必要が生じましたので、正史と乱歩のかかわりを軸にした年譜をつくってみます。作成開始はきょう。あす以降も手を入れることになると思います。中島河太郎先生作成の正史年譜ならびに乱歩年譜を参考にしました。お気づきの点がありましたら、お手数ですがぜひお知らせください。
* *
明治27年(1894)
10月、江戸川乱歩、三重県名張町に生まれる。本名、平井太郎。生後まもなく転居し、三歳から十八歳までは名古屋で過ごす。
明治35年(1902)
5月、横溝正史、神戸市東川崎町に生まれる。
明治42年(1909)
4月、正史、東川崎尋常小学校に入学。在学中、三津木春影「呉田博士」「古城の秘密」、黒岩涙香「巌窟王」に接する。
大正4年(1915)
4月、正史、神戸二中に入学。二年のとき同学年の西田徳重を知り、探偵趣味を語り合う。三年のときには徳重と三宮の古書店で海外の探偵雑誌を渉猟。
大正5年(1916)
7月、乱歩、早稲田大学を卒業。大阪の貿易会社に一年ほど勤務。以後、職業を転々とする。
大正9年(1920)
3月、正史、神戸二中を卒業。第一銀行神戸支店に一年ほど勤務。
秋、西田徳重が死去し、九歳年長の兄、政治と正史の交友が始まる。
大正10年(1921)
4月、正史、「新青年」に処女作「恐ろしき四月馬鹿」を発表。大阪薬学専門学校に入学。
大正11年(1922)
8月、乱歩、東京住まいを引き払い、大阪市外守口町にあった父の家に妻子と身を寄せる。
7月ごろから11月ごろ、神戸図書館の講堂で馬場孤蝶の講演会があり、乱歩と正史も聴講したが、まだ面識はなかった。
大正12年(1923)
4月、乱歩、「新青年」にデビュー作「二銭銅貨」を発表。
大正13年(1924)
3月、正史、大阪薬学専門学校を卒業し、自宅の薬種商に従事。
10月、乱歩、「新青年」に「双生児」を発表。
大正14年(1925)
1月、乱歩、「新青年」増刊号に「D坂の殺人事件」を発表。
7月、乱歩、初の作品集『心理試験』を出版。
10月、乱歩、「苦楽」に「人間椅子」を発表。
11月、乱歩と正史、上京して二十日ほど過ごす。
大正15年(1926)
1月、乱歩、家族と東京に転居。
9月、乱歩、正史ら四人の合同出版記念会が開かれ、そのあと講演と寸劇の会。
10月、正史、「新青年」の編集に従事し、「現代」に乱歩名義で「犯罪を猟る男」を発表。乱歩、正史に乞われ「新青年」で「パノラマ島奇談」の連載を開始、完結は翌年4月。
昭和2年(1927)
1月、正史、神戸で結婚、小石川小日向台町に住む。
3月、乱歩、自作に嫌悪を感じて休筆に入る。正史、「新青年」編集長となる。
昭和3年(1928)
1月、正史、「新青年」に乱歩名義で「あ・てる・てえる・ふいるむ」を発表。
3月、正史、「サンデー毎日」特別号に乱歩名義で「角男」を発表。
7月、正史、「新青年」に川崎七郎名義で「桐屋敷の殺人事件」を発表、一回だけで中絶。
8月、乱歩、正史に乞われて「新青年」増刊号に「陰獣」を発表、完結は10月。〔*5〕
10月、正史、「新青年」の編集から退き、「文芸倶楽部」に移る。
昭和4年(1929)
2月、正史、「新青年」増刊号に「双生児」を発表。〔*6〕
5月、乱歩と正史、「北海タイムス」でグリーン「覆面の佳人」の翻訳連載を開始、完結は12月。
8月、乱歩、「講談倶楽部」で「蜘蛛男」の連載を開始、完結は翌年6月。以後も読者の多い娯楽雑誌に長篇を多く執筆。
昭和6年(1931)
5月、平凡社から江戸川乱歩全集の刊行開始。正史、その内容見本に作品紹介を執筆。
夏、正史、初めての喀血。
昭和7年(1932)
3月、正史、「文芸倶楽部」の編集から退き、「探偵小説」に移る。
7月、正史、「新青年」で「塙侯爵一家」の連載を開始、完結は10月。
8月、正史、新潮社から新作探偵小説全集『呪いの塔』を書き下ろし出版。
