まいった。
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これはまいった。
たまらんなあ。
デイリースポーツのウェブニュースを無断転載。
テレビ番組に出演した大平シローさん(1992年)
漫才コンビの太平サブロー・シローとして80年代の漫才ブームで人気を博した、タレントの大平シローさん(本名・伊東博)が9日、大阪府内の病院で亡くなった。55歳だった。死因は不明。所属事務所によると、シローさんは今月4日に大阪市内の事務所で突然倒れ、医師から「難治性心室細動」と診断されていたという。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。
昭和の漫才ブームを沸かせた人気者が、静かにこの世を去った。まだ55歳。早すぎて、突然すぎる旅立ちとなった。
所属の吉本興業によると、シローさんは4日昼ごろ、大阪市内の事務所で仕事中に突然倒れ、スタッフの通報で病院に緊急搬送された。一時は心肺停止となり、蘇生措置で一命は取りとめたものの、意識不明の状態が続き、回復することなく9日午後2時32分、息を引き取った。医師からは「難治性心室細動」と診断されていたが、現在のところ死因は不明。最期は、両親ら親族と一部の弟子がみとったという。
75年に漫才トリオ・レツゴー三匹に弟子入りしたシローさんは、76年に大平サブロー(55)とコンビを組み、太平サブロー・シローとしてデビュー。80年代の漫才ブームで、紳助・竜介、オール阪神・巨人、ツービート、B&B、ザ・ぼんちらとしのぎを削り、若手ながら一気にスターダムへと駆け上がった。サブローとの息のあった掛け合いで、「花王名人劇場 花王名人大賞」や「上方漫才大賞」などの賞を総なめにし、万人から愛される笑いを届けた。
昨年、芸能界を引退した島田紳助さん(55)も、サブロー・シローのお笑いセンスをリスペクトしていた。紳助さんは85年に紳助・竜介を解散して漫才から身を引く際、「サブロー・シローとダウンタウンには勝たれへん」と“完敗”を認めていたほどだった。
順調だったはずの漫才人生は、80年代後半に一転した。88年4月に、所属していた吉本興業をケンカ別れの形で飛び出したため、芸能界追放の状態に。92年にはサブローとのコンビを解消。同年、参院選に出馬するも落選し、失そう騒動まで起こした。
97年には紳助さんの仲介もあり、放送作家として芸能界に復帰し、98年に吉本興業に戻ることも許された。その際、芸名を太平から大平に改めた。その後は、タレント業や劇団での役者業に加え、自身がプロデュースしたお笑い興行を定期的に開催。その一方で、飲食店を経営するなどしていた。最近は表舞台から遠ざかっていたシローさん。波瀾(はらん)万丈の人生は、あまりにも短い55年という時間で幕を閉じた。
(2012年2月10日)
記事のおしまいのほうに「失そう騒動まで起こした」と記されておるけど、いまから三十数年まえ、というと、例の漫才ブームが訪れる以前の話なんやけど、相方のサブローさんのほうがちょっとした失踪騒ぎを起こしてしまい、あれは大阪のどこであったか、場所はきれいに忘れたけれど、上方漫才の若手コンビとわしのような漫才作家志望者が集まった勉強会の客席で、シローさんひとり、なんとも暗い眼をして、じっと舞台をみつめておったことを思い出した。
まいった。
ほんとにまいった。
合掌。
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