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平成23・2011年12月5日 毎日新聞社
嗜好と文化 vol.9 川瀬七緒
中村秀明
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なぜ誰もやらないの
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江戸川乱歩賞受賞作「よろずのことに気をつけよ」の扉にあった和服姿ではなく、グレーのセーターにジーンズ、チェックのストールをまとって、取材場所のホテルのラウンジに現れた。デザイナーというもう一つの顔を持つ川瀬さん。当たり前だけど、「さすがにおしゃれだな」と思った。ところが話題が進むにつれて、「おしゃれな女流ミステリー作家」の隠れた素顔が少しずつわかってくる。奥深い、そしてちょっと怖くもある話にどんどん引き込まれていった。
── 江戸川乱歩賞を受賞されて、変わったことはあります?
「自分では変わったことはありませんが、文章を書いていることは家族と一部の人を除いて、一切言っていなかったので翌日の新聞を見て、ちょっとした騒ぎになりました。デザインの仕事関係の人には、ミステリーはまったく世界が違うことなので、『どうして?』『何が起きたの?』といった反応でしたね」
「4年前に無性に何か書きたくなって、書き始めました。この4年間で20作くらい書いたでしょうか。だいたい原稿用紙800枚くらいの分量を一気に書き上げます。といっても家のこともやって、在宅でのデザインの仕事の合間を使ってです。『よろずのことに気をつけよ』は1カ月くらいかかりました」
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── ミステリーを書いていたのも驚きだったでしょうが、山里にひっそりと息づく呪術が題材というのもまさにミステリアスだったでしょうね。きっかけは何ですか?
「私は福島県白河市で生まれ育ちましたが、祖母が隣村にいて、よく遊びに行きました。昨年秋、その祖母の家で『よろずのことに気をつけよ』と書かれた祈とう念仏の紙を見つけたのがきっかけです」
「祖母の家とその周辺の山にはよく行きました。山の中で遊んでも退屈はしなかったです。神社の裏でわら人形を見つけるとか、墓場に入るのもまったく怖くなかった。そんな子でした。家族では私だけですね、こういうタイプは。妹は極度な怖がり屋ですから。」
── デザイナーとミステリー作家に共通点はありますか。
「何もないところから生み出していくこと、そして感性に頼るということでしょうか。小説を書くという作業も、私にとっては映像を文字化していくような感じなのです。だから、一気に早く書き上げないと勢いが弱まるというか、とにかく書き始めたら、先を急がないとイメージがどんどん薄まっていってしまうのです」
── デザイナーといっても子ども服のデザインですね。なぜ、そういう分野を選んだのですか?
「学校を出て、デザイナーの仕事を始めようとしたころは、子ども服にデザインという考えはありませんでした。着心地、動きやすさといった機能面ばかりに目が向けられて。『もっと可愛く、もっとカッコよくできるのに、なぜ、誰もやらないのだろう』と思ったのがきっかけです」
「誰もやっていないと感じると、じっとしていられなくなります。大人の服を子ども服にリメークするという発想、リサイクルではなくリメークですが、それを雑誌に持ち込み提案して連載にこぎつけ、最終的には本にしたこともあります。ちょっとした工夫で親も子も楽しくなるし、節約にもなるのです。その時もなぜ、誰もやらないのだろうと不思議でしたね」
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── どんな趣味をお持ちですか。
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「虫のちょっと変わった写真を撮るのが、趣味と言えば趣味でしょうか。たとえば、カマキリに寄生するハリガネムシとか。本当に針金のような虫なんです。そのハリガネムシは水辺で産卵するので最後はカマキリを水辺に誘って、カマキリの体から脱出しなければなりません。しかしハリガネムシの目的はいったい何なのか、よくわからないんですよ」
「身のまわりには見たこともない昆虫がそこらへんにいます。マンションのベランダにも。もしかしたら、まったくの新種を発見したのではないか、と思ったりします。普通のデジカメでパシャパシャ撮っています。虫にさわったり、マムシをつかんだりするのは子どものころから、まったく平気なので」
── マムシですか。もしかすると、かまれたこともあるのですか。
「マムシはありませんが、スズメバチは2回ほど。もう1回刺されると、アナフィラキシーショックで死ぬかもしれないと思っています。祖父が生物の教師だったのです。その影響で虫が好きになり、高校時代には昆虫学を学ぼうと真剣に思ったこともありました。でも、祖父から『食べていけないからやめておけ』とも言われましたし、それ以上にデザインに興味があったので、デザイナーの道に進みました」
「今は『法医昆虫学』にとても興味があります。人間の死体にどんな虫が、どんな生息状態でいるかを詳しく調べると、死因や死亡時間、あるいは殺害された場所などがわかるというものです」
── 法医昆虫学ですか、知りませんでした。
「人間の死体には、死んで何時間後にはハエがやってきて卵を産み、それからまた何時間かたつとウジがわいて、次に別の虫がやってきて、その次にスズメバチ、そしてクモといった非常に規則性のある経過をたどるのです」
「法医学の重要な分野で日本ではなじみがありませんが、森林などに遺棄死体が多く見つかる米国での研究が進んでいます。そうした外国の文献などにあたって研究しています。ちょっとグロテスクな面もあるけど、学問としてきっちりしている。非常に科学的で奥が深いですね」
── もしかすると、次の作品は法医昆虫学の研究者が主人公ですか?
