体調がようやく、元に戻った。
飲み過ぎであった。
2日の金曜、東京に住む知人が遊びに来た。
もともとは地域の名門、名張市立名張小学校で同期だったやつなのだが、母親の墓参で帰郷すると連絡があって、帰ってきた。
帰ってきた、といっていいのかどうか。
名張のまちにある実家はとうに空き家で、寝泊まりもできない。
帰る、ではなくて、東京から三日ほど名張へ行く、といった感覚なのかもしれんな。
翌3日、土曜。
朝、思いがけないお客さんから、いま近鉄名張駅の東口にいる、と電話が入った。
四十年ほど前から、名前だけ存じあげていて、まだお会いしたことのないかたであった。
名張駅東口からほど近い名張市立図書館を待ち合わせ場所にして、自動車でかけつけた。
市立図書館の乱歩コーナーをごらんいただいたあと、名張のまちへ。
めずらしく晴れて、温暖だったので、戸外を歩くのも苦にならない。
いい日になった。
あやしげな神社みたいな乱歩生誕地碑広場などをまわって、イオン名張店一階のカフェドゥモンドでコーヒーを飲む、というか、おごっていただく。
煙草も二本、恵んでいただいた。
一本目は、ちょっとくらくらした。
そうこうしていると、ガラス窓のむこうを知人が通りかかった。
手を振ると、むこうも気がついて、おッ、みたいな表情になり、身振り手振りで、これからそっちへ行く、と意思伝達してくる。
じき店に入り、すぐ横の椅子にすわった知人が、いちど連絡しようと思っていたのだが、と切り出したのは、もう三十年ほど消息不明だったひとの近況であった。
名張に生まれ、名張で暮らしながら、事情あって名張から去ったひとなのだが、八十歳も近くなって、名張をしきりに懐かしがる手紙がとどくようになった、とのことで、ついてはそのうち、大阪あたりで一席設けたいのだが、どうよ、というのが、ひさしぶりで会ったその知人の用件。
OKすると、こちらの連絡先を確認して、知人は店をあとにした。
コーヒーのあとは、昼食。
まちを少し歩いて、かみ六に入ってうどんを食べる、というか、おごっていただく。
まったく、おごっていただいてばかりであった。
春めいた気候に誘われたのか、名張のまちを歩くひとの姿も、まったくみられないではなかった。
とはいえ、いうまでもなく、衰退と縮小を絵に描いたようなまちなかのたたずまいではあった。
お客さんを名張駅西口までお送りし、お別れして、帰宅。
午後、名張市の衰退と縮小を象徴するような近鉄百貨店桔梗が丘店あらため近鉄プラザ桔梗が丘のリニューアルオープンの日だったので、ちょっとのぞいてみた。
さすがに人が多い。
しかし、それ以上に印象に残ったのは、高齢者が多いことであった。
いやー、ほんと、名張市は全国平均をうわまわる勢いで高齢化が進んでおるとのことで、わしもむろんその一翼をしっかり担っておるんだけど、近鉄プラザは人生の諸先輩でごった返しておった。
一階の食料品売り場をぶらぶらしていたら、なんだかずいぶんひさしぶりな感じの知人がおひとり、買いものをしていらっしゃった。
もう三十年以上、おつきあいをいただいているのであるが、この春、桔梗が丘のお宅を引き払って、大阪府某市にある奥さんの実家に転居されるとのことであった。
それはまあ、とくに高齢者のご夫婦の場合、名張市なんかより、その某市のほうがよっぽど便利で、暮らしやすいことだろう。
このひとは、去年亡くなった小松左京さんと学校が同期だったとのことで、昭和6年生まれ。
さっき記した消息不明三十年のひとは、たしか拙宅筋向かいに住む旦那さんとおなじ年だから、昭和10年生まれ。
いやまあ、なんか、とくにどうっていうことは、ないんだけどね。
そんなこんなで、先週金曜からきのうあたりにかけて、いろいろ考えさせられることがあって、幻影城プロジェクトのことはお休みであった。
飲み過ぎだったしね。
やれやれ。
いやはや。
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