乱歩ゆかりの湯、ということになると思います。静岡県伊豆市冷川に「ごぜんの湯」なる温泉があって、そのブログにきのうこんな記事が。
▼伊豆の源泉湯治宿 ごぜんの湯:ごぜんの謂われ 冷川御前 藤堂高虎 高次(2012年1月8日)
乱歩のご先祖さまにあたる冷川御前のエピソードを引用。
ごぜんの湯のごぜんは漢字では御前とかきます。
時は戦国、武将智将として知られる藤堂高虎家に嫁した娘、お光の生家がここ冷川 下尾野の郷です。
百姓娘が大名家の側室にとは、当時としては異例のこと。なぜでしょう。
藤堂高虎の息子高次が伊豆の某所に湯治にきていたと思ってください。
お光は湯治場で洗濯をしていたのです。当時の女性は着物ですそをはしょって洗っていたのでしょう。
通りかかった殿の一行、「みえてるぞ」といったとかいわなかったとか。
お光は気の強い女、「助平」と叫ぶやいなや洗い桶の水を殿の顔にぶっかけた。
無礼者と手打ちになってもおかしくないところだが高次はにっこり笑い、「そなたの元気さに感服した。
褒美をとらす」と召し上げたのだった。お光の美醜はさだかではないが、美女を見慣れた殿のこと。それほどひどい面ではなかったろう。
百姓の身分では殿の側室にはなれぬ。伊東の武家平井氏養女になったのち、側室にあがった。
その後めでたく4代目の御生母となり冷川御前と呼ばれるようになったそうです。
御前の弟の子孫に江戸川乱歩氏がいると聞く。
今、生家あとは、ごぜんの湯の運動広場ゲートボール広場として年寄りの運動の場になっています。
このあたりのことは昨年10月、FMなばりの「どみね」という番組でちょっとお話しし、このブログにもこんなことを書きました。
▼2011年10月09日:嬖人平井氏
▼2011年10月10日:嫫女おこう
冷川の東向寺に伝えられていた文書では冷川御前が醜女だったとされていたのですが、「嫫女おこう」に記したとおり「たかが醜女であったという事実がそこまで長く伝承されるものかどうか」、「そこには女は容姿よりも心根が大事だみたいな女大学的教訓が秘められているのかもしれません」というのが私の疑問でした。上に引用したプログ記事には「お光の美醜はさだかではないが」とあって、つまりはおこうちゃんの美醜をまったく問題にしていない伝承もあったわけですから、おこうちゃん醜女説はやはり後世の脚色だったと考えるべきではないかと思われます。
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