寒い。
ほんとに寒いね。
犬の散歩も、寒くて大変だ。
就活も大変だ。
しかし、以前からゆうとるとおり、わしの就活が成就するかどうか、固唾を呑んで注視してくださってるひとが、全国各地にいらっしゃるのじゃ。
そのおひとりから、おとといのエントリに、コメントを頂戴した。
▼2012年1月25日:それにしてもわけわかんね > 無題
な。
「就活頑張って下さい」とおっしゃっていただいた。
ほんと、わしの就活がアウトになったら、名張市立図書館における乱歩が完全に、かつ最終的にアウトになってしまうからな。
それは大きな損失である。
惜しんでもあまりある損失である。
名張市の評判も、さらに大きく地に落ちてしまう。
それでまあ、きのうのつづきなんだけど、まちなか再生事業のすったもんだがありーの、おらおらおらおらしまいにゃテロかますぞがありーの、いろいろゆくたてはあったんだけど、わしは、テロかましたってしかたないな、と思い直した。
名張市立図書館にかんしても、ちゃんとしたことができないのなら、乱歩関連資料の収集なんてやめちまえよばーか、とつねづね叫んでおったんじゃが、いやいや、ここまでつづけてきたんだから、やっぱやめるべきじゃないかもな、というほうに傾いてきた。
だから、テロにはせんから、乱歩のことをちゃんとしてくんない? ということにした。
乱歩のことってのは、いうまでもなく、名張市立図書館における乱歩のことであって、乱歩という作家をご町内感覚で矮小化したような乱歩関連事業には、わしゃ毛筋ほどの興味ももっとらんばい。
で、まーたあれこれとゆくたてがあったんだけど、結局、名張市役所のお役人さまとは話が通じねーな、ということになった。
いちいち細かく説明することはせんけど、身のたけ身のほど、というテーマで、なかば比喩的なことを書いとく。
身のたけ身のほど、というのは、わしが以前からゆうとったことで、ブログ内検索を試みたところ、たとえばこのエントリがひっかかってきた。
▼2011年10月24日:死蔵とは脱線電車とみつけたり
身のたけ身のほど、ということばが、この段落に出てくる。
それに、3・11の津波の映像をくり返しくり返し眼にして、名張市立図書館の収集資料が津波にさらわれるところを想像した、ということはまったくなかったんだけど、比喩的にいえば、そういうことはたしかにあって、名張市はこの世にたったひとつしかない乱歩が生まれたまちであり、名張市立図書館が所蔵している乱歩関連資料もかけがえのない収集資料ではあるのだから、名張市というまちの身のたけ身のほどの範囲内で、ちゃんと考えて、ちゃんと決めて、なすべきことをちゃんとやってゆくことが必要である、とわしはあらためて認識させられた。
なにが、身のたけ身のほど、なのか。
なにかというと乱歩記念館をつくろうだの、あるいは乱歩文学館をつくろうだの、そういうことを口走って、しかし実際には、なんにもできませんでした、みたいなことが、名張市では一再ならずくり返されてきた。
直近では、名張市のまちなか再生事業において、なんの権限も決定権もない名張まちなか再生委員会が、そんなことをいいはじめて、しかし、なにも考えることができなかった、ということがあった。
わしはずいぶん以前から、というか、最初っから、そんな文学館や記念館は必要ない、と主張しておった。
そんなもの、つくってみろ。
建設に億単位、あるいは十億単位の予算が費用だし、つくったからといって、それだけでひとがわんさかつめかける、なんてことにはならない。
施設のランニングコスト、人件費、さらには企画や運営、資料購入、その他もろもろのことにも予算が必要になる。
ここで、念のためにいっとくと、こんな考えをもってるひともある。
どんな考えかというと、これは、ある乱歩ファンのかたから指摘されたことなんだけど、もしも乱歩記念館と名のつくものをつくるのであれば、少なくとも北九州市にある松本清張記念館を凌駕するものでなければならない、しょぼい乱歩記念館なんかつくったら、名張市が乱歩の名をはずかしめた、ということになるぞ、みたいなことであった。
乱歩は清張より偉大なんだから、とその乱歩ファンのかたは考えるわけである。
乱歩記念館は清張記念館よりも立派なものでなけれぱならない、と。
全面的には同意しかねるけど、乱歩ファンの心情としては、それも無理からぬところだろうな、という気はする。
ちなみに、松本清張記念館の公式サイトがこれ。
▼松本清張記念館:Home
閑話休題。
とにかく、名張市の身のたけ身のほどというものを考えた場合、乱歩文学館だの乱歩記念館だの、そんなものはまったくそぐわない。
ならば、どうすればいいのか、というと、せっかく名張市立図書館が乱歩関連資料を収集してきたのだから、図書館として乱歩のことに本分を尽くせばそれでいい、ということになると思う。
身のたけ身のほどの範囲内で、本分を尽くす。
こんなのは、じつはあたりまえのことである。