「どういう形になるかわかりませんが、この分野を紹介してみたいと思っています」
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──趣味として集めているもの、長く持ち続けて捨てられないものはありますか。
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「人形が大好きで30体ぐらい持っています。人の形をしたものであれば、たとえ板きれでもいいです。今後自分で創ってみたいのは球体関節人形です。関節が球体になっているので手足を自由に曲げたり、いろんなポーズをとれるようになっていて、マニアがたくさんいますよ。人形って、そもそも何かが入っていると思うのです。そういう何かが入っていそうな人形が好きなんです」
── 「よろずのことに気をつけよ」の主人公・中澤はコーヒーに非常に詳しく、こだわりを持っていました。川瀬さんご自身の投影ですか?
「ささいなことにこだわる。呪術という人が見向きもしないものに情熱を傾け、これはということを突きつめる。そんなキャラクターをシンボリックに描くためです。私は毎日飲んでいますが、かつて 焙煎ばいせんに失敗してコーヒーの味がしないコーヒーにしてしまったくらいで、あの主人公ほどのこだわりはありません」
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── 音楽はどんなジャンルを聞きますか。
「原稿を書いている時は、クラシックを聴いているというか、必ず流しています。『よろずのことに気をつけよ』ではバッハのトッカータでした。ショパンとかの明るい曲は好きではありません。バッハ以外ではリストのラ・カンパネラとか。一つの曲を何度も何度もリプレーします。トッカータはあとで見たら3000回くらい聴いてました」
── 気分転換はどうされていますか?
「マッサージに行くことでしょうか。肩こりがひどくて、もう10年近く通っているところがあります。いつもお願いしている全盲の方が、ものすごい読書量で博学です。家族以外で私が小説を書いていることを知っている数少ない人です。『よろずのことに気をつけよ』はまだ朗読テープ録音が全部できていないので、読んでもらっていませんが、とても信頼できるお友達です。この出会いに感謝しています」
〈次回は2012年1月9日(月)・北方謙三氏掲載予定〉
川瀬 七緒(かわせ・ななお)
1970年福島県生まれ。文化服装学院卒。服飾デザイン会社に就職し、子供服デザイナーに。そのかたわら2007年から執筆活動に入り、2010年に第20回鮎川哲也賞で『静寂のモラトリアム』が、同年第56回江戸川乱歩賞で『ヘヴン・ノウズ』がそれぞれ最終候補に選ばれる。2011年、二度目の応募で『よろずのことに気をつけよ』が第57回江戸川乱歩賞を受賞。15年ぶりの女性受賞者として、今後が大いに期待される。
取材を終えて 毎日新聞社 編集編成局次長 中村秀明
「変わった人」と評するのはたやすいが、それだけではちょっと足りない。人と違う感受性や視点を持っているところが、その作品や雰囲気にも表れているようだ。「人形には何かが入っていると思う」との言葉にはドキリとした。「だから怖い」という人もいるが、川瀬さんは「だから好き」。法医昆虫学をはじめ、今後さまざまな世界を読者に描き出してくれそうだ。「川瀬ワールド」と言われる日が遠くない気がした。
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