それにしても、年末にはほんと、びっくりしたぞ。
例の寄贈図書の件だけど。
活用策を考えるつもりはありません、とか、そこまで開き直ったような回答があるとは、それこそ考えてもおらんかったもんなあ。
だから、わしゃ焦った。
焦るような話でもないんだけど、なんか、焦ってしもうた。
とにかく、ひどい話だもんなあ。
なんどもいうことだけど、こりゃ、相手のある話じゃけんね。
しかも、その相手、すなわち、図書寄贈者のみなさんが、わざわざ名張市立図書館までおいでになって、ちゃんと活用するように、とわしがお叱りをいただいてしもうた、みたいな経緯を踏まえたうえで、さーあ、どうよ、と活用策をただしたにもかかわらず、そんなこと考えるつもりは皆目おまへん、だもんなあ。
こりゃほんと、以前にも書いたけど、完全に信用問題なのであって、だというのに、お役人さまにとっちゃ、名張市の信用なんて、どうなったって全然いいんだろうなあ。
てめーらの身勝手な都合しか、お役人さまの眼中にはないんだからなあ。
しかし、いくらなんでも、話がひどすぎない?
なにしろ、図書館である。
図書館が、てめーんとこで所蔵してる図書、いったいどうすればいいのか、それを考えることができない、なんてのは、いくらお役人さまの世界でのできごとであるとはいえ、ちょっとひどすぎない?
ひどすぎる、と思う。
世に、てこでも動かない、という表現があるけれど、わしは昨年末、それを思い出した。
名張市立図書館は、てこでも動かない。
なにがあっても、頑として、これっぽっちも、考える、ということをしない。
だいたいが、これも以前に書いたことだけど、図書寄贈を受けることになった段階で、活用策を決めておくのがふつうじゃろう。
活用策ったって、ごたいそうなことではまったくない。
どっかに書架を確保して、寄贈図書を並べ、慶應ミステリ文庫、とか名前をつけてお披露目する。
基本、それだけでいいはずである。
どうしてそれをせず、地下書庫に死蔵したままにしておるのか。
しかも、活用しろ、といわれても、てこでも動きません、そんなことを考えるつまりはまるでありません、だもんなあ。
いやー、まいったまいった。
ただほんと、わしもじつは寄贈図書のことをいつとはなしに忘れておったのじゃが、昨年11月、名張市立図書館においでくださったみなさんにとっては、寄贈図書が死蔵されているのは当然、不本意なことであり、なんか、悲痛なことでさえあるようで、あるかたからは、
「欲しいひとに持って帰ってもらう、ということはできませんか」
とのおことばもいただいたほどである。
つまり、いつまでも地下書庫に死蔵してるよりは、図書館のロビーかなんかに寄贈図書を並べて、欲しいひとがいたら持って帰ってもらうようにしたらどうよ、ということである。
たしかに、そっちのほうがまだ、寄贈者のみなさんの厚志が生きる、ということになるであろうな。
しかし、そんなことは、するべきではない。
名張市立図書館が主体的に判断し、主体的に決定して、つまり、ちゃんと考えて、ちゃんと決める、というごくごくあたりまえのことをして、寄贈図書を活用するべきなのである。
しかし、できない。
てこでも動かない。
だから、しゃーない。
幻影城プロジェクトの一環として、寄贈図書の活用を考えることにしたんだけど、幻影城プロジェクトそのものが、いまだもうひとつ、たしかな輪郭を獲得するにいたっておらんわけよね。
いやいや、いつまでもそんなこと、ゆうちゃおれんのやけどね。
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