で、図書館として乱歩関連資料の収集に本分を尽くし、その活用に本分を尽くす、ということになると、必然的に、きのうのエントリに記したような流れが生じてくるはずである。
実際、わしはそういう流れにもっていこうとしたんだけど、流れは完全にとめられてしまった。
いっぽう、お役人さまはどうか。
お役人さまが口にする身のたけ身のほどということばは、かなりニュアンスがちがう。
お役人さまにとって、図書館が身のたけ身のほどの範囲内で乱歩関連資料を収集する、とはどういうことか、というと、要するに、乱歩作品を読もうともせず、乱歩のことを知ろうともせず、調べようともせず、眼についた資料を適当に購入して、ただ死蔵するだけ、ということになる。
つまり、身のたけ身のほど、というのは、現状維持、ということなのである。
それが、お役人さまが考える身のたけ身のほどというやつである、ということがわかった。
お役人さまとの話し合いで、ちなみにこれは、昨年12月1日にあった話し合いなんだけど、身のたけ身のほどでいいのではないか、とのおことばをたまわり、どういうことなのか、ちょっと考えてみたところ、そういうことなのだと思いあたった。
要するに、未来永劫、無能と怠慢でいつづける、ということだ。
それでわしは、ま、しかたないな、と結論した。
手前どもはなにも考えないことにしております、とお役人さまがおっしゃるのであれば、はい、それで結構でございます、と申しあげるしかないではないか。
手前どもはできるだけ働かないようにしております、とお役人さまがおっしゃるのであれば、はい、それで結構でございます、と申しあげるしかないではないか。
てゆーか、ほんとに話が通じないの。
自分たちの身勝手な都合を並べ立てる、ということしかできないの。
ほんっとーに、まともな判断ができないの。
それこそ、無能と怠慢でいつづけることを前提にした判断しかできない。
おのれの甲羅そのままに、無能と怠慢という穴を掘ることしかできない。
だから、こりゃもう、横紙破りではあるけれど、市長判断一直線だな、やっぱ、それしかないな、ということになった。
市長にお助けいただくしかないな、ということになった。
以上が、市長判断を仰ぐにいたった経緯である。
とにかくね、いつまでもこんなこと、いってらんないわけ。
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
寄贈図書のほうだって、いつまでもこんなこと、いってらんないわけ。
【回答】
現在のところ、活用方針を検討することについて、具体的な動きはありません。具体的に検討する際には、是非とも有識者による専門的な立場からのご助言をいただければと考えています。
現在のところ、現在のところ、とばかのひとつおぼえみたいに、というか、実際ばかなんだけど、小ずるい先送りばっかかましてちゃだめだろーがよ、ということなんだけど、そんなことしかできないわけね。
それにしても、小ずるいじゃろ。
みごとなまでに、小ずるいじゃろ。
へどが出そうじゃ。
へどはまあ、どうでもいい。
重要なのは、市長判断だ。
市長判断を仰ぐ、といったって、実質的にはお願いである。
名張市立図書館はこのままではだめですから、なんとかわたしにお仕事をさせていただけませんか、というお願いである。
つまりは、就活だ。
ただし、お仕事のお願い以前に、さっきも書いたけど、名張市立図書館が乱歩関連資料の収集に本分を尽くし、その活用に本分を尽くすうえで、必然的に生じてくる流れがあって、その流れが完全にとめられてるんだけど、その流れをなんとかよみがえらせていただけませんか、ということもお願いしている。
つまり、乱歩の自己収集を継承することと、収集資料の活用にインターネットを利用すること、このふたつなんだけど、わしが方向づけようとしながら果たせなかったこの流れは、なんどもいうけど、ごくあたりまえのことであり、ごくごくふつうのことでしかない。
どうして、それ、やんないの? みたいな話なのであるが、それが名張市立図書館や名張市教育委員会にはできない。
そもそも、理解すらできない。
もっとも、資料収集や乱歩にかんして、市長は完全なしろうとでいらっしゃる。
専門的な知識はおもちでない。
いやまあ、名張市立図書館や名張市教育委員会だって、資料収集のこともわからなければ、乱歩のこともわからない、というわけなんだから、専門的な知識はゼロなのである。
だから、結局のところ、わしを信じるか、信じないか、市長にはそれをご判断いただく、ということになる。
要するに、わしを生かすか、わしを殺すか、の二者択一になるわけだが、ありゃりゃ、また剣呑なことを書いてしもうた。
しかし、実際は、そのとおりじゃ。
わしを信じていただけるかどうか、わしを生かしていただけるかどうか。
とどのつまり、そういうことになるのよね。
ああ剣呑じゃ剣呑じゃ。
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