ここでしつこく確認しておくと、ようやくにして、名張市立図書館が乱歩にかんするデータベースなりアーカイブなり、そういうものを構築する方針が定められた、ということになった、ということにしておく。
これはもう、わしが市長にお願いし、おすがりして、なんとかお認めいただいた、ということである、と、わしは理解しておる。
ふつうなら、こんな大騒ぎをする必要なんて、ありゃせんのやぞ。
長きにわたって乱歩関連資料を収集してきた図書館が、その蓄積にもとづいて、データベースを作成し、公開する、なんてのは、図書館の責務として当然のことである。
それが、ここまで大騒ぎしないことには、道が開かれなかったんだから、いったいなんなんだよほんとに。
みたいな話はもういいとして、ひとくちにデータベースといったって、データにもいろいろあるわけな。
しかし、優先順位トップに来るのは、作品のデータ、ということになる。
つまり、たとえば「二銭銅貨」という作品があって、その作品データということになると、まずは、いつどこに発表されたか、それから、そのあとどんな本に収録されたか、むろん、初刊の単行本だけでなく、それ以降の収録も、どんな全集やアンソロジーに収録されたのか、みたいなことも、さらには、映画化や舞台化やドラマ化、みたいなことにも眼を配る必要があって、これすなわち、乱歩作品が時代にどう受容されたかを記録する、ということなのね。
たとえば、来月、こんな本が出る。
▼Amazon.co.jp:戦時下の青春 (コレクション 戦争×文学) [単行本]
乱歩の「防空壕」が収録されるんだけど、単に「防空壕」を読むためだけなら、この本を買う必要はない。
文庫本で、いくらでも読める。
しかし、「防空壕」がいわゆる戦争文学と位置づけられ、「コレクション 戦争×文学」という全集に収録されるというのは、まさしく、乱歩作品が時代にどう受容されたのか、という記録のひとつであるわけね。
したがって、これは名張市立図書館が乱歩関連資料として収集しなければならない本である、ということになる。
それから、乱歩の文業の全容を明らかにする、ということでいえば、テキストの変遷、みたいなことが問題になる。
たとえば「二銭銅貨」の場合でも、最初に雑誌に発表されて、そのあと単行本に収録されて、ということになるんだけど、単行本に収録するにあたって、乱歩自身が作品に手を加えてるわけ。
あるいは、全集に収録するにあたって、やっぱり乱歩が加筆している、ということがある。
だから、雑誌と単行本では、つまり、初出と初刊では、おなじ「二銭銅貨」でもごくわずかながらも差があって、そのいずれもが乱歩の文業ということになる。
近い例でいうと、昨年秋、紀田順一郎さんの『乱歩彷徨』という本が出た。
▼春風社:乱歩彷徨―なぜ読み継がれるのか
以前にも記したことだけど、この本で紀田さんは、「怪人二十面相」の初出と初刊のテキストの異同を精査し、そこに作家の内面を探りあてようとするスリリングな試みに挑んでいらっしゃる。
つまり、「少年倶楽部」という雑誌に発表された「怪人二十面相」が、大日本雄弁会講談社から『怪人二十面相』という単行本として発行されたとき、乱歩がどんなふうに作品に手を加えていたかを調べることによって、乱歩がひそかになにを考えていたかを推察する、ということなんだけど、いかな紀田さんも「怪人二十面相」が連載された「少年倶楽部」を全冊ご所有ということはないだろうから、たぶんどこかに所蔵されてる「少年倶楽部」をお調べになったのだと思う。
で、そのどこかというのは、どういうところか。
ごくふつうに考えれば、やっぱ図書館だろうね。
ただし、一般的な図書館には、とても望めないことだ。
専門的な収集を進めている図書館、ということになる。
たとえば、わしが『江戸川乱歩執筆年譜』のための調査をしたときには、万博公園内にあった大阪府立国際児童文学館に足を運んだものであった。
あの文学館、大阪府知事時代の橋下徹さんが、なんとも強引に廃止してしまったのであったが、ありゃ橋下さんによる愚策暴政のひとつであった、とわしは思う。
▼ウィキペディア:大阪府立国際児童文学館
わしが国際児童文学館に通ったのは夏のことで、「少年倶楽部」なんかの調べものを終えたあと、万博公園をぶらぶら歩いて、そこらの売店で缶ビールを買って、それがとてもうまかったことをよくおぼえている。
そういえば、ある日、缶ビールを買った売店で夕刊スタンドをみると、勝新太郎死去のニュースがでかでかと報じられていたっけなあ。
つづく。
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