11月、正史、博文館を退社、「横溝正史君の首途を励ます会」が開かれる。
昭和8年(1933)
1月、正史、吉祥寺に自宅を新築。
5月、正史、大喀血し、絶対安静を命じられる。
6月か7月、乱歩、千円持参して正史を見舞い、長野県の富士見高原療養所に入るよう勧める。
7月、正史、富士見高原療養所に入り、二か月療養、秋に帰京。
11月、乱歩、「新青年」で「悪霊」の連載を開始。
昭和9年(1934)
1月、「日の出」で「黒蜥蜴」の連載を開始、完結は11月。
2月、乱歩、「悪霊」を休載。正史、新潮社から『塙侯爵一家』を出版。〔*7〕
3月、乱歩、「悪霊」を休載。
春、正史、水谷準から一年間の執筆停止と転地療養を勧告される。
7月、正史、長野県の上諏訪に転地し、闘病生活を始める。
昭和10年(1935)
2月、正史、「新青年」に「鬼火」を発表、完結は3月。
9月、乱歩、『日本探偵小説傑作集』を編纂し、巻頭に「日本の探偵小説」を執筆。〔*10〕
昭和11年(1936)
1月、乱歩、「少年倶楽部」で「怪人二十面相」の連載を開始、完結は12月。
10月、正史、「新青年」で「真珠郎」の連載を開始、完結は翌年2月。
昭和12年(1937)
4月、正史、『真珠郎』 を刊行。乱歩、その序文を執筆。
7月、乱歩、上諏訪の正史を訪ね、二三日滞在。
昭和13年(1938)
1月、正史、「講談雑誌」で「人形佐七捕物帳」の連載を開始、完結は翌年12月。
10月、乱歩、上諏訪へ諏訪明神の大祭を見物に訪れ、正史宅に二泊。〔*11〕
昭和14年(1939)
3月、乱歩、「芋虫」の全篇削除を命じられる。
12月、正史、上諏訪から吉祥寺の家に戻る。
昭和15年(1940)
3月、乱歩、「日の出」に連載していた「幽鬼の塔」が完結し、小説の執筆は少年ものだけとなる。
昭和20年(1945)
4月、正史、岡山県岡田村に疎開。
6月、乱歩、福島県保原町に疎開。
11月、乱歩、疎開先から池袋の家に戻る。
昭和21年(1946)
4月、正史、「宝石」で「本陣殺人事件」の連載を開始、完結は12月。
5月、正史、「ロック」で「蝶々殺人事件」の連載を開始、完結は翌年4月。
昭和22年(1947)
1月、正史、「宝石」で「獄門島」の連載を開始、完結は翌年10月。
6月、探偵作家クラブが発足し、乱歩、会長に選ばれる。
昭和23年(1948)
8月、正史、疎開先から世田谷区成城へ転居、乱歩の出迎えを受ける。
昭和24年(1949)
1月、乱歩、「少年」で「青銅の魔人」の連載を開始、完結は12月。
10月、乱歩、「新青年」で自伝「探偵小説三十年」の連載を開始、のち「宝石」に移り、完結は35年6月。
昭和29年(1954)
10月、乱歩、還暦祝賀会。
昭和31年(1956)
6月、第二回江戸川乱歩賞授賞式で乱歩と正史が握手し、和解。〔*18〕
昭和32年(1957)
8月、乱歩、「宝石」の編集と経営に参画、35年10月まで携わる。正史、「宝石」で「悪魔の手毬唄」の連載を開始、完結は34年1月。〔*19〕
昭和36年(1961)
7月、乱歩、自伝『探偵小説四十年』を出版。
昭和37年(1962)
6月、正史、渡辺啓助らと合同還暦祝賀会。
昭和40年(1965)
7月、乱歩、脳出血のため死去。七十歳。
8月、正史、青山葬儀所で営まれた乱歩の日本推理作家協会葬で友人代表として弔辞を読む。
昭和44年(1969)
4月、講談社から江戸川乱歩全集の刊行開始、翌年6月、全十五巻完結。
昭和45年(1970)
1月、講談社から横溝正史全集の刊行開始、10月、全十巻完結。
昭和47年(1972)
9月、正史、自伝『探偵小説五十年』を出版。
昭和49年(1974)
昭和56年(1981)
12月、正史、結腸がんで死去。七十九歳。
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