さあ、先へ進もう。
名張市立図書館における乱歩関連資料の収集と活用は、少し前までのように成長や発展を背景とするのではなく、現在から将来にわたる衰退や縮小を前提として考えるべきだろう、という話だ。
と記したすぐあと、話がいきなり横道にそれてしまうんだけど、きょう、昼食をとるために、近鉄桔梗が丘に足を運んだ。
駐車場に車を止め、店内に入ろうとすると、通れなくなっている通路や扉がある。
ありゃりゃ、と思ってうろうろしていたら、通りかかったご婦人が、改装前だからこんなことになっているのだ、と教えてくれた。
三階はすっかり閉鎖されていて、立ち寄ろうと思っていた新刊書店も、リニューアルオープンの準備のため一時休業中、とのことである。
そういえば、と思い出したのだが、けさの新聞に入っていた近鉄桔梗が丘のチラシに、そんなことが書いてあった。
帰宅して確認してみると、「近鉄百貨店桔梗が丘店は、3月『近鉄プラザ桔梗が丘』に生まれ変わります」と記されている。
もとに戻る、というわけだ。
そもそもこの近鉄百貨店桔梗が丘店、前身は近鉄プラザ桔梗が丘店というショッピングセンターで、それ以前は近商ストア桔梗が丘店というスーパーマーケットであった。
昨年12月に刊行された『名張近鉄ガス50年史』という本が手もとにあるので、ざっと眺めてみたのだが、近商ストアが近鉄プラザに生まれ変わったのは1990年4月26日のことである。
近商ストアのオープンがいつだったのかは不明だが、1964年10月1日に近鉄大阪線桔梗が丘駅が開設されたあとであることにはまちがいない。
ちなみに、桔梗が丘住宅地の入居がはじまったのは、1965年2月のことだという。
話はさらに横道にそれるが、このあたりのことになると、お役所というのはまったく役に立たない。
たとえば桔梗が丘の歴史をたどる場合、学校をはじめとした公共施設の整備は克明に記録されているが、営利を目的とした商業施設の動態などはまるで等閑視されている。
しかし、地域の歴史を概観する場合、公共施設が骨であるとすれば、商業施設は肉のようなものであって、小売店や大型店などの盛衰消長は欠くことのできない要素である。
いやいや、こんなことぼやいてみたってしかたないけど、とにかく、近商ストア桔梗が丘店がいつオープンしたのか、それを知ることはできない。
では、近鉄プラザ桔梗が丘店が近鉄百貨店桔梗が丘店になったのはいつだったのか、というと、これも手もとの資料類ではわからないのだが、ウィキペディアの「近鉄百貨店」によれば、桔梗が丘店は1998年9月19日の開業である。
ちなみにウィキペディアには、桔梗が丘店が「2012年3月より、直営売場面積を縮小の予定」ともあって、ちょっと検索してみると、こんな記事がひっかかってきた。
▼流通ニュース:近鉄百貨店/枚方店を来年2月で閉鎖(2011年9月21日)
「桔梗が丘店(三重県名張市)について、百貨店業態としての業務運営から撤退し、2012年3月以降、百貨店業態としての業務運営からは撤退し、営業面積を約1万4000㎡から約5500㎡へ大幅に縮小する」とのことである。
無茶苦茶おかしな文章であるが、ま、そういうことらしい。
いやはや、話が横道にそれすぎてしまった。
いったいなにがいいたかったのか、というと、近鉄百貨店が近鉄プラザに戻ってしまう、というのは、まさしく衰退と縮小を地で行くものであり、桔梗が丘地区の、というよりは、名張市の衰退と縮小を如実に物語る事実である、ということだ。
近鉄桔梗が丘にあるカフェ&レストラン華の風でAランチを食しながら、そんなことがしきりに思われたため、ついつい横道にそれまくった次第であったが、ま、いたしかたあるまい。
先日も記したとおり、「夜は若く、彼も若かった」みたいな日々はとうに去り、日本も、名張市も、わしたちも、確実に老いつつある、ということだ。
だからこそ、しっかりしなくちゃなんないよね、ということでもある。
勢いがあって、人口がどんどん増えていて、予算にも比較的余裕があって、みたいなときとおんなじことゆうとっちゃ、そりゃもうだめだからね。